昔TBSラジオで「結論を出せることより、良い問いを立てられるかどうかが重要だ」ってテーマの番組があった
おれはそれ以前からそういう感覚はあったが、そのように他人が言語化することで、問いの重要さに確信を持つようになった
ここの人には釈迦に説法だろうが、常に問いを立てていると、世の中でたらめばかりなことに気付く
例えば太る原因は食いすぎだよ、ってのをこれまで数えきれないほど見聞きした。おそらく多くの人がそう思ってるだろう。
大抵は自信満々だ
しかし、そういう人に
「大食いタレントで痩せてる人がいるのはなぜ?」
「太りたいって言ってるガリガリ女をたくさん知ってるが、そいつらはたくさん食ってるが?」
というと答えられない。逃げられないとなると「それは特殊体質だ」とか「食ってるって言ったってたいして食ってないんだよ」とか答える
それはなぜわかったか?と聞くと、こちらを人格障害扱いして終わらそうとする。
つまり、「食べるから太る」はたいした根拠が無い。
同様にコロワクならなぜ、すぐ変異するウィルスにそのワクチンが有効なのか?というのが一番大きな問いだろう
そこから、「なぜ、ワクチン打ってすぐ死んでも問題なしなのか?」
「ワクチンと言うものは感染を防ぐか防がないか?というもののはずが、なぜ重症化を防ぐことになってる?」
「なぜアビガンを使えないようにしたのか?」
とかいろんな問いがつながって出てくる。