自分語りになります [無断転載禁止]©2ch.net
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スレ立てするのは初めてですので、お手柔らかにお願いします。
ゴミみたいな自分語りを聞いてほしいです。
イライラを日記に書いたりして整理してもどうしようもなくなったので、少しだけお時間ください。
自分語りなので創作じみたところやうざい書き回しがあるかもしれません。 あと、特定が怖いのでフェイク交えていきます。
誰得な書き溜めはあるので、中二病のポエムと思って軽く流していただければ幸いです。
あと、迷惑な話ですが本当に聞いてもらいたいだけなので、もし質問がありましたら、返答は遅くなるかもしれません。すみません。
最後にくどいですが。
本当にカワイソウな自分語りなので、相当うざいです。 誰もいらっしゃらないみたいですが、構わずあげていきます。
現在高2の女です。
小学校1年生まで、何事もなく普通に育ちました。
小学校1から3年生の間に、7歳離れた兄に「そういうちょっかい」を出されました。 最初はどうとも思わなかったし、何も思えませんでした。
姉は当時町内のスポーツクラブに入っていて、両親が付き添いで家を開けることがよくありました。
その度に私は2階のトイレに連れ込まれ、その時だけ不気味に優しい兄に触られていました。
兄は5歳離れた姉と仲が良く、私と話しても睨んでくるだけだった兄の、その時だけ優しかった顔、両親が帰ってくるや否や「言うんじゃねえよ」と言わんばかりに私を突き飛ばしてトイレから出て行く兄の姿が交錯しています。 それがおかしいことだと気付いたのは小学校3年生の時でした。
私が「嫌だ」と言い続けた結果、兄は「溜まってんのに」と舌打ちして私から離れました。
言葉の意味が分かった今では、兄にとって私は妹ではない別のモノだったんじゃないかと思えて、悲しくなります。
この時のことは、幼すぎてトラウマにすらなっていません。たまに思い出して溜息つく程度です。と言うよりは、認めたくなかっただけかもしれません。 小学校4年生で、親友ができました。
R、と表記します。
Rは大人しく、とても可愛い子でした。
2回ほど大きな喧嘩をしたことがありましたが、またすぐに仲直りして一緒に過ごしていました。
私たちはお互いにあだ名をつけました。
物静かで可愛くて、絵に描いたような「女の子」だったRに私は「シンデレラ」というあだ名をつけました。
Rとは対照的に、騒がしくて男勝りだった私にRは「きしさま」というあだ名をつけました。
今思えば「シンデレラなら王子じゃね…?」といった感じなんですが、多分私がRの周りをうろちょろしてたからだと思いますw ここまであげておいて不安になったんですがスレチだったりするんですかね……
だとしたら本当にすみません。 彼女と私は、お互いのことをとにかく何でも話しました。
学校であったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、全て話しました。
前述した兄の件を話すと、Rは同じようなことを父親にされたと言っていました。
今考えると、多分私を励ますためについてくれた嘘だったと思います。いや、思いたいです。
この井戸端会議モドキは、お互いが中学受験を控えた6年生の2学期からなくなってしまいました。 受験に合格して、進学した中学で、1年生の時にイジメのようなものを経験しました。
3人で一緒にいたんですが、夏休みが明けるといつの間にか1人になっていたのは、少ししんどかったです。
なまじ頭がいいので、証拠に残ることはされなかったのは救いでした。
学年末にはイジメが親にバレて、1週間学校を休みました。その1週間ずっと毎日、母親は学校に行って私がまた学校に通えるように先生と話し合ってくれていたそうです。 クラス替えを経て、中学2年生のこれまた夏休み明け。
Rが自殺しました。
RはS中学校、私はO中学校に通っていました。
私たちの地元の中学はF中学校。
私の通うO中の生徒のほとんどが塾に通っていて、私も例に漏れず塾に通っていました。
9月上旬、私は進路を悩みに悩み、一旦塾を辞めることにしました。
その辞める最後の授業で、私のクラスにF中の子が来ました。その子は私の前の席に座っていました。 声を掛け、久しぶりだねと談笑していた時、授業10分前にその子は私に「Rちゃんのこと、知ってる?」と聞きました。
聞き返せば、自殺したらしいよと聞かされました。「一番仲が良かったから知ってると思った」そう言われました。
言われたその瞬間は、その子が何を言ってるのか分かりませんでした。
私はRが死ぬ1ヶ月前に地元のお祭りでリナと会っていました。一緒にお祭りを周りました。
だから衝撃が強すぎて、悲しみすら湧き上がらなかったのを覚えています。
授業が終わり、塾の前の道で待ってくれていた母親の迎えの車中で泣きました。
母親は「大丈夫、そんなの嘘だから」と運転中にもずっと声を掛けてくれていました。
結局、それは事実でした。 そこから1年間くらいは虚ろな状態でした。
Rに会いたいとしきりに思っていました。
ですが、高校受験はもうそこまで来ていました。
Rの行っていたS中は、中高一貫校でした。私はS高を受験しようと本気で思っていました。
そんなある日に、Rが夢枕に立ちました。
Rは夢の中、私の前でもう一度死にました。 私はS高を受験することをやめ、結局は本来の目標でもあり、O中の6割が進学する県立のA高に進学しました。
なんとなく、Rは望んでないような気がして。
進学先は、県内有数の進学校だったので勉強はかなり大変でした。途中勉強に関して病んだこともありましたが、何とか踏ん張っています。 話は高校に移ります。
実は中1の時、塾で馬の合う女の子と会っていました。
残念ながらその子は違う中学だったので私が塾を辞めてからは音信不通でしたが、その子もA高に進学していて、しかも高1の時は隣のクラスだったので、かなり仲良くなりました。
その子の名前をNとします。
Nも私も過去に友達関係で悲しいことがあったことから、最初のうちはどこか他人行儀でしたが、高1の終わりにはお互い親友と呼んでも悪い気はしていませんでした。 高校2年生。
Nと同じクラスになりました。
最初の方こそ楽しかったですが、近付き過ぎてしまったんでしょうか。段々とお互い離れていきました。
私たちは、私、N、T、Mの4人で過ごしていました。
NとMは意気投合して、ものすごく仲良くなりました。
反面、私は内気なMのことが苦手で、Mを避け始めました。NとMはその時にはずっと一緒にいたので、必然的にNとの距離も開きました。そして、Nは私を避け始めました。 このままじゃダメだと思い、Nに避けている理由を告げると、「自分(N)が最初に避け始めたと思っていた。」と言われ、私は誤解を解こうと話し合いを提案しました。
Nは話をしたくないと言いました。
今まで親友と呼んで来た子達に、こういったトラブルがあった際に「全部Nのせいだ」と押し付けられ、そのまま関係が消えたらしいです。
そしてNはそれが楽だと捉えていました。
だから、Nのせいにして、Nを楽にして欲しい、と言われました。 その後も口論は続き、結局Nの家で話し合うことになりました。
結論として、蟠りは消えるどころかむしろ増え、仲は互いの機嫌で左右されるものになりました。
話し合いを提案すれば拒否をされ、いつものように話をしようと思えば私だけ睨まれ、私がNの席に近付いた瞬間にNは席を立ち、他の子のところに行く。こんなことが何回も何回も続き、Nの事情を汲んだとしても私はもう限界でした。 その上でそんな不安定な仲になり、私は耐えきれなくなりました。
「もう私と一緒にいるの辛いよね。」私が言ったこの言葉へのNの返答は、私の中に軽いトラウマを植え付けていきました。
しかし、私も結局気持ちを押し付けてNから逃げた。ここまで関係を悪化させたのは紛れもない自分でした。
Nに告げたこの言葉だって、私の憶測に過ぎない。本当は違うんじゃないか、そんな現実逃避の問答を繰り返していました。
私はついに吹っ切れて、一緒に過ごしていたグループから抜けて1人でいることを選びました。
案外、気楽なものでした。
正直言うと、金輪際もう親友なんてものは作りたくないです。 自分語りはココでおしまいです。
現在はNから、別に私じゃなくてもいいLINEがよく飛んできます。
省いた部分があるんで分かりにくいですが、Nはかなり独占欲の強い子なので、私が離れていくという現象が気にくわないのかもしれません。
ここまで散文を読んでくださりありがとうございました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています