対戦型格闘ゲームって、当時どのくらいブームになったの?
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昔流行ったらしいけど、ちょっと感覚的に分からないんだよね
だって格ゲーでしょ そこらの食料品専門店みたいなスーパーにすら
NEOGEOかストリートファイター2が置いてたわ スト2は、順番待ち列ができるくらい
バーチャ2はゲーセンフロア中央に大型スクリーン筐体設置するくらい モンハンに近いかな
スト2は主に学生間で爆発した
バーチャ2は女性や社会人まで巻き込んだ バーチャ2は月20万くらい使ってたな
アストロ筐体と基板も買った
糞ガキからヤンキーからオタクから社会人から誰もがやってた 1分かからずに100円が溶けてもみんな気にせずに対戦しまくってたからなぁ
ゲーセンとしてはうはうはだったろうなその後廃れていったけど 猫ひろしが「昇竜拳!」とギャグにするくらい
カンボジア行ったから知らんかな? >>10
まあ、当時のゲーセン対戦は今はネット対戦が補完してるから
もうああいう風な現場での奴が流行る事はないだろうな 田舎のデパートのゲームコーナーにスト2ターボの周りに人だかりができるくらい 正確に言うと瞬間風速はスプラトゥーンより上だったけどブームの持続はスプラトゥーンと同じぐらい UFOキャッチャーが流行っていたし、テトリスもあったし
めちゃ活気があったなー 今思うと、なぜあそこまでブームだったのか分からんくらいブーム
別に電通やらマスゴミのステマもなかったと思う
新機軸のジャンルであり、PUBGやマインクラフトが大ヒットしたのに似てるのだろうか 一時期は月に10本ペースで格ゲーリリースされてたよな
こんなん今あり得るか? やる奴はいっぱい居たがやらない奴もいっぱい居た
キャラは知ってるけどゲームはやらないとか後ろで見てるだけとか
だんだん先鋭化していって自滅した スト2も毎夜人が集まり熱かったがあくまでゲーム好きのブームだったからな
ハードルも高かった
バーチャは延々サマーだけやって当たったら大ダウンしかやらないリーマンとか精神的ハードルが低くかったw 誰の家に行っても、スーファミのストリートファイター2あった スマブラとか普通に売れてるから格ゲー需要は普通にあるんだけどね
サードがおっさんハードのPS4に集中してるから格ゲー市場が死んだんだよ
反射神経が死に始めてるおっさんに格ゲーとか無理ゲー過ぎるだろw スト2の頃は結構操作もシンプルだったからな。誰でも入りやすい土壌があった
その後のSNK格ゲにブームが移行したころは超必殺技とかが入る様になり
ハードルが上がりその分プレイ人口も減った(その分プレイ層もコア層よりになった)
で、その後コンボゲーになって来て本格的に人が減る事となった >>25
対戦需要は、MOBAやFPSに移っただけじゃない?
フォートナイトはプレイヤー2億人、League of Legendsは9000万人
Apex Legendsは1ヶ月で5000万人とかだし >>24
当時のドラクエやFFよりも本数出たからな。凄い事よ >>22
確かにテレビゲームはしないのにゲーセンは行くって層が多かった記憶 その地域毎のゲーセンとかにゲーム自信あるやつが集まってやってたくらい人気あった スト2はCPU戦も面白かったからな
別に対戦しなくても楽しめた 当時はいい意味でレベルが低いから初心者も参加出来た
が、コア層の意見しか聞かなくなり、やがて初心者はいなくなりコア層は飽きて引退していき、誰もいなくなった >>31
初代スト2はどちらかと言えばCPU戦がメインみたいな構成だったしな
しかし、予想以上に対戦が盛り上がってブーム化したため
次のダッシュからは対戦メインの調整と相成ったわけだな >>32
マリオカートやスプラトゥーンがこれほどロングセラーになってるのも
やっぱり初心者が遊んでも楽しい ってのに尽きると思う
格ゲーは残念ながら途中からそれを忘れてしまった 小さいゲーセンだと中央に配置された台は全部格ゲー
VF2が6台とかで店はギャラリー含めて常に軽い満員電車状態
初代スト2の頃はまだ対戦はそれほどじゃなかった
たぶん対戦がブームになったのはSFC版で対戦してたのがゲーセン行きだしてから。 自分の地域だけかもしれんが
筐体に100円玉を並べて順番待ちしてた
今考えるとよく盗まれなかったな… やりすぎて
何回もコントローラーのボタンが凹んだまま戻らなくなっては
おもちゃ屋さんで150円くらいで交換用のボタンのゴム?みたいなの買ってきて修理したな スーファミ版スト2ターボの全国大会決勝戦に8000人参加者がいた
https://youtu.be/CU_26E5ivdA SFCのソフトが280万売れた
これだけなら「DQFFレベルのキラータイトルやな」で済むが
それに加えてゲーセンの基盤が80万枚売れた
これは1県にスト2の筐体が15000〜20000台ある計算 通学中に、A君 波動拳!波動拳!
B君 昇竜拳!
と そこら中で、対戦ごっこしてた。 そんなに大きいわけでもないスーパーに数台並んで設置されてたよ
今はどこの店にも無いわ 新宿のコマ劇前のゲーセンで24時間行列とギャラリーで溢れてた
ちな1プレイ200円 わいてきにはめちゃくちゃ快適に対戦できるようになって神ゲーが沢山増えればアジアではもう一度ぐらい格ゲーブームおきると思ってる
ギルティギア神ゲーだぞ それにしても鉄拳、スト5、ギルティ
どれも熱帯がゴミ
もっと利便性完璧なもんに仕上げてくれ スト2が何台あるかが店の売りってぐらい。
今のパチンコみたいだな。 囲碁と光栄の麻雀しかやらない父親が波動拳の練習するくらい >>31
バルログ倒すためには昇竜拳出せるようにならなきゃって練習してたわ
歩きながら波動拳で >>26
かと言ってシンプルなまんまだと飽きられてただろうし
コンボゲーが出る頃には大分人減ってたからむしろコンボゲーのお陰で客増えてたよ 色んな所に筐体があった 八百屋とか靴屋にも置いてた コンボゲーが何故か悪みたいに言われてるが格ゲーの大半がコンボゲーだよな >>62
コンボに偏りだしたのがヴァンパイアかストZEROかKOF95のせいだな
それまでは実戦で決められるのは大抵5か6ヒットぐらいが限界 スト5ですら確認からのトリガーコンボゲーと化してるからな
今度出るグラブルがコンボゲー脱却を謳ってるけどかつてアークが出した脱コンボゲーのバトルファンタジアはその名を知らない人が大多数の盛大な大コケをかましたな KOF97で無限コンボやりすぎてゲーセンを出禁になったのはいい思ひで 鉄拳のバウンドコンボまではやり過ぎだと思うの
新規はもうヤメテーって感じで気分悪いだろ >>63
ヴァンパイアあたりから無闇に多段ヒットする技が出始めたX-MENでコンボ数至上主義時代に突入した
アーク製格ゲーが一番のコンボゲー >>25
逆
格ゲーはおっさんばかりで若いプレイヤーが少ないとずっと言われてる
FPSは身体的に年齢に比例して落ちてくけど格ゲーは経験がものを言うというのが通説だし
sakoと台湾のGamerBeeはこないだ40突入して主力はほとんど30越えてる 餓狼のキムのせい。
一発でどでかいダメージより、連打で大ダメージの超必殺技が人気だった。 鳳凰脚にしても龍虎乱舞にしても1コマンドで初弾当たればロックしてフィニッシュ保障が良かったのに
なんで20発も30発も自分で全部ボタン押してやらなきゃならんのだ
しかもそれで補正かかりまくってダメージ5割とかだしな 上に書かれてるような格ゲーブームでも
ふた昔のインベーダーブームにはかなわないレベルなんだよな 弱パンチ→少し歩く→弱パンチ→少し歩く→・・・
クラックシュート→しゃがみ強パンチ→クラックシュート→しゃがみ強パンチ→・・・ >>77
残影拳→残影拳→残影拳→・・・
骨法死ね SNKのその辺の奴はコンボゲーさせたかっと言うよりただの調整ミスよな つぶれかけの駄菓子屋が格ゲーの筐体一台入れただけでくっそ繁盛しとったわ 駄菓子屋って子供に流行るとプラモやらスーパーカー消しゴム、ゲーム筐体と
意外と商売熱心だったな。
まぁ大抵はその土地の地主が税金対策で店にしてただけっていう。
営業がこういうの流行ってますからどうですかって感じで仕入れてたんだろうなぁ。 猛者が集まる深夜のゲーセンのあの雰囲気はもう二度と味わえないな
いい思い出だよ まあ言うて91年の中頃にスト2がリリースされて
97年ごろにはそれを継いだバーチャもほぼ終息しつつあったから
大体6年程度の限定の祭りだったんだけどな
マリカ8発売から今くらい程度の長さでしかない
当時小学〜高校生だったら印象深かったかも知れんが
大人からしてみたら流行ったと思ったらもう廃れたって感じのスピードだと思う まぁ男っぽいものが受けたり良しとされる時代だったってのもあるね
今と違って女は名前すら知らない流行りが多かったと思う 格ゲーといえばネオジオ
格ゲーブームを作ったのはカプコンではなくネオジオ
スト2は短いスト2ブームが起きただけ 飛龍の拳が元祖と言ってしゃしゃり出てくる程ブームだった 何の番組か忘れたけどバーチャ2が流行ってる時に中学生の子が最近八極拳にハマってますって
エア崩撃雲身双虎掌やってて笑った記憶がある ゲームのせいで入門してきてもコレジャナイってすぐやめる子多いって悩みを
どっかで聞いたことあるな八極拳 キャプテン翼見てサッカー始めてもコレジャナイってやめる子が少ない不思議 まず、「知らない人とゲームで対戦出来る」っていう概念のない時代だからね
ゲーセン限定のネット対戦が生まれたようなもんなんだよ 不良っぽい奴が対戦相手になってわざと負けるのは当時のゲーセンあるある(´・ω・`) 現在とはメインの客層が違ってたよな
今はどんな悪辣な戦法だろうと文句言うのは甘え、ハメだろうがバグだろうがなんだろうが自分が有利になるものはどんどん活用すべしって風潮だけど
当時は自重したり少なくともその是非を議論するぐらいの緩みがあった まあリアル鉄拳と灰皿が怖いから
スト4で当て投げが「抜けあるからいいだろ」ってことになってるの
見たときに意識変化を感じた 初めは他人とお隣に座ってやってたね
それから対面式になって
ネットに繋がった
ネットワークを発展させたのは対戦ゲーム >>98
ネット対戦と言う発想を生み出したゲームかも知れないね
当時もXバンドとか言うSFCで通信対戦できるのがあってスト2などが対象タイトルになったはずだが
当時の通信環境や料金ではとてもじゃないが普及しなかったな。でも基礎は作ったかな ネットやる為にPC欲しがってた人がめっちゃ多かったイメージある
CSはそこのブームにも乗り遅れてた感があった
MMOとかだいぶ下火になった時にようやくネット標準って感じだったし CSでネット対戦が一般化してきたのってホント割と近年になってからだもんな
まあ、技術的にも難しかったのかもしれない パソコン通信で技表とか裏技とか入手してた先輩もいたな。 >>99
将棋とかのが先だろ
技術的なハードルが低いし、対戦相手には常に困ってるはず
なんなら電話(会話)でも出来るんだから、画面が欲しいと普通に思うだろう XBAND
1994年にアメリカのカタパルト社によって、SNES(スーパーファミコン)、セガジェネシス(メガドライブ)の電話回線による通信対戦サービス『XBAND』が開始され、
これがコンシューマーにおけるオンライン対戦サービスの元祖となる(それ以前にも、個別のゲームソフトで通信対戦をサポートしていたものは存在した)。
日本でもニフティサーブを運営していた日商岩井が米カタパルト社と提携してカタパルト・エンタテインメントを設立して1996年4月にスーパーファミコン、
同年7月にセガサターンでのサービスを開始したが、1997年9月にカタパルト・エンタテインメントがXBANDより撤退。
セガサターン版のみをセガが運営を引き継ぐことになった(1999年7月にサービス終了)。 当時アニメで北斗の拳なんかがあってよくできてたんだよね
それでもそのレベルで、やっぱスト2はアートアセットからいい方だったよな
見栄えして動かして遊べるという >>38
> やっぱり初心者が遊んでも楽しい ってのに尽きると思う
> 格ゲーは残念ながら途中からそれを忘れてしまった
コア層という太い客が離れていくのが嫌で、仕様をコア層に合わせていった結果なんだよね
今のソシャゲのモンストと状況がいささか似てる プレイ人口で言えば今のシューターも近いんだろうけど
主力のカプコンとSNKが年に何本も新作出して
他のメーカーもガンガン追随してたあの熱気にはかなわないな ネット対戦って案外面白くないんだよな。
ゲーセンにしろ家にしろ、人が実際にいてこそ楽しいんだよ >>112
これはある
あとそれぞれのゲーセンやそれぞれの地域の小さなコミュニティの中で誰が一番強いかってレベルの今からしたら低ランクな争いくらいがちょうどよかった
いまはネットで上を目指すとプロゲーマーまでいるから常人に辿り着ける境地ではない ガーディアンヒーローズの6人対戦とか当時は何時間でも遊べたけどネット対戦だと数試合が限度だったなぁ キャラゲーもなんでも格ゲー化されてた時代。
セーラームーンすら格ゲー化しちゃってた。 スト2以外は言うほど大ブームでもない
結局ゲームの花形はRPGの時代が続いた >>113
オン対戦は勝ち負けしか楽しみがないから、強キャラ、強ワザ、強武器に過剰に偏る。
仲間内で弱くてもエドモンド本田しか使わない奴がいたりとか、そういう楽しさもあったな。 >>104
テンキー配置って上から派と下から派で別れてたよな >>118
ネット対戦だと自分の周辺にいる相手とか把握しようがないから
勝率とかレートとか漠然としたものを目標にしないとあかんのよね
ゲーセンみたいな小ぢんまりしたコミュニティは人単位とかで小さな目標を立てやすく
モチベ保ちやすかった >>118
こいつはこのキャラみたいな個性あったよな
オンラインだと顔見えないからみんな強キャラか使いやすいキャラばっかでテンプレ行動という悲しさ SFCのストUが200万とか300万とか売れてたな
アーケード基盤も馬鹿みたいに売れてたし SFC版のスト2の出来が良かったのがブームを支えたな スーファミのスト2移植が200万か250万本売れるぐらいのブーム >>125
これはある
スーファミ版から入った、知ったユーザーもめちゃくちゃ多かった SFC版スト2はあのポーズ音が印象深い
でーんでーんでーん!フン!フン!は!
みたいなの 自分はゲーム上手いとみんな井の中の蛙だった時代に腕試しの機会が来たから凄かった 必殺技と言えばアイテム取って出す限定的なもんだったのがスト2では出し放題
しかもコマンド自体が一種の腕試しだからな VF2のタイミングでテレビがe-sportsやってたらブームになったかもしれんが
テレビがテレ東系を除いてゲームに対して今よりはるかに敵視姿勢だったから無理だった 歌舞伎町でケンカしてたヤクザがスト2で決着や!とゲーセンに入っていくくらいだった 日本でもゲームが上手い人が尊敬された時代はあったが
大会で高額賞金出せなかった時点でどうにもならなかった KOF97,98時代は、学校帰りのJKがゲーセンのレバーを握っていた
八神庵(イオリン)人気 格ゲーが強いってだけでゲーム雑誌編集者になったりできた >>124
基盤は70万枚
SFCストUは国内288万本売れた
同じ年のSFCソフトはDQ5が280万本、FF5が245万本 そーいえば映画のケンは希代のワル羽賀賢治だったよね
あとつんりーのB地区が出てた ストUがPCエンジン、メガドライブに移植されることが決まると
日経新聞のトップ記事になったな
CSでずっと任天堂ハード一辺倒だったカプコンが
当時最強のIPだったストUをライバルハードに出すのは
それぐらいインパクトが強かった
ドラクエをマルチにするぐらいの衝撃 スト2は日テレ19時台にアニメが放送されて(たしか)、バンダイからはカードダスやガシャポンが発売されてた >>19
ステマはなかったな
ユーザー間の話題とゲーセン側の都合(インカム面)だけで大流行した
ある意味、いい時代ではあった スト2の対戦台ができたあたりから数年の間にどれほど格ゲーが出たのか考えると
普通にちょっと流行ったくらいではないのが分かる アニメになって劇場版もできたしな。
餓狼伝説はOVAとかSPアニメ止まり。
バーチャはアニメ化したけどテレ東。 デートコースで彼女とゲーセンで格ゲーというのがアリだった時代
今は鉄拳すら女連れでやってる奴いないな しゅんれいをチュンリーと教えてやったら皆に嘘つき呼ばわりされるぐらい流行ってた スト2中学、バーチャ2高校だったけど
隣町の玩具屋に強い奴がいると聞いて対戦しに行ったり、
スト2で国技館行ったり、バーチャ2地元で敵無しで聖地系ゲーセン行ったら自分はクソザコな事を思い知ったりで良い思い出しかない。 地元のゲーセンは対戦台が対面になってなくて、一つか二つくらい斜め前の台と繋がってた
それを日替わりでやってたから、どこの台から乱入されたかわからんかった
でも対戦で困ることはなかったけど、凝ったことする店だなとは思った 当時は少年漫画で読んでるようなスーパーバトルが自分で出来て、それでお咎めなしに他人をボコボコにできる(される方が多かったが)スゴイ娯楽だったんだよ。
それまでも対戦ゲーム自体はあったけど、スト2のガチ対戦ツール感はものすごい衝撃だった。
6個のボタンに怖気づいた感覚はもう無いけどな。 80年代まではゲーセンと言えば不良の溜り場というのが一般的な認識だったが
UFOキャッチャーがゲーセンをカップルのデートコースに変え
ストUは格闘場に変えたって当時の新聞に書かれたの覚えてる ハイスコアガールの7割ぐらいが当時あってもおかしくなかったような話 ゲーセンの一角が20台くらい対戦台になってるのが普通でしかも全部客が付いてる状況。
ギャラリーも多数で席が空けば即次が入る勢い。 バブル時代のバイト代が全部消えたくらいバーチャに嵌まった知人がいた。 ベガ使用禁止台というよく考えたらふざけたご当地ルール MVSは駄菓子屋とかゲーム屋とかで無料レンタルしてたんだっけ
まぁ、そんなことしてるから潰れたんだろうけど 1店舗まるごと格闘ゲームだけしかないゲーセンとかあった。 憲磨呂って番組企画のキャラがマブストにおまけキャラで出てくるぐらい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています