この行動は、雄にとって自分の子ではないから子殺しという言い方は必ずしも正しくないが、自分の群れにいる子を殺すという点でも、はっきりと子供を自分の子であるかどうか判断できる状態で殺す点でも、それまでに考えられたことのなかったものであり、大きな衝撃を与えた。それまでは、同種個体間の争いは、他方を殺すまでには至らないようになっているものと考えられており、その点でも驚くべき行動と考えられた。

一般の人々からは、動物は人間のように高度な心を持たないから野蛮なまねをすることも多いのだと考えられ、「獣のような」とか「動物的な」といった言われ方をされることがあるが、他方でそれは、動物には分別がないからで、分からないでやっているんだから仕方がない、言わば無知によるものだから罪とは言えないという感覚がある。さらに、動物の行動の研究家は、逆に動物は意外に野蛮でもないし、無意味に殺し合ったりするものでもなく、むしろ過度な攻撃を避けるものだ、言わば動物は意外に高潔なのだという印象を持っていた。

しかし、ここに見られる子殺しは、そのどちらの感覚にも反するものであった。無知と見なすには筋が通り過ぎているし、しかも残虐に見える。そのため衝撃も大きかった。同時に、それを説明しきれる行動生態学の理論に対しても驚きと一部では警戒が生まれたと言ってよいだろう。動物は人に善悪を教えるために存在しているのではないし、動物の行動が人から見て道義的、道徳的である必要はないが(自然現象に人間の道徳の基礎を求めることを「自然主義的誤謬」という)、それが人間に適用された場合、人道的見地からは問題のありそうな議論がたやすいことが見て取れるからである。