例えばテレビのリモコンとかさ
日本のテレビってリモコンのボタンがスゲー多いじゃん
当然ボタンが多い分“色んな事”ができるんだけど
その色んな事が出来るようになる分、何を使えばいいのか?
という問題が起きている
つまり、やることが多すぎて、あれもこれもとなってしまい
結果、テレビを観るはずがボタンを押すことに労働を強いられてしまう

これと同じ事がゲームにも言える
最近のゼルダなんかがそう
オープンワールドで色んな遊びができて自由度がある
聞こえは良いが、実態は無駄に“作業”を強いられる形になってる

この作業。つまり作業感って、ゲームと相反する要素なんだわ
ゲームってのは日本語に直訳すると遊びだから遊んでなんぼ
作業になってしんどいと感じた時点で遊びじゃねーのよ。ただの労働なのよ

ゲームなのに労働って本当に無駄な要素
このゲームとして無駄な作業感を一切なくしたゲームの筆頭が“マリオ”なんだよね
マリオってまったく作業感がない。ゲーム中に「コイン集め」っていう要素があるけど
あれも広義的には作業の一種なんだけど作業感は微塵もない
何故なら、敵に接触せず敵を踏んづけるというゲームをしながらリアルタイムに
コインを集められるから
つまり、コイン集めってのはマリオというゲームそのものなわけ
分離されていないのよ。アイテム集めと戦闘という無駄な枝分かれがなく

プレイヤーに作業感が強いられない。これってスゲーシンプルなことなんだけど
ゲームとしてスゲー大事なことでゲームとしての完成度をスゲー上げてるの
だからマリオって最初から完成されたゲームだからこそ、幅広い層から売れてるし
万人受けしてるでしょ?
世界で一番売れている家庭用ゲームってマリオなんだぜ?
それは単純にゲームだから。そして面白いから。だからゲームを求めて皆がマリオ
=ゲームを買うのよ
買われないってのは、ハッキリいうと人々からゲームとして見られていないってこと