【櫻坂46】原田葵応援スレ★39【あおいちゃん】
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80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言ってもいいような時代が訪れようとしていた。それは、欅坂46というバブル期を経て、そこから櫻坂46に移り変わっていった姿とも重ねて見ることもできるかもしれない。とは言っても、この櫻坂46には悲観さなどは微塵も見られないほど輝いているが。
そうして、こうした反動の季節が過ぎ去っていったとき訪れる、新たなる時代を迎えるにあたって、再び求められ初めているのは既存にあったデジタル技術そのものを、既に達成済みの核となりえるベーシックとして踏まえた上で、新たなるその人自身が作り上げる世界観だったり、それを発するグルーヴの心地よさだったり、その手作り感だったり、それ故の温かさだったりといかに過去と新たなるデジタルとの共存みたいなグルーヴを生み出していけるかが今後の鍵となっていったんだと思うんだ。そういう意味で、櫻坂46との共通点は意外と多く見られるのかもしれない。
80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言ってもいいような時代が訪れようとしていた。それは、欅坂46というバブル期を経て、そこから櫻坂46に移り変わっていった姿とも重ねて見ることもできるかもしれない。とは言っても、この櫻坂46には悲観さなどは微塵も見られないほど輝いているが。
そうして、こうした反動の季節が過ぎ去っていったとき訪れる、新たなる時代を迎えるにあたって、再び求められ初めているのは既存にあったデジタル技術そのものを、既に達成済みの核となりえるベーシックとして踏まえた上で、新たなるその人自身が作り上げる世界観だったり、それを発するグルーヴの心地よさだったり、その手作り感だったり、それ故の温かさだったりと、いかに過去と新たなるデジタルとの共存みたいなグルーヴを生み出していけるかが今後の鍵となっていったんだと思うんだ。そういう意味で、櫻坂46との共通点は意外と多く見られるのかもしれない。
80年代の音楽に限らず、全てのシーンやカルチャーにおける、ひとつの在り方については自分自身に特別な技術を覚え込ませる必要は、もはやなくなったようにも思える。最低限の基礎的なことは必要だと思うけど、しかし、オリジナリティが溢れていて、冴えた斬新なアイデアさえあれば、誰でもクオリティーの高い表現活動が自由に出来るようになっていったんだと思うんだ。80年代はそんな夢が誰でも見られた時代であったし、実際にプロとアマチュアの境界線を乗り越え、業種の壁さえも打ち破っていくような、エキサイティングに満ちた瞬間がたくさんあったようにも思えるんだ。
しかし、何でもありと言っても、やはり好景気の経済的余裕があってこそが許容されていたような気がする。バブルの崩壊を迎えるのと同時に、80年代という宴は幕を閉じていってしまった。そこから、待ち受けていたのは、今までとは真逆と言っていいほどの、地に足をつけた地道さ、堅実さみたいなものが、皆から称揚されるみたいな反動の季節と言って。 現代では当たり前のように見られる、もはや多くの世界的主流となった欅坂46や櫻坂46でも見られるデジタルサウンドにおいて、これからいかに核となるデジタルな部分に対してアナログサウンド的なノリを躍らせながらもリアルに表現していくことが出来るのかが重要なテーマになっていくんじゃないかと思うんだ。こうした音楽シーン全体におけるデジタルとアナログの融合させたハイブリッドみたいなものは、特に80年代から盛んに試みられていた気がするんだ。
特に象徴的なのが腕時計の世界だと思うんだけど。僕はアイドルと同じくらい腕時計が好きだったんだけど (でも、そこまでお金に余裕がないので決してコレクターではない)、いわゆるデジタル表示だけでなくて、アナログ表示も備えたクオーツ時計は、針の角度で大体の時間を知るのに慣れているアナログ的感覚風土の中にデジタル技術を根付かせようとした配慮の産物だったんだ。今は特にデジタル文化の中で、いかにアナログを息づかせるかテーマとして問われているようにも思えるし、それは欅坂46から櫻坂46に生まれ変わった、このグループにも通じるテーマかもしれない。
ベクトルの向きは正反対だと思うのだけど、デジタルとアナログの共生と相乗効果の発揚を求めようとしている姿勢みたいなものは共通しているのではないだろうか。例えば昔のものが復刻されることに対しても、現代と当時の符合を認めてのことだと思うんだ。でも、ただ符合するのではない気がするし、可能性の未来を一挙に手に入れようとするような圧倒的なパワーを備えている気がする。80年代が持っていた熱さは、この現代の今だからこそ、そのハッキリとした輪郭を伴ってよりリアルに感じ取れるのかもしれない。時々、今一度デジタルとアナログがキレイに並列して存在していた、あの時代に僕は帰ってみたいと思うんだ、櫻坂46と一緒に。 この櫻坂46が、己に強いグループだということは十二分に理解しているつもりだけど、自分をひとつの閉じた世界に置いているということの、別の世界に対する恐れみたいなものはないんだろうかと思うんだ。例えばコンサートのステージなんかは全面的にメンバーたちの方向を向いているわけなんだけど、それが一歩閉じた世界から出てしまうと、「こんなこと言っている」「この時代にこの表現は正しいのだろうか」みたいな誤解を生む可能性もあり得るワケだし。その辺を、どう思っているのかが気になったりもするんだ。
とは言っても、この職種は表に出ていく仕事をしているわけだから、常にこのグループを、自分自身を表現者として、あらゆる表現で見せていくのが存在する意味なんだと思うのだけど。たとえ何を言われようとも、自分にとって自分が何をしたいかっていうことを考えて表現していくことの方が後悔もしないし絶対いいと思うんだ。だから賛否両論ある作品もあったかもしれないけど、何故これなのかと言われることは分かっていたとしても、何故これを作ったのかというのは、このグループ自身のルールとかテーマみたいなことに対して、どこでケジメをつけるのかということでもあるんじゃないかな。
人間っていうものは常にいつもどこかで、ケジメをつけていかなければいけないワケだと思うし、人それぞれにケジメのつけ方があるんだと思う。もしかしたら、あくまで作った時点ではこれが売れようが、売れなかろうが、関係ないのかもしれないね。要するに自分の課題だったり決まり事なんかを落ち着かせるための、ひとりの人間としてケジメをつけるって意味も含まれているのではないだろうか。でもそれが、僕たちファンであり、メンバーたちであり、このグループでもあるんだと思うんだ。そういう意識があるから、ひとりの表現者として自分自身が櫻坂46で活動している以上は、どう解釈されようが、思いっきり自分の選んだ道を、時には寄り道をしてもいいし信じて歩いていってほしいんだ 世界遺産巡りをしている葵ちゃんには是非ともイラクのジックラトに行ってもらいたい
ピラミッドともバベルの塔とも言われている巨大建造物にね 葵ちゃんはまだクリイキだと信じてる
まだ中イキはしていないと信じてる >>490
海外旅行の主目的が観光より男遊びだったりしてな 例えば自分自身を、ちょっと引いた目線で客観的に見たときに、櫻坂46ってこれだよね、こうあった方がらしいよねっていうところよりも、メンバーたち自分自身が楽しめなければ、もしそうじゃなかったら櫻坂46というキャラクターは作っていけないと思うんだ。そこからメンバーたち自身が完璧に作り上げていくんだと思うし、要するに何に対してもそれは自分の人生だから、メンバーたち自身がどう活動していこうとも、それが人生というステージなら決して無くならないものなんだと思うんだ。人間としての一線を超えない以上は。
それを超えた時に、やっぱり色々悩んだりだとか、自分に自信が持てなくなったりだとか、何かが変わり初めて来るのかもしれないね。でも、そうじゃない、もっとピュアな方向に物事を持っていくという事が出来たとしたら、ピュアになるっていうのは人間のどこかしらにある、もっとも大事な核となる部分があると思うんだ。だから、メンバーたちの卒業発表もそうだけど、ステージで最高のパフォーマンスを見せるこのグループのすべてに対して、それがたとえネガティブなことだったりしても、ファンみんなが理解してくれて、そこにあるであろうメンバーたちや、ファンの人たちの愛情をきっと受け止めてくれてるんじゃないかと僕は思うんだ。
もしかしたら、そういうことをストイックって呼ぶんじゃないだろうか。今まで積み上げてきたキャリアやこれからのキャリアだったり、その自分の意志っていうのが、今という瞬間になっているんだと思うし、それはこのまま同じことを続けていくってことではないだろうし、例えば上手に歳をとろうという言葉だけ聞くとネガティブに聞こえなくもないけど、そうじゃないと思うし、その逆で自分自身が目標を立ててそれに向かっていくことだと思うんだ。でも不思議なもので、夢っていうのは近づくと遠ざかる、いつまでたっても叶わないかから皆諦めてしまうのかもしれない。僕たちも、こうやって生きながら実はこれだけ成長できているんだ。櫻坂46と共に。 いやこっちのスレでだったら書いてもいいよ
完全に荒らしというほどではないし、書く権利自体はこいつにもある
だから、「たまたまウザいと感じて堪らなかった人たち」だけで勝手にこのスレから出ていくんで、
ちゃんとした住み分けをしようとしてるだけなんで、絶対に付いてくんなよ、という話 長く活動してくれば、欅坂46の初期の頃から応援してくれているファンもいれば、櫻坂46から新しく応援しているファンもいるだろうし、別にそこに特別な差みたいなものがあるとは思わないけれども、ファンのみんなが、このグループに対して持つ理想は新規も古参も変わらないと思うし、でもひとつ言えることはファンのみんなが求めるものが、どうであろうと、このグループのやろうとしていることは、そう多くはなくて明確である。いい意味でアバウトに言えばひとつなんだと思うんだ。ポップな世界観も自分であるし、シリアスな世界観も自分だし、楽観的な世界観も自分たちなんだと、実はこれらは永遠に無くならないで、このグループのパフォーマンスの引き出しみたいなものが、増えていくみたいなものだと思うんだ。
そういった意味で、このグループと共に臨機応変にメンバーたち自身の中で成長していって進化させていくことが出来ると思うし、うまくいけば、まだ見たこともない新たなる自分だけの世界を見つけることも出来るのかもしれないんじゃないかな。でも、間違ってほしくないのが、仮に、それを見つけたとして、でもそれを見つけたということだけであって、決してそれを極めたということではないと思うんだ。それらを極めていくというのは、これからのメンバー各々の作業だと思うし、メンバー自身にも差はあると思うんだ。それは並大抵の努力では極めるのは不可能なぐらいの高みにあるのではないだろうか。
このグループのメンバーとして、このパフォーマンスを行っていくうえで、確かなものとして維持していかなければならないんだと思うんだ。そこにキャリアや実績みたいなものが加わっていければ、押し上げることが出来るのではないだろうか。このグループに関わるすべての人やメンバーたちに対しても、そういう意識があるから、変に若い人たちだったりとか、あるいは新しいファンを獲得するとかいうよりも、より素晴らしい、人々の心に響く楽曲に出会うということと、そしてそれを最高のパフォーマンスで披露していくということで、ごく自然にファンは増えてくるということじゃないかと僕は思うんだ。 葵ちゃんが卒業してから、この曲ばかり聞いている気がするんだ
「さよならだけど さよならじゃない」 作詞 山田邦子 作曲KAN
さよならだけど さよならじゃない
明日も心 元気 平気
思い出だけど 思い出じゃない
記念のリボン 君にあげよう
きっと きっと ここで会おうよ
ねぇねぇねぇ それじゃ
うんうんうん またね
そぅそぅそぅ いつものそぅ!笑顔
やまだかつてないWINK 「さよならだけど さよならじゃない」より抜粋 やはり、このグループのいわゆる、プラスティックなパフォーマンスじゃなければ成立しない世界観があったわけだと思うんだけど、そしてこれからの受け継いでいくべき未来に対する、このグループにおける新しい櫻坂46の世界が拡がっていこうとするときに、アイドルであるというかポップスターでもありながらひとりの人間として、それらの複雑な意識はメンバー自身のなかで変わらないものなのだろうか。環境や置かれた立場が変われば、人はそれなりの変化として表れてくると思うし、僕自身は、このグループがアイドルグループであるだとかスターであるだとか考えたことは、あまりないのだけれども、そこにあるひとつの事実として受け止めている気がするんだ。
それは、僕にとって、このグループのパフォーマンスを見るにあたって、あまり重要なことではないんだと思うんだ。たとえば、櫻坂46のコンサートに行ってメンバー各々のパフォーマンスを見て、「このグループはいつまでもやっぱりアイドルだよね」と思ってくれるファンの人がいてもいいと思うし、「クールなパフォーマンスはアイドルの域をこえてるな」とか、ファンそれぞれの見た人が見たまま感情でもって、このグループのことを捉えて受け止めてくれれば、それが仮にその人の永遠のアイドルだろうが、その時のスターとか何だろうがどうでもいいことなのかもしれないね。
いずれにせよ、そこに最高のパフォーマンスが存在するということが最も重要なことなんだと思うし、このグループがやっていることは、どこまで櫻坂46としてこの世界観を忠実にパフォーマンスしていって、それを極めていけるかということしかないわけだと思うんだ。それに対してパフォーマンスを見たファンの人たちの感情に左右されるほど、このグループの持つメンバー各々の表現者としてのプライドだったり、根底にある情熱や意志だったりは、そう簡単に揺らぐことはないはずだ。もしかしたら、それが、このグループがファンの期待を決して裏切らないという証なのではないだろうか。 お、おう😨、、やればできやるないかボウズ😨、、、
これからはもっとみんなから認められるふうに頑張るたらなあかん事やからな😨
(((✋)))((((😨::))))
ζζ😦>>501
😨😨😨😨 >>501
こっちなら全然書き込んでいいからな
ありがとうやで この曲がより響くようになった、これは現時点の葵ちゃんのテーマソングといってもいいと思う
誰にも負けない誓い
ぎゅっと胸の片隅で抱きしめて
いつも悲しみという
見えない敵と戦ってゆくんだ
輝きを手に入れる そのときまで
まぶしいこのトキメキは何が起こっても どんなときにでも誰にも譲らないよ
ただまっすぐ生きていく気持ち
永遠に私の誇りにするの
未来へのドアを開ける鍵はいつも心の中にあるよ
頬に吹く木枯らしに立ち止まらないで探しだそうよ
幸せがきっと私を待ってる
そういま 夢へのポジション
スタートしたばかりなの
宮前真樹 「夢へのポジション」より抜粋 葵ちゃんと理佐等の食事だけでもいいから配信してほしい もしかしたら、ひと昔前と違って今、アイドルがアイドルであることだったり、スターがスターであることが非常に難しい時代というか、そういう時代なのかもしれない。それらの境界線みたいなものが無いに等しい時代なのではないだろうか。今は誰でもスターになれる時代と言えるのかもしれないが。それが本物か偽りなのかは別としてね。例えば、今のこの時代は昔以上に、アイドルグループの活動の幅も多岐にわたっていると思うし、特に驚くこともないだろう、「今日はアイドルとして活動している」と非常に自分自身を客観視してしまう時代の中で、それですらも他から言及されることを前提にアイドルとして活動していくことに対して。
そんな現状の中で、このグループの持っているストイックな部分であったり、欅坂46を経て、デビュー時に付けられたこの櫻坂46というマザーシップ。そこにある全ての存在に対してのライフワークとしての、このグループのストイックさが好きで、僕はこのグループのパフォーマンスを見続けてきたのかもしれない。今のこの時代、本当の意味での真のアイドルの不在だったり、スター不在と言われる時代にも、欅坂46の結成当時からこのグループは、あくまでいい意味で、その昔ながらのスタンスを突き通しているようにも思えるんだ。僕には、ある種の頑固さみたいなものさえ感じるし、でも現代人ならではの柔軟性も感じられるんだ。
でも、みんながストイックでクールって思うのかもしれないけども、どんな人であれ完璧なんてことはありえないと思うし、それはエンターテインメントに限らずだけど、でも、このグループは毎回、人々を感動させる素晴らしいパフォーマンスを披露しているし、毎回、素晴らしいと思うライブをしなければ人は来ないと思うし、メンバー各々それを自覚していると思うんだ。仮にお金儲けのためにやっていたとすれば、そういう心の隙みたいなものはパフォーマンスに現れ確実に見ているファンの人に伝わって垣間見られてしまうと思うんだ。「そんなことするなら、このグループを辞めるよ」頑固な職人気質な櫻坂46なことだ、きっと笑いながらそう言うんじゃないかな。 これから社会人になる葵ちゃん、子供っぽい下着やTシャツは俺が買い取るから一緒に新しい下着を選びに行こう!
ちゃんと試着したら見せてね! 私の姉妹たちと喧嘩しても、あなたを守ってあげる
だってあなたのハートを私は、たったひとりで守りたいもの・・・なんてね (* ̄▽ ̄)フフフッ♪ 「あなたの夢を〜あきらめないで〜」という誰もが知っているであろう素晴らしい名曲がある。この曲を聞いて、どれだけの人が勇気づけられたことだろう。夢を持たない人にしてみたら、夢を持つこと、夢をただ待ち続けることなんて無意味なことなのかもしれない。でも僕は信じたいんだ。夢の意味というか、その大切さを。そして櫻坂46はずっと夢見る人で時を大事にしながら、今という現実を夢見てきたんだろう。この、ひたむきさが夢を叶える原動力になったことは言うまでもないだろう。櫻坂46として理想と現実の狭間で華やかな世界で働くプレッシャーなども、僕らが想像する以上のものに違いないだろうし、それは櫻坂46に限らず他のグループにも言えることかもしれない。
ただそれは、メンバー自身の疲れでもあるかもしれないし、この世界を生きる僕たち自身の疲れでもあるのではないだろうか。そして櫻坂46と共に歩んできて、夢を見て、そこにあるかすかな希望を持つことで、そうした疲れとか希望をファンのみんなと共有することで、櫻坂46が歌って踊ってパフォーマンスをしてメッセージを残していったように、世界がまた良い方向に動き出しそうな気が僕にはするんだ。僕にとって櫻坂46というのは、そうした本物の希望のメッセージを送り届けてくれる大切なアーティストでもあるんだ。
それは櫻坂46の、昔から変わることない、ファンへ対する最大級の敬意でもあり、ファンを第一に考えるという、ファンなくしては櫻坂46のパフォーマンスは成り立たないという、このグループの根幹にあるような最も重要なものだと思うんだ。そこを、蔑ろにしてシーンから消えていったアイドルグループを僕は山ほど見てきた。でも、この櫻坂46は違う。いつだって、ほのかな希望の念が静かに心に寄り添っていて、美しい希望という夢をみんなで一緒に折り紡いでいるんだ。 このグループのパフォーマンスというもので、ステージを作り上げていくことに対して、それが緻密であればあるほど面白いものが出来ると思うんだ。このグループのライブはメンバーたちもファンの人たちもテンションが高いし、そういう意味でライブを行う環境はかなり整っていると思う。このグループの、それは構成から、パフォーマンスから、全てにおいても非常に完成度の高さを誇っていると思うんだけど、もちろん完璧ではないと思うし、ミスもあるとは思うけど、でもミスの許容範囲を広げていってはいけないということが大事になってくるのだと思うんだ。というよりも、もしかしたら、このグループのパフォーマンスには完璧なものなどは存在しないのかもしれない。
例えば、メンバーがセンターポジションでフリを間違えてしまってしまったとして、でもそれを逆手にとって、その後のトークで「今日はせっかくのセンターなので、軽くアドリブのフリを入れてみたんだ、今日だけの特別感を表現してみた、今日のライブは今日しかないからね」と言ってみたらどうなるだろうか。予測出来ないことが起こりえる、それがライブの一番の良さ、醍醐味でもあると思うんだ。心のゆとりともいうべきかな。ライブでやっているからこんなことはあって当然だよねってなると思うし、逆にそれを逆手に取ることによって、会場はより盛り上がるし一体感が生まれると思うんだ。
2時間以上あるライブで激しいパフォーマンスが続いていくわけだし、体力的な厳しさもあるだろうし、それに立ち向かうステージに上がるべきトレーニングも必要になってくるんだと思うし、これからもそのサイクルは変わらないものなんだと思うんだ。非常に厳しいことをやっているようにも見えるかもしれないけど、櫻坂46が櫻坂46であるためには何をしなければいけないのか、最高のパフォーマンスを見せるということは、どういうことなのかという、ところからこのグループはスタートしているはずだから、メンバーたちからしてみたら当たり前の自分がやるべきことをただ忠実にやっているに過ぎないんだろうね。それをプロフェッショナルと呼ぶんだろうね。 道
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
葵ちゃん 今の櫻坂46を一言で言うならば、この櫻坂46というグループに漂う輝きに満ちた未来を予感させる何かを、僕なりの考えで何かしらの形として残してみたいと思っているんだ。このグループの作品やパフォーマンスに込められた、ある意味、予測不能な時間への、ある種の挑戦的ともいえるかもしれない、そこに存在するメッセージを具現化してみたいという、それは衝動としか言い換えられないような、熱い情熱みたいなものに後押しされたのではないだろうかと、今の僕にはそう思えて仕方がないんだ。それは他のグループにはない、そう思わせる何かが、このグループにはあるんだ。
今までこのグループが作り出してきたであろう、その世界観だったり、すべてのシチュエーションにしかり、なんとも言えないような、うまく巧妙に計算されたかのようなアクシデントみたいな、偶然性そのものをうまく利用しているかのような気がしていて、それらの積み重ねなんではないだろうかと思うことがあるんだ。それらを目の当たりにすると、まるで初めから終章が存在しないような小説を、読み進んでいってしまったかのような茫漠とした渇きのようなものに取りつかれるのは、もしかしたらそのせいかもしれない。
半分ぐらい分かってるつもりなんだけど、あくまで解けそうで、解けない、どこまでも続くような気さえする方程式が目の前に憚っているような、あの感じがする。だけども、確かにそこに何かを確実に示唆しているようなベクトルがあるようにも思えるし、その向こう側に横たわるものが、このグループ全体だったり、各メンバーたち自身には見えているような気がするんだ。このグループは、自らの足跡をひとつひとつ丁寧に確実にたどりながら、少なくともこのグループの未来は、いま確実に形を成しつつあるように僕にはそう思えるんだ。 夢は見るものじゃなくて、叶えるものなんだと思うんだ。 叶えたら人生終了しちゃう夢もあるので必ずしも叶えることはない 櫻坂46というある意味、自分自身において特殊な変装による自我の強化を狙うのではなくて、
自分自身のなかで、未開発な部分に別の人格を与えることによって、
あらためて自分と対置することが可能になるんじゃないのかな。
そういう、正反対の性格ながら自分と共通の部分をもち、共生することへの憧れは、
もしかしたら、一人であるということの不安や、自我の失われた表現なのかもしれない。 これは別に、アイドルシーンに限ったことではないんだろうけど、あらゆる日常や分野でも言えることなのかもしれないけど、アイドルシーンに現在、メジャーレーベルだったり、インディーズだったり、いろいろ細分化されてて、これだけたくさんのアイドルグループが存在している以上は、櫻坂46みたいな勝者として君臨するグループもいれば、敗者と言ったらちょっと違うかもしれないけど、もしかしたら、ずっと日の目を浴びることができないかもしれないような、そのようなグループも確かに存在するわけなんだ。むしろ、そちらの方が多いと言えるのかもしれない。
成功するのか、失敗するのか、という日常生活の場面においても、もし、そんな心情を課しているのではないだろうかと思う人を見つけたときに、もしかしたら気づかないふりして僕自身もそうなのかもしれないけど、それは僕自身分からないけど、そんなときに陥ってしまうような強烈な事故嫌悪感みたいなものを人間は簡単に消しきれないのは、誰が成功した人か、誰が失敗した人か、なんて自分以外に決めるものなんてこの世にないと僕は思っているし、だからそんな自己的みたいなものに、人生においてなんの価値も意味もないからだと思うんだ。
ましてや、その手の成功したからどうとか、失敗したからどうとか、なんてものは他人が決めるものだと僕は思うんだ。それは未来だったり、歴史が決めるものでもないと思うし、そもそも、その人の人生だったり、生き方は勝負で図るものではないと、きっちりと言い切ることも、一方では可能なんだ。それなのに、ファンや、人々の記憶と歴史に残るのは大体、語り継がれるような偉大なる名勝負であったりするんだ。それが、格闘技みたいな物理的な戦いの場合なら、なんの問題もないのかもしれないが、心理的な駆け引きまで含まれるのだから、もしかしたら人類というのは常に結果という基準に踊らされてきたのかもしれない。 櫻坂46の世界観や、このグループの取る行動は、その時代や場所の常識や習慣に左右されているようにも思える。
空間や時間など、それらの認識もその例外ではないにかもしれないが、
あらためて、その事実が意識されないほど、それらは自明のものとして受け止められてる気がするんだ。 欅坂46時代から続いてきた、これまでの定型化していた核となる要素みたいなものを打ち壊し、新たな櫻坂46としての強烈な直接性をグループに与えることに成功したんだと思うんだ。それは、これまでのこのグループに見られた主張に代わって、あらゆる角度から、より大きな視野からのこのグループの持つ理想などを歌って表現していくというべき、新たなる方向性を櫻坂46の個性として、このグループが見出したことも大きく変化したことだと思うんだ。
確かに、このグループは他のグループに比べても、いろんな新しい要素を持ち合わせていると思うし、いろいろな顔を見せてくれるだろうけど、だけどそれだけじゃないってことも、このグループはハッキリ示してきたと思うし、ある意味で日本だけでは収まりきらないグループに成長したんだと思うんだ。日本以外の人でもオーディエンスが曲やパフォーマンスに心底、共感してくれているという話を聞いたりもするし。もしかしたら、それは櫻坂46というグループのアティチュードが全てを表しているってことだと思うんだ。
だから、やっぱり単なるグループというよりかは、その人にとっての人生と言っても過言じゃないのかもしれないんだ。このグループが成功しているのにはそれなりの、ちゃんとした理由があると思うし、それは日本においても、みんながこのグループに一目置いてるのが、ひしひしと伝わってくるんだ。アイドルの曲が嫌いで受け付けない人も、どんなグループなのか知らないような人でも、この櫻坂46というグループには興味を持ってくれているんだと思うんだ。というよりも、もしかしたら、このグループに何かを託そうとしているのではないだろうか。夢?希望?それは新たなるこのグループとの絆に到達した証でもあるのかもしれない。 欅坂46が語ろうとしてきた、この時代、この現実への煩わしさみたいなものは、
この生まれ変わった、櫻坂46のメッセージとも共通しているようにも思えるんだ。
その現実の彼方にある、圧倒的な非現実的なおぞましいい何かを表現しようとするとき、
物語のリアルに、この日常のリアルを横すべりさせるという手法は、櫻坂46が選んだ方法でもあるんだ。
そこに提示される日常の果てには何があるというのか、そこが重要になってくるだろう。 ほんと毎回、これほどの素晴らしい曲を作り上げていくことの難しさは並大抵なことではないんだろうけど、櫻坂46というグループに対しても、メンバー自身においても、自分にとって何が一番大事なことであるのかとか、何が必要ではないだとか、それが表現レベルの向上において大切になってくるんだと思うんだ。この櫻坂46の作り出す音楽やパフォーマンスから感じ取れるのは、その点では周りにいっさい流されない頑固なほどの強さみたいなものを感じるし、それが確固たるグループとしてのライフスタイルとしてリンクしている気がするんだ。
それが、メンバー自身の己の自己と、どこまで関係あるかは、はっきりと断言することは出来ないかもしれないけど、少なくともこの櫻坂46というグループの音楽は、そこにある世界に対峙するであろう姿勢やらを自分たちで、選び取った人たちが作り出すものだと思うんだ。それが、より多くの人にメッセージを届けるということに繋がってくるんだと僕は思うんだ。それはダンスパフォーマンスにおいても言えることかもしれない。でも、多くのファンの人にしてみたら、別にそんな大それた理屈は関係なくて、単にカッコいい音楽だから聴いているんだという意見もあるだろうし、ノリの良いサウンドをただ楽しんでいる人もいるかもしれない。
僕自身も基本的にはそう思っているところもあるのだけれども、でも、このグループの音楽やパフォーマンスは、単なる美しさや、カッコ良さを超えて、聞いている僕らたちの、こちら側の世界をも、浸食してくるようなパワーを持ち合わせているような気がするんだ。僕がこのグループの音楽を聞くいたり、パフォーマンスに感動するのは、単にカッコいいからじゃないんだ。そこには、確かに決して世間的な基準みたいなものなんかに拠らないような、かと言って、それは表現のレベルとかの話だけではない気もするのだけれども、もしかしたら、そこにある存在としての櫻坂46としての確固たる強さみたいなものがあるからではないだろうか。 これから行われるライブは驚異的だが適切と分かっているので、なんて表現は多分、櫻坂46でしか出来ないんだ。
それは、ある意味でアイドルがどうとかという夢を挫く可能性もある長く厳しいライブの記録でもあるんだろうけど
櫻坂46のライブを見ていれば、その構造が増幅する実用書でもあるのではないだろうか。
そして、これらはどこに反映されているのかと思うほど、櫻坂46のライブは矢継ぎ早に進化していくんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています