初代プレステって、なんでどうしていきなりぶっちぎりで覇権ハードになれたの? パート2 [無断転載禁止]©2ch.net
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プレステいきなり大勝利ほどのインパクトもう無いだろうな 初期はサターンと接戦だったぞ
FFが決め手になって大きく差が付いた感じじゃなかったか サターン最高のRPGグランディアがPS1に移植された時点で詰み ソニーがゲーム機ってのもよく分からなかったけどナムコ頼みかなと思ったらSCE自身でもトロとかぼくなつとかXiとかGTとか斬新なゲーム出しててやるなぁと思ったな 今から振り返ると
WiiやDSで任天堂が獲得した、もしくはしようとしていたターゲットを
あの頃のSCEはSMEあたりの企画力で地味に獲得していってた。その上でFFのインパクトもあり
とにかくファーストが日本の幅広い層に向けて精力的にソフト出してたイメージ
どう考えてもあり得ないけど、あの頃みたいにSMEと連携してソフト出しまくって
Vitaの後継機をswitchみたいな形で出したら、たぶん余裕でソニーが勝つと思う
もう今は日本重視してないから妄想でしかないが
・・・セガもまだ元気だったんだよなあ、あの頃は・・・ >>4
それは日本だけの話だな。世界的にみればサターンは初っ端から大コケ。 ポリゴンのインパクトと流通改革
サードにも小売にもしがらみがなく自由にできた
ディスクメディアだからインフレしてたソフト単価を5800円に設定できた 当時はセガ派でデイトナの発売日が待ち遠しかったな
待って 待って 待ってようやくの完成品がポリゴン欠けだらけのコースだったがっかり今でも忘れない
比較的ポリゴン欠け少なかったリッジが羨ましいかった
しかもロンチであのクオリティって当時は悔しかったな 俺はあんまり32ビット機は興味なかったけどバイオ2はやってみたいと思ってPS買ったな セガが海外で人気あったのソニックのおかげもあるしな
任天堂がマリオ64
セガがペパルーチョって嘘だろ!!
まあナイツは良かったけど、中さんってサターン初期何やってたんだ サターンに覇権を取って貰いたかったが、とりあえず任天堂がコケたのは嬉しかった
あの頃の任天堂は大嫌いだったからな、ちなみに今のソニーも嫌いだ ハードの進歩によるゲーム的なブレイクスルーのタイミング。
これが任天堂には不利なタイミングで起こった。
SFCが90年11月発売で、94年〜95年というのは、SFCの爛熟期。年間タイトル数がピークになったころ。
任天堂としては新ハードなんてとても出せないタイミング。
そのタイミングで、3DをCS機に持ち込めるだけのブレイクスルーが起こった。 PS1:1億
64:3000万
サターン:850万 PS、SSの発売当初からしばらくはゲーム専門雑誌も色々あって
PSの情報が欲しくて内容がかなり被ってるのに複数買ってたな >>15
中さんはスーパー32X用のソフト作ってたね。 プレステ買うか64買うかで迷ったなぁ
どちらが天下取るのか…
当時はマルチなんて言葉無かったからな
結局、プレステ選んで正解だった、さすが俺 その頃のソニーが出すカジュアルゲームにひかれた
パラッパ、どこいつなど
ソニーのネームバリューも凄かった
ゲーセンでBEMANIシリーズが流行ってたのも個人的には後押し
ナムコがフル協力の上にFF7やDQ7で決まった感じだったな
それでも当時は64とサターン派だった
サターンはエロゲやめたのが個人的に残念
セガ機は初めて買ったので噂のソニックの発売を待ってたが全然出なくてバーチャ専用機となった
グランディアやナイツで満足
64は任天堂以外のゲームがゴミすぎて任天堂専用機となった 96年4月に高校入学祝いにサターン買っえもらおうと思ってたけど売ってなくてプレステ買ってもらった
結局それで正解だった RPGがゲームの主役だった時代
6から間が空いて飢餓感あった所に当時の技術力を
全て突っ込みましたって感じの7が登場して一気に傾いたよね
それまではサターン優勢だった
あとはソフト価格が大幅に安くなった事や
バイオハザードや鉄拳なんかの力もある ときメモやるためにPS買った人多いよな
衝撃的だった 任天堂最大のピンチでポケモン 時のオカリナを出す辺り恐ろしい FF7が決まるまで64が真打ちと思われてたのに歴史ねつ造? >>29
ソニーの全盛期って今だぜ
今のゲーム部門は売上2兆円間近で絶頂期のPS2の頃より稼いでる また恒例アフィアンケートスレ
ここまでPC-FXと3DO無し
天外3がちゃんと作られてたらわからなかったぞ >>32
ねーよ、任天堂派の半分はSFCで十分だと移行しなかった
ライトユーザーはPS
64なんて最初から終わってたよ
セガは戦略が駄目だからハード中盤からアカン様子見しよって雰囲気になる
ソニーはステマが上手いからハード中盤になると良いイメージが浸透して買わなきゃとなる
サターンが微妙だったのとソニーの戦略が上手く噛み合ったね
流石セガ 64はハードが延期に次ぐ延期で三行半突きつけられたからな 2Dの書き込まれた芸術品的なFF6 クロノとかの
グラフィックから
ポリゴンむき出しの、子供の工作みたいなキャラになって
嫌だったなあ。 サターンが海外でダメだったのはわかるが
もし3Dに強いハードでFF7もDQ7も誘致できてたら
三強対決のまま次の世代に移行したのかな? 任天堂は低容量高価格のカセットでゲームの価格は高騰し続けていた
そこへポリゴンで新たな可能性を示しながら大容量低価格のCDを使ったソニーのPSが登場したんだよ
時代が変わったと誰もが感じていたな PSのソフトでポリゴン3Dゲームの可能性感じた事なんて一度も無いがな
時オカマリオ64が飛び抜けてた >>42
リッジレーサー60fpsとか完全に次世代のゲーム仕様だったじゃん
DCになっても発売急がせるために30fpsで妥協しまくってたセガとかその辺全然理解してなかった >>42
リッジレーサー見たとき、これは任天堂じゃ出せないと思ったけどな PS、SS、64、PCFX、NEOGEOCD、3DO、JAGUAR、プレイディア
後の世に伝わる戦国七雄である >>40
あまり意味のない前提条件だな。FF7がPSに決まったのは海外でサターンの
大失敗が確定したのもあるだろうしな。 PS・SS時代の始まりってのは、色んな意味で転換期なんだよな。
2Dのドット絵時代から、3Dのポリゴン時代へ。
アーケードと同等の移植は不可能だった時代から、アーケードで互換基板が使われる時代へ。
ROMカセットから、安価で大容量の光学メディア採用へ。
そして、安価で大容量の光学メディアの採用は、実機では再現不可能な演出でも、
プリレンダムービーの形でなら再現可能にしてしまった。
そこから、派手な演出がRPGに導入されていく。
その転換期が、任天堂がSFC時代の真っ最中に起きてしまい、PS・SSが市場を広げていく中、
任天堂が波に乗り遅れてしまった。 リッジレーサーの対抗馬だったデイトナUSAも面白かったんだがなあ
続編には恵まれなかったな
一方セガラリーは奇跡のように滑らかに動いてたが セガならメガドラのバーチャレーシングだな
あの頃のゲーセンは熱かったなあ 日進月歩で進化して面白い。
2000前半ぐらいから
採算が合わなくなってきて残念 >>41
ROMが高いからとか言って9800円だったマリオ64の振動パック対応版が6800円になって
やっぱりぼったくってたんだなと思ったわw PS2時代以降はプレステがじわじわと高くなって
任天堂は大作でも6800円固定で安いと言う サターンは途中から
アニメゲー専用機みたいなヲタ路線に舵を切った感がある
そこでもう完全に勝負が決まった >>48
転換と言えばソニーの流通改革がもっとも大きい事件だったじゃないか。
任天堂の分納方式だとか悪名高き初心会流通等でサードや小売に重くのし掛かっていたリスクが一気に解消したからな。
蜘蛛の子散らすみたいに一気に任天堂からサード居なくなったのは爽快やった。 任天堂ばっかり言うけど
サターンも当初は8800円だったからね。
プレステに合わせる形で5800 6800になったし >>56
まぁこれで勘違いした馬鹿ソニーが中古裁判起こして負けたことが
その後の市場に悪影響を及ぼしたわけだけどな ゲーマーならなにも驚きはないだろ
任天堂はクソハードしか作れないからゲーマーに見限られただけ
任天堂が負けた原因がわからないのはスーファミみたいな超絶クソハードでコマンドRPGばかりやってた任豚のようなニワカだけ
こういうニワカがコマンドRPGが少なくなったことに不満を持つようになりソニーガーやっている >>58
はぁ?意味の解らんことを
本当に悪影響が出るのはソニーの中古対策が裁判で通ってしまう場合じゃねーか。
裁判で否決されたんだから、市場はこれまで通り。
ソニーが調子のりすぎについては同意だが。 >>36
ねーよ
FF7の情報がでるまではどうせ64が勝つんだろっていう空気だったろ >>63
完全に思い出補正入ってるってそれ
当時64の発売タイトル数はサードに逃げられて発売前から最後までスカスカ状態で「選りすぐりのタイトルを出す」とか強がりwwwって笑われてたぞ
誰が期待できるんだよコレ
↓
ps 3290タイトル
64 208タイトル
ss 1057タイトル >>35
組長に「99.99%ダメ」って言われた3DO… 何かPSばかりこういう言われ方するけど、
任天堂(ファミコン)だって後発でいきなり覇権ハードになったんだからね
任天堂がCSの元祖みたいに思われてるけど全然ちゃうから >>53
それな
いきなり9800→6800だからな
それに廉価版のPSベストを全力で叩いていた豚もマリオ64の廉価版がでたトタンにダンマリw
豚ァ!! 任天堂の自滅とFF7だろう。
FF7発表まではVF効果でサターンが優勢だったし。 見せかけだけのプリレンダゲーの元祖はスーパードンキーコングな
CMの映像と実機映像もかけ離れていたよなぁ
もはや詐欺よアレ 95年末まではサターン優勢だったけど、数字になおすと200万対180万とかそんなレベルだったからね
まぁほぼ互角だわな サターンとプレイステーションが発売して
メガドラからのファンはすぐさまサターン買って「サターンは最初PSに勝っていた」状態
もっと大多数のスーファミファンは94年末まだスーファミから動かない95年まだ残ってる
96年スーパーマリオRPG辺りを最後に次世代機に大移動を始める
ここからいままでサターン優位な拮抗が崩れた
プレイステーション躍進は「スーファミ民族大移動」が起きたからなんだよ 95年後半から96年春にかけてのSFCラッシュは伝説的だったな 当時はボリュームこそが正義な風潮があった
RPGが量産されたPSはその点で有利であった
アクションが得意なサターン64は、そこで水をあけられた 神ゲー乱発スクウェア
実質ファーストみたいなもんだったしな スーパードンキーコング・大貝獣物語・ブレス オブ ファイアII・ワンダープロジェクトJ・がんばれゴエモン3
ロックマンX2・ポコニャン! へんぽこりんアドベンチャー・魔神転生2・パワプロ2・クロノ・トリガー
第4次スパロボ・スーパーボンバーマン3・ミスティックアーク・ヨッシーアイランド・カービーDX
聖剣伝説3・タクティクスオウガ・天地創造・ロマンシング サ・ガ3・スーパードンキーコング2・ロックマンX3
風来のシレン・す〜ぱ〜ぷよぷよ通・ドラゴンクエストVI・天外魔境ZERO・スーパーマリオRPG
あと本体が4,000円安くなるクーポン
サターンはPSに最初勝ってもスーファミに勝ってない プレステはCM冒頭と締めの効果音が効果的過ぎた。
20年以上経った今でも基本変ってないのが凄い。 いくぜ100万台!と言ってる隣でアンソニーじゃ売れんわな
スクウェアが一本もソフト出してないのも納得 任天堂がCM最後に「ピコーン」(Nintendo)ってやる演出から
冒頭に「ロクヨンッ」って叫ぶようになったくらいだしPlayStationCMのあれは効果的 最初はVF2の世界的大ヒットでアーケードを制したセガが
CSも制する雰囲気だったんだよなぁ、蓋をあけたらサターンより
PSのほうがポリゴン使ったゲームを作りやすくてサターンで
ソフトでなくてイマイチでFF7が決定打になってセガは自分達でつくった
ポリゴンの流れに乗れずに負け、まぁセガらしい負け方 結局セガはアーケードがあったからこそそっちの集客を潰せなかった
自分の強みが弱みになるのはよくあること >>22
迷ったって、、もう96年入るころにはPS有利って風潮じゃなかった?
少なくとも俺の周囲じゃそんな感じだったけど。 この頃はネットがなかったから国内じゃあサターンが優勢に見えてたけど、海外込みだと国内セガと海外セガの戦略の食い違いで32Xなんてゴミを出したせいで完全に自爆
メガドラで築いた海外シェアをごっそり失う大失態を犯してたんだよなあ
実はFFがPSに来る前に大勢が決まっていたとか笑うに笑えないわ
しかもサタマガとかはその事を一切伝えないと言うまるで第二次大戦中の大日本帝国みたいな事をしてるし 肌感としてはやっぱFF7だよ。
当時サターンユーザで雑誌買ってたけど、
サターンファンで「FF7がpsで出る。悔しいがこれはすごいと認めざるを得ない。
でもバーチャが向こうで出るなんてことはないから!」って編集後記内で画面付きで掲載してたからね。
それだけの実績と期待感があの当時のスクウェアにはあった。 ナムコとスクウェアを引き寄せられた事を含めてソニーブランドのおかげ
なおハードは割とポンコツだったもよう サターンよりポリゴンが出てムービーも綺麗だからだろ
ソフトの定価5800円だから64より大幅に安い
FF7無くても64は負けてた ナムコの裏切りが大きすぎる
鉄拳とナムコミュージアムでロケットダッシュできた ゲームセンターが元気な時代に
PS基盤をナムココナミカプコンタイトーが各社カスタマイズして
豊富な移植作やアーケードでも新しく新シリーズ始めたり
MODEL2の無茶移植&2D格闘ゲーム移植に注力したサターンとはちがう移植状況がうまれた >>86
むしろその2社のやりたい事が一番出来るハードだったんじゃないの サターンとアケModel2とで性能的には雲泥の差があったなー
3Dはダメだこりゃと匙を投げたな
唯一例外的にVF2だけは丁寧に移植して60FPS実現して一応のプレイ感は保てたもののそれ以外のModel2モノのサターン移植はマジでムリくりクソ移植だったものだ
HOD1は悲惨過ぎるグラ、デイトナは20FPSでコマ飛び飛び、セガラリーも然り
FPS半分でもPSのリッジの出来の良さに驚いたものだ サターンのVF2は光源処理をカットしたり背景を2D一枚絵にしたりしてうまく負荷を軽くしていたよな
でもFV以降は余計な処理を増やして悲惨な画質になった… サターンFANは糞みたいな雑誌だったな
PSはゴミ!64はガキゲー!みたいな記事と投稿文が普通に掲載されまくってたし
今まで色んな雑誌見てきたけどあれほどゲハ臭いのはあれだけ
当時PS飽きてきてSSプレイしてたけどかなり不快でしたよセガ信者の皆さん
一方任天堂は時オカミリオン突破!とCMを流していましたねえ
FFはその数倍売れてたんですがねえ…w
コナミのパワプロナンバリングが独占でしたっけね?
コナミは64に注力してたようで独占タイトルが多かったね!やったね!
その頃最強サードのスク、カプ、ナムコはPSに数々の独占ミリオンタイトルを連発
SSの自称名作達もPSで完全版に昇華しセガ終了のお知らせ
終盤コナミもビーマニを引っさげてPSに凱旋で任天堂大発狂
そして時代はソニー一強時代のPS2へと続く… 久々に長文書いたけどまあまあ読みやすいな
是非君達も書いてくれたまえ >>70
日本国内だとそうだけど海外でサターンが惨敗だった
サターン発売ちょっと前に32Xを出す愚行
サターンは新機軸ソフトを出すという方針だったためソニックなど主力の投入が遅かった
対してPSにFF7 パラッパ 鉄拳 リッジ バイオ グランツーリスモなどが投入され
ソフトラインナップに隙もなく普通にゲーマー層ライト層がPSへ流れ普及が進んだ 国内はFFで説明がつくが、海外でも1億台突破してスーファミを引き離したんだよな。
スーファミは欧州では売れなかったけどプレステは欧州でも売れていた。
やっぱりポリゴンゲームっていうのが新しかったんだろうな。プレステ以前にも
3DOリアルっていうのがあったけどマニアックだった。
・3Dっていうそれまでにない新しさ
・FFの移籍
・ソニーという企業のブランドイメージ
こんなところかな。 国内はFFで説明がつくが、海外でも1億台突破してスーファミを引き離したんだよな。
スーファミは欧州では売れなかったけどプレステは欧州でも売れていた。
やっぱりポリゴンゲームっていうのが新しかったんだろうな。プレステ以前にも
3DOリアルっていうのがあったけどマニアックだった。
・3Dっていうそれまでにない新しさ
・FFの移籍
・ソニーという企業のブランドイメージ
こんなところかな。 セガが最初勝ってたというけどヒットしてたのがゲーセンのタイトルばっかだったからな
それだとまずはゲーセンでヒットさせないといけないしModel2は無茶移植出来たけどModel3になると難しくなったり勝ち続けるにはかなり難しかったと思う
それを反省してかドリキャスはゲーセン以外のゲームにも力を入れていたな ぼったくりの王を倒した感ぱなかったね
革命が起きたと皆酔いしれていた いきなりぶっちぎりではなかっただろ。
最初はプレステが売れるとは思ってなかったよ。 初代PSは3Dポリゴンに特化したつくりで
ラスタースクロールを駆使した2Dは不得意と言われ
片やセガは32ビット2Dマシンとして、ゴールデンアックスなんかのシステム32やカプコンのCPSシステムを完全移植するなんて意気込みでサターンを開発してた
3Dポリゴンゲーなんかアーケードで100万円以上する基盤でないと無理と思ってたとこに
プレステの3Dに特化したハードの発表でびっくりしたセガは急遽CPU2個積みにするものの、ハードはコストアップ、プログラミングしにくい2個CPUはあまり使われることもなく、性能差が拡大していった >>96
自分PS1は当時ナムコミュージアムと鉄拳専用機だったんで詳しくないんだけど
海外だとPS初期何がヒットしたんかね
グランツーリスモ1は世界1000本売れたらしいけど まあどうせ任天堂が勝つだろうけど
しばらく出なさそうだしどっちか買おうかな〜
SS→バーチャ凄いけど、どうせセガだし任天堂に負けるだろうなあ
PS→ポリゴン性能すげ〜!これなら任天堂のが出た後もポリゴン専用機としてゲーセンのヤツ出そう!
という間違いだらけの予測でPSを発売日に買った俺 64はセカンドのセタのゲームがクソゲーばっか、しかもバグだらけだった 当時、ファミマガで最初にPSの特集組まれた時にまるでSFCの後継機種の様な雰囲気がプンプンしてて、セガは大丈夫なんかなと思ったら案の定予感が的中した懐かしい思い出 適当にググったけどクラッシュバンディクーみたいだな…>初期PS海外
>>106
あの当時はSFCがまだ現役でPS1 SSが出てきてホント悩みどころだったからな…
自分はSSのが中古ソフト安かったもんでSSから買って後からPS1中古買った サターンは、ヴァンパイアハンターとか
カプコンvsマーベルとかの2D格闘がキレイに動いてた。
ゲーセンそのまま。
あれがサターン本来の強みだったんだろう。
残念だ サターンはマニア人気が強すぎてマニアックすぎるのが無理な層がPSに流れた スプライトの化け物ハードなのに売りがバーチャというねじれた状況がね…
あと意外と大きかったのは初期のムービーの差だと思う
見た目キレイで静止画だともっときれいなPSのJPEGに対して初期のシネパックはあまりにもしょぼすぎた
後期のシネパックが最初から使えてればね 後期のはシネパックじゃなくてトゥルーモーションじゃなかったか
それでも画面半分くらい額縁でごまかしてたけど サクラ2とかツヴァイはシネパック
バーチャ2とかソウルハッカーズがトゥルーモーションだね 加えるならガングリフォンと森高千里がMPEG1
デザイアだけ専用コーデックだった記憶が >>110
フレマイとRGBケーブルあったら今でも動くよ
自分はプレイ頻度が下がったしサターン本体逝く前にソフト大半オクに流した スプライトを駆使しまくった超豪華な横スクのソニック4を本体と同時発売するのが本来進むべき道だったんじゃないかなあ
…ペパルーチョって何だよ あのこぶ平に大金払って得たものは
セガの負けイメージと
湯川専務の知名度と
チェキッ娘の見るCDだけだからな 64発売時25000円なのに対しPSが19800円だからな勝てるわけ無い >>97
海外だとPCのフライトシムやamigaでデモなんかで、ある程度3Dが定着
し始めてたから、その流れで3D扱えるプレステが受けたのもあると思う。 >>112
ハイスぺ。スプライトマシンにしたのは良いが。セガが「これからは3Dじゃなきゃ
みたいな感じだったんだろうね。 プレステのGPUって完全にソニーの内製?
それとも、SGI(シリコングラフィック)やS3と言った外資のグラフィック系
メーカーから人材引き抜いて、設計させたとかじゃないの?
家電の組み込みチップの開発である程度、そういうノウハウは「あったかも
知れないけど、初っ端から当時としては完成度が高いGPUを作れたのは
驚き。 バーチャシリーズが、3D時代の後押しをしたのは皮肉。 当時業界ではコンシューマの3D機は21世紀の技術って認識だったらしいからな >>93
サタマガドリマガだって酷かったぞ
ほんとゲハみたいなノリであるコトないコト書いて他ハード貶しまくり
今だったら大炎上して終了だからあんな雑誌二度と出てこないだろうな プレステでたころってまだ任天堂はスーファミなんだよね
64でたのはその2年後で性能はプレステ、サターンを越えてたけど任天堂ファン以外は見向きもしなかったという >>123
セガはアーケードゲームで3Dばんばん出してた時機だけど家庭用はまだ先だと思っていた >>130
当時は3Dゲーは手間やコストがかかったからそう考えても仕方ないかも。 リッジや鉄拳が家のテレビで遊べるインパクトは凄かった >>77
100万台に到達していないのに
到達しているかなのような印象CMを出すとは思っていなかったんじゃね? 64とPS/SSの差って、今だとハイスペゲームPCとPS3ぐらいの差? >>121
PS2だと不具合起きるナムコミュージアムをPSoneでやってた
消費電力も少ないしレトロゲーだったらコレで十分だった FF7発表後のサタマガって
「いよいよE社のDが!?」
「あのE社のDが!?」
「サターンについにE社のDが!?」
毎号さんざん煽ってたよね… >>136
サターンfanも同じように煽ってたね
FF7発表1か月前から、スクウェアがPSに参入するって仄めかしてたな 元々任天堂との共同開発だったと言う話しはわりとよく聞くんだが
内部はサターンぱくってたって話しはあまり知られて無い
そしてSMEに自称「俺がPS作った」と言う男が今は社内でバカにされ落ちぶれて退社した事もあまり知られて無い 同時期に開発してたのにどうやってサターンパクるんだよ Mips系のCPUに、ワンチップ化されたジオメトリーとレンダリング。テクスチャー
の機能を持つGPU
見かたを変えれば。N64がプレステの設計を参考にして作られたとも言えるな。 リッジ驚いたけど、あれがオンメモリで動いてたのがもっと驚いた
CD入れ替えて好きなCDをBGMにできた >>93>>127-128
セガ人はメガドラより前の時代から虐げられていたから多少は、ね
>>139
つまりはクッタリの元祖はセガ…?
いやいやいやww PS1はバイオハザードと一緒に買った記憶があるけどスーファミざけんなこの野郎ってくらいゲームのクオリティに差があったからな メガドライブとメガCDとスーパー32Xをひとつにまとめたハード作れば良かったのに
コントローラにはメガドライブ2をベースにLRボタン足してさ
好きか嫌いかでゲームやっているのか可哀想に
おれは嫌いなメーカーだろうが面白いゲームはやるぞ PS初期はSFCもまだまだ優位だった
だってきたねえポリゴンと美麗なドット技術だもん
バーチャやぺパルーチョ、バーチャルハイドライド、闘神伝、リッジクラスではまだまだボリューム不足で住み分ける程度までしかいけなかったろう
FFはその時点で完全なキラー足り得た >>29
1993年設立のSCEは債務超過のあげく、解散消滅しちゃったしな。 リッジはPS4でも出てほしかったわ
ロンチゲーでクオリティ低いとか言われてるけど、
ドライブクラブ見るとリッジに及ばないなとか、代用にならないなと思うところはある
PS2以降の据置ではずっと60fpsだったが、ドラクラは30fpsだし、
挙動もアンリアルなだけで爽快感が無い 初期はサターン対プレステでサターンがやや優勢だったな
そして任天堂は空気だった リッジはR4におまけディスクついてきてなんだこりゃとおもったら60fpsチャレンジ版とかいっててマジかよと思ったな 携帯機のリッジはPSP除いて30fpsだけど、
強敵との1vs1の対戦やタイムアタックぐらいは60fpsにしてほしかったな 任天堂が空気だったPS1サターン時代が日本のゲーム業界の全盛期だからな
日本に任天堂という会社は必要ないんだよ >>156
そうだね。
債務超過になるような事業ではなかったからね。 >>156
プレステサターン時代は質が悪かったからなぁ
特にプレステ
普通にスーファミ中期〜後期が黄金期でしょうな 黒いCD-ROMがゲーム機用ディスクって感じがした
銀色だと音楽CDっぽく感じた思い出
黒い円盤だとフロッピーの磁気ディスクみたいな?
とか言いつつフロッピー使ったことほとんどなくて昔のドラマのハッカーとかの印象からかも スーファミ中期〜後期なんてソフト一万円越えの暗黒時代やん
当時リッジの値段が5800円でどれだけありがたかったやら 高くても値段相応の価値があればいいのよ
スーファミのソフトはファミコンを色数増やしただけのようなクソゲーだからな >>157やったけどどれもほぼ移植だよ。最新作は番外編でまるで別物だし。
新作が欲しいんだ 本来なら参入障壁となる流通経路を最初から持っていたことは大きい
これがあったから後は体力勝負に持ち込めた
セガが最初は接線だったのに途中からボロ負けとなり会社自体が消滅したのは消耗戦だった証拠
資金力、組織力、営業力すべてにおいてソニーはセガの数千倍から数万倍ある
サードパーティ製ソフトの質と量の差はその結果でしかない
いつか佐伯さんが言っていた「ソニーが負けていいのは松下だけ、オモチャ屋ごときには負けない」というのは嘘偽りない本心から出た言葉だったんだろう SFCはステマと囲いこみでなんとか覇権ハードの座を死守出来たけど
世界的にはMD(ジェネシス)にだいぶ食われてしまってぐらついてもいたんだよね
そしてMDの中途半端な成功でアメリカとの歩調を乱したSEGAと、販売網の太さでは玩具屋とは比較にならない家電屋SONYで勝負あり
日本での結果は当時大きなファクターではあったが、PSとSSの勝負自体は海外で取り返しがつかないレベルで決まっていた サターンはビクターと日立も作ってたよ
Vサターンとハイサターン
ゲーム屋のサターンと音響端末屋のサターンと電気屋のサターン 当時から任天堂はステマでライト層を取り込むのが上手かったからな
ライト層は思考停止して任天堂のハードしか買わないと思われていた時代 宮本はGCのときを「DVDが見れるとかそういう要因で水をあけられた」と語ってたけど
64のときを振り返るなら何て言うんだろう 今にして思うとセガは本当にヘタを打ったと感じる
ソニーはそれまでオモチャ業界という島国の小競り合いの場に乗り込んできた黒船であり
どうあがいても歯が立たない相手であることは最初からわかっていたはず
こんな時企業のやるべきことは従業員や取引先そして顧客へのダメージを最小限に抑えつつ、いかにして会社を守るかだったのにそれをやらなかった
任天堂はそれを理想通りとはいかないまでも高いレベルでできたんじゃないだろうか
このために当時の任天堂のファンは今でもその多くが水準以上、時には傑作と呼ばれるほどのソフトを楽しめるのに対してセガファンは現状に寂しさを感じつつ昔を懐かしむしかない >>156
空気でもちゃんと利益はでていましたから
>>162
RPGは確かに良かった(大手メーカーに限る)
トータルの作り込みだとメガドラに軍配が上がるかな いきなりではないだろ
最初はSFCという王者がいたから全くといっていいほど売れなかった
その後はSONYの営業努力なんだよ 話をぶった切ることになるが申し訳ない
町のゲームを売っていた小さなおもちゃ屋さんとちょっとした知り合いだった
よく「問屋にペコペコしないと品物を卸してくれないんや」と愚痴をこぼしていたよ
ある時店先でゲームの抱き合わせ販売をしているのを目撃した。
子供に売るものを抱き合わせ販売したらいかんやんと言ったら
「わかっているんやけど、売れないソフトを問屋から買わないと
売れるソフトを卸してくれないんや どうしてもこういう形で売れないソフトを
売らなきゃいかんのや、ごめんな」
というふうに話していたよ
あんまり思い出したくないけど一応書いておかないといけないかなと思ったから書いた
たぶん知っている人は十分過ぎるほど知っているだろう
80年代の思い出 ソニー 王道 VS セガ 王道
王道同士のj競争だから相乗効果が生まれて全盛期を迎える事ができた
その後ポケモンのヒットでしぶとく生き延びた邪道の任天堂がゲーム業界を荒らしておかくしくなってしまった PlayStation専門誌は読んでて面白くて本体持ってない頃からたまに買ってた
THEPlayStationのころのザプレは表紙がかっこよくて手に取ってた 初期のザプレはモデルハウスのカタログみたいなオシャレなデザインだったねぇ セガのように正面から勝負して散っていったメーカーこそ評価するべきであり
任天堂のように王道を否定することで生き延びている邪道メーカーは称賛に値しない どんなに体力がある企業だからってハードが成功するような甘い業界じゃない
ソニーが成功したのはやるべきことをしっかりやったから PSが出た頃ってもうSFCは末期でソフトもロクなのがなかったよな? 雷電はタウンズ版以外イマイチな奴ばっかりだったけど、プレステ版は相当にデキ良かった思い出 スーパーファミコンのタイトル一覧のwiki見ると94年末から96年末まで大変なことになってる
一歩間違えればサターンもPlayStationもPC-FXルート……は言い過ぎでも
こんにちまで続いていなかったかも FF6 タクティクスオウガ 聖戦の系譜
スーパードンキーコングとかの
映像の方がキレイだったよね。
2Dを突き詰めるハードも、あってほしかったなあ スクエアが移動してなかったらPSは勝てなかった
おそらくドラクエはサターンで出ていたはず >>178
んなことねーよ
まだPCエンジンもメガドラも生きてたっての
PSが波に乗ったのはFF7発表されてから
それまではサターンと互角だった >>178
そのSFC末期にこそ、SFCの傑作が目白押しだった あの頃はスクウェアの動向がすべてを握っていたんだよな
今からは考えられないだろうけど 全くぶっちぎりとかなかったから、
デマ流すな馬鹿ものが。
最終的にはDC対PS2でセガが折れたのだが
その必要はなかった気もする。
PS2はDVDプレイヤーとして売れたから、
正直、これがソニーの勘違いの始まり。 >>181
1つのハードで2Dと3Dの両方に最適化可能だったのが64。
しかし、最適化のためにはプログラマがファームウェアの作製からする必要があるため
64自体に参入できる会社はごくわずかだった。 >>143
これが家庭用でできるんだ?すげーってなったわ リッジ―レーサーとヴァー茶ファイターのインパクトは凄かったな
初期は完全にナムコ対セガのアーケード対決だった >>132
アーケード版鉄拳って初期はバーチャの劣化って感じであんまり盛り上がってなかった気がする
10連コンボが知れ渡って徐々に火がついた記憶が >>188
SFC-PS辺りのスクは神がかってたからな 鉄拳はソニーと二人三脚だったからね
バーチャと鉄拳は完全に両ハードの代理戦争
鉄拳のアケは3くらいまでは誰もやってなかったが
プレステで育ってきた子供がゲーセン立ち入るようになってからやり始めた人が増えた 鉄拳は家庭用で火が付いたような印象あるけどな
評価の高い3の前の2でミリオン行ってたし >>178
PSが出た1994年12月の段階でスーファミは5年目に突入したばかりで末期ではない
94〜95年はFF6やDQ6が定価1万超えでも売れていたハイパーインフレ時代
クロノトリガー 風来のシレン タクティクスオウガ テイルズオブファンタジアも95年 >>16
今ではソニーが当時の任天堂みたいになっている なんにしても
SFC後期〜PS SS初期、95年頃の雰囲気を覚えてる人は少ないんだなと思わされる
ここで語られてるのはもう少しあと、PS1強時代〜って感じ >>172
初心会こそが楽園だったんよ
今を見てみな十万、二十万で一喜一憂する程衰退している >>196
鉄拳2でバーチャと張り合えるくらい盛り上がってたが リッジレーサー、サイバースレッド、スターブレード、鉄拳
家にゲーセンがやって来たと思ったね、あの頃は ナムコタイトルをPSで遊べるのがデカかったな
牽引力がハンパ無かった ナムコミュージアムがある種のキラーソフトだったな
今じゃとても信じられないが セガエイジスメモリアルセレクションもサターンロンチ直後から展開してれば良かったんだよ プレステはオシャレ人間もプレイしても
恥ずかしくないって言う空気を作ったのが大きい。
サターン64は、マニア向けってイメージを脱せられなかったしぃ ゲーム=子供のおもちゃ という固定観念をブチ壊したのがPSだな
ライトユーザーが一気に増えたのは本体売り上げ台数を見れば明らか PS初期はナムコのおかげ、リッジにナムコミュージアムと鉄拳にエースコンバットやスマッシュコート等面白いゲームは大抵ナムコだった
あそこら辺のラインナップがなかったら3DOと同じ臭いが離れ無かっただろう あの当時のスクウェアはハードの勝敗を決するくらい影響力が有ったな
今はそんなメーカーないから若い奴はピンとこないんだろうな あとまだあの当時はゲームセンターに活気があったから同じレベルのゲームが家でも出来るのは大きかった スクウェアとエニックスはライト層にとっては影響力は大きいけどゲーマーにはどうでもいいメーカー
コマンドRPGしか作れないメーカーだったからな バイオハザードの功績も大きいと思う
発売当初はB級臭くて大して売れなかったのが、口コミでじわ売れした ゲーム機はライト層だけでは天下を取れない
核となるゲーマー層を取らないとWiiみたいな歪な市場になるからな ゲーマーもライト層も取り込めたからPSは大成功だったんだろ ライト層ばかりだと有名なタイトルしか売れないし
ゲーマーよりソフトを買う本数も少ないからな
ハードの普及台数自体は伸びるがソフトが売れない ゲーマーに認められないゲーム機は成功しないって言う分析してて
とりあえずゲーマー取り込んでライトユーザー巻き込む戦略だったらしいよ PS1ロンチ
・クライムクラッカーズ
・リッジレーサー
・A列車で行こう4 EVOLUTION
・麻雀ステーションMAZIN〜麻神〜
・熱血親子
・TAMA
・麻雀悟空 天竺
・極上パロディウスだ! DELUXE PACK >>220
ソニーの分析が正しい
先にゲーマーを取って優勢を保ったままライト層を取り込み勝負を決める
ライト層はどのゲーム機が主流になるのか見定めから買う人も多いからな
ゲーム機の勝負は初期にどれだけゲーマーに買ってもらうかで決まるのよ FC立ち上がり以降の牽引に貢献したナムコに与えてた優遇特権をSFCから全部取り上げて1サードの地位へ貶めた任天堂への報いだな
その優遇特権を銭に変えるべくFC参入社向けにパブリッシャーやってのを咎められた、と言えなくもないが 当時のライト層は任天堂ハード信仰が強かっただろ
ソニーは任天堂からゲーマーをごっそり奪ったから任天堂信仰の強いライト層の切り崩しに成功した
任天堂の転落はある意味ゲーマーの革命みたいなものよ そいやナムコも自社ハード出す噂があったっけ
もし実現してたらどれくらいのスペックだったんだろうか そもそもライトユーザーって言葉が登場したのはPSの隆盛が始まった頃だったな
当時のセガマニア達も「ライトユーザーに負けた」と口々に言っていたものだった 市場規模からしても、あの当時と
dswiiブームの時ぐらいか
一般人まで届いたのは PS、SS登場当時、ゲーマーにとってはアーケードゲームが絶対的な存在で、これをいかに忠実に移植
出来るかがゲーム機の価値基準となっていた
当時は「新規IP=ゴミ」が常識で、特にショボゲーだらけだった3DOがゲーマー達の印象を決定づけていた
PSが3DOと一線を画したのは、国内新規IPが本格3Dグリグリでそこそこ以上に面白かった事だな ディスクを生かした大容量高精細の2D3Dグラフィック(当時で言えばだが)
ディスクの原価が安く販売価格も安い
流通が改善した
そういうことが全部うまく回って値下げとともに人気を確立していった 「いくぜ100万台!」が最終的に1億台も売れたんだもんなぁ 当時の日本のネットではアーケードゲームに関連する話題ばかりだったが、北米のネットを見ていると
アーケード移植へのこだわりはそれほどでもなく、3D実現のクオリティに話題が集中していた感じだったな
北米の議論で面白かったのは「闘神伝 vs 鉄拳」論争、詳しく言えば「30fps豪華背景 vs 60fpsショボ背景」論争
これがPSの全米発売直前までネットを賑わせていた
PS発売前は双方が拮抗状態だったが、PS発売と同時に30fps派は一気に絶滅してネットの世界から完全に姿を消し、
以後アメリカでは現在まで続くfps至上主義が確立した CM効果もでかかったよね
それまでのゲーム画面ばかり映すCMとは一転、日常をテーマにしたCMが多く一般層にアプローチしていった
冒頭の「ジョン!」って効果音もTVに目が向く効果があり、後のゲームCMはこのスタイルが定番となった
キャッチコピーもシンプルながらハイセンスなものが多かった
「サービス満点」、「今年もおねゲーします。」、「ごほうびに」などなど
持ってて当たり前、持ってないと時代遅れみたいな空気作りがとにかくうまかったと思う >>205
ワルキューレの伝説やドラゴンセイバーが家で出来て良かったしな>ナムコミュージアム
3Dゲーがまだそこまで浸透してない時期だったし 提供テロップも企業名じゃなくPlaystationって製品名にしたり斬新だったな 下半身に花を。"女性性"の素晴らしさを伝えたくて(画像集)
https://t.co/m9wP2iFa25 >>1
最初は目指せ100万台と言ってたレベルだったが、
FF7とドラクエで日本は勝負付いた。
SSはソニックもったいぶって北米で失速。
スーパー32Xなんて変なもの作ってたしな。
任天堂はハード開発に難航した上にサード切りでソフト日照りに突入。
ソフト高いわロイアリティ高いわでセカンドも逃げだした。
以後の任天堂据え置きハードは任天堂のソフトしか売れなくなる。 94年95年なんてあのクロノトリガー、FF6、DQ6、テイルズ、ロマサガ3といった超強力タイトル群が出てた時だったからな
値段なんてなんのその
SFCも全然余裕だった時代だよ まさかソニーが天下を取るだなんて任天堂も思ってなかっただろうな 既出だろうがやっぱリッジレーサーのインパクトは凄かった
SFCがメインの時代にいきなりあれだからな。家庭用であれが出来るなんて
一気に10年ぐらい進んだような感覚を受けた。PSすげえ と言うのを一発で魅せ付けた。
まあ実際他社のPSのポリゴンゲーはそんな大した事ないのが多かったから、実際はナムコが凄かったと言うべきだが。
鉄拳の移植度も凄かったし。PSの躍進にナムコが果たした役割はとても大きい
当時セガとナムコはゲーセンにおいてライバル関係にあったから、サターンVSPSは、その代理戦争の様相も呈していた
それ故ナムコも力の入れようが違ったのだろう。実際この時期の両社はほぼ互角だったと言っても良い
そんな互角の勝負をしてる時に、「黒船」が突然やって来たのである。そう、FF7である・・・ 実際10年位進んだんじゃないの
PSが存在せずサターンが計画通り2Dマシンで64が覇権を取ってたら
ディスクメディアが市民権を得たかどうかも怪しいし今頃ハーフHD対応!とか話題になってたかも知れん >>243
その場合は今頃XboxONEが唯一無二の存在になってそう >>243
おいおい
さすがにそんなにタラレバ定食大盛の空論は無意味過ぎる でも俺はCDに行ったことが必ずしも良い事だったとは思わんがなあ
イベントの長期化によるテンポの悪さと言った問題はSFC中期ぐらいからすでに起こりつつあった
しかしCDロムが標準化され容量が飛躍的に増える事で、その問題は一気に顕著化したと言える
RPGなどが特にそうだが、冗長化し快適に遊べるようなゲームは一気に減って行ったと思う
64は逆にゲームの原点回帰を目指し、そう言った問題の解消に向けてゲームのシンプルな面白さを引き出すのを試みてたんだよな
しかし世間は派手で解りやすいムービー路線の方に惹かれ、ゲーム全体がそっちに寄っていくことになる。そしてそれは今でも尾を引いてると思う >>204
実はナムコってサターンに参入はしていたんだよね。
ソフトは出してないけど、参入したことによる情報収集はできていたんじゃないかなあ。 >>247
そうそう。確か参入メーカーの一覧でナムコの名前があった
だから何か出るのかと思って期待してたが、結局一本も出なかったな
違う話題だが、確か海外では64版リッジレーサーなんてのもあったらしいなあ。日本では未発売で残念だった プレステって94年に出てたのか
96年くらいまでは割と空気だったな >>249
あの時代を知っててそれを知らないとは… >>252
やっぱ一般的にまで凄い話題になったのはFF7が来てからだから リッジレーサーが5800円だからなあ
1万超えてたスーファミは秒殺されていった どんな糞ハードでも宣伝とメーカー囲い込みさえすれば覇権になれるってFCやSFCが教えてくれただろう
ソニーは任天堂の教えを忠実に守っただけだよ
任天堂は少数精鋭とか言い出して自滅しただけ FCやSFCは性能も良いんだよなあ
FCなんて当時の他のハードと比べたらクオリティ高杉なレベル >>255
その裏でゲームボーイが世界で1億台以上売れて、日本で1番売れたゲーム機になってる。
スーファミと違ってソフトも安いし、本体も安かった。 FCとSFCが高性能と思っているのPCエンジンやメガドライブを知らないニワカの任豚だけ >>250
2Dゲームではサターンのほうが良い
実際に出たのはだいたいがアーケードの移植物だが >>259
PCエンジン出たのファミコンの4年後だもの
むしろPCエンジンとスーファミの発売日のほうが近いぞ スーファミとメガドライブなら互角でしょう
PCエンジンは落ちる >>259
メガドライブってRAMが64KB+64KBで、1メガビットドライブってことだよね。
スーパーファミコンはRAMが2倍で、2メガビットドライブってことじゃないかと。 スーファミは3年前に発売されたPCエンジンより解像度が低くCPUが遅い
とんでもないクソハードだぜ
PCエンジンもファミコンのゴミスペックに我慢できない人が多かったから500万台も売れたわけだしな PCエンジンユーザーと任天堂ハード信者とは世代交代の時期がズレていたという事だよな
この層がプレステの普及に大きな貢献をした PSエンジンユーザーとメガドラユーザーからしたらスーファミはPS1サターンが出るまでの繋ぎでしかなかっただろうな PCエンジンやメガドラユーザーにとってスーファミは軸になる性能がなかったからPS1サターンに飛びついたんだろ ニンテンユーザーととPCエンジンユーザーではハードの世代交代の時期に3年のズレが生じたんだよ
ファミコンを引っ張りすぎてPCエンジンに付け入るスキを与えてしまった任天堂の失策だろうな
任天堂はファミコンユーザーをスーファミに引き継ぐことが出来たと確信して完全に天狗になっていたから
プレステが発売されても大衆は任天堂の次世代機が発売されるまで待つだろうと高を括っていた あの組長が完全にゲハ脳全開のイタタ発言の震源地だったからな
「CD-ROMなんて売れまっか〜?」 任天堂「俺様は人気者だから他社がどんなハードを出そうが俺様に勝てるわけがないだろガハハハ」
この体質は今でも変わらない
任天堂という会社が抱える病気みたいなものだま >>265
CPUのビット数を川の幅、クロック数を水の流れる速度だと捉えると解りやすい。 ソニーが巨大だったから成功したなら
なぜパナの 3DOは失敗したのか?
パナもソニー以上に巨大なのに 3DOってコントローラ2つで対戦するとき
本体にコントローラ端子1個しかなくって、コントローラ自体にコントローラ端子があるから
1Pコンに2Pコン挿す変態仕様だったらしいな
そっから先は調べてないけど周辺機器でマルチタップあるのかなやっぱり 初期のSCEは凄かった
それまでのNECやパナとはレベルも本気度も違っていた
任天堂は甘く見てて一気にやられた デイジーチェーンでしょ
ゲーム機では珍しいがSCSIもそうだったから変態って言うほどではないかな
好きな数だけ繋げられる(上限8台)のは理にかなった設計かもしれん PC-FX買ったって人はこの手のスレでたまに見るけど
3DOやプレイディア買った人はどれくらいいるんだろうな PC-FXより3DOの方が売れたんじゃないの
よう知らんけど
3DOはそれなりに注目されてたよ
CMもかなり打ってたしな 会社が大きいだけで売れるならXBOXも苦労しないわな PS初期は雑誌付録に体験版の詰め合わせディスクが付いてたりしてて、とにかく目新しさがすごかった ゲーム雑誌の月間ニュースとかで見かけた
紺色のPlayStationと黒いPlayStation欲しかった
性能とか仕様じゃなくて純粋に色で >>259
発売当時としては、FCはコスパが非常に高い性能を持ってた。
SFCはお察しだったけど。 >>274
やる気の違いじゃね?w
ソニーは本当に周りを味方に付けて着実に信用を勝ち取っていった
パラッパとかやるドラとか安いゲームもあったし薄利でやってたと思うぜ >>274
パナの3DOは、最初「ロイヤリティを取らない」と公言してたのに
後で撤回したからサードが一気にそっぽ向いた。
さらに、ソニーはSFCの開発機の作製を担当していたからゲーム作製時のノウハウも蓄えていたし、
PS用の開発機を安く抑えた上でゲーム製作用ライブラリも揃えていたから
サードが一気に飛びついた。 FF発表前の年末はバーチャ2バーチャコップデビサマでPSより売れた記憶がある >>250
>260さんも書いてるけど2DゲーだとSSのほうが良い
その動画の蒼穹PS版に処理落ち(地表に降下していくシーン)
ツインビーヤッホーとかだとSSのCD-ROMがインテリジェント倍速のためか
ステージ間のローディングも少し早かった >>288
95年まではSS有利だった。95年いっぱいまでは。
最も、その辺ならSFCも名作が出続けて競争力があったけど。 PSっぽいゲームはスーファミっぽいゲームだしな
「っぽい」っていうかNIN64、サターン、PSの中ではいちばんスーファミのパワーアップっぽい スクウェアが何故選んだのかってところが重要だな
正直、半透明や加算エフェクトのない地味画のサターンは最初から無いと思ったわ ムービー性能でpsしか選択肢がなかったとヒゲが言ってた FFに関しては6の時点でムービー使いたいのまるわかりな作りになってるからな
だからPSに飛び付いた 初めてFF7のCM見た時はマジでビックリしたわ
ゲームCMで唖然としたのは後にも先にもコレだけ 発売前からPC移植に言及してたんだな
ていうかWindows97って懐かしい >>259
良質なソフト(クソゲーも多数だったが)と遊びやすいコントローラ、それにシェアが圧倒的だったからなぁ。
話題の中心はいつもファミコンスーファミだった。 >>293
3D描画用GPUとJpegハードデコーダ(Motion Jpeg動画用)を「標準装備」している機種と
スプライトでポリゴン描く必要があって動画用ハードデコーダが無い機種が並んでいたら
そりゃヒゲなら前者選ぶもんな フィールド画面からそのままムービーに移行するのは衝撃的だったわ
あれもJPEGモーションのおかげかね? 真実とは、ワトソンがファンと自撮りをしない理由ではない。トランプのTwitterを忘れてしまうような“下胸”の写真でもない(トランプのTwitterを忘れることができて私は嬉しかったけれど)。
https://t.co/xvjWepAjWn PSやSSの頃はMPEGの30fps再生にハードウェア支援が必要な時代だったからねぇ
でも糞画質の代名詞だったSSのCinepakも、後期にはPSに劣らない画質のものもあったし、
True Motionの動画なら平均的に良好な画質だったな >>276
そして任天堂を甘く見ていた1993年設立のSCEは債務超過のあげく、解散消滅した。
1993年設立のSCEは、プレイステーション20周年までもたなかった。 じゃあどこがPS4やビタを出してるの?
チカニシ的にSCEはもう消滅したんだよね
不 思 議 CM効果凄かったね
それまでのゲームCMと全く違ってたもん
百万台CMとか既にサターンは達成済だったがPSの方が売れてるみたいに感じちゃうしな
当時はまだアーケードの方が技術力凄くて別にビックリはしなかったがなぁ
64はパワプロ専用コントローラかよってくらいしっくり来たなw >>305
アーケードに近いものが遊べるようになったからSSもPSも驚いたけどな。
そこからDC、PS2でほぼアーケードに並ぶ性能になった感じ。 >>289
PSの方が勝ってたのはポリゴンとムービーくらいだからな
ロードの速さもSSの方が断然速いし、音楽や効果音の違いなんて同一タイトルで比べれば明らかな位差があった
ただ当時はポリゴンやムービーが新しい技術だったからな・・・。そう言う外見上のインパクトに騙された奴が多かったという訳 >>295
そう言う迫力のあるシーンをCM・雑誌で魅せて客の目を引いたけど、結局そう言うシーンはゲームのホンの一部
ゲーム時間の大半は当時の基準から考えてもしょっぱいローポリゴン
如何にパッと見のインパクト重視で客を騙そうとしてたか解るよな。まるでパッケージだけ良くみえるAVみたいなゲームw >>167
ライト層てPSが世に出てから生まれた分類だぜ
元々従来ゲーマーと区別したPSファンって意味 >>309
そうなんだよな
圧倒的に任天堂がシェアを取っており、ゲーマー向けのセガの新ハードも出てる中
どうやってシェアを獲得するかと言う所で、SCEが考え付いたのがライト層を言う存在を作り
彼らに売り込んでいくと言う手法だった訳だからな。
>>305が挙げてるCMなどもライト層を意識して一見ゲームに関係無さそうなイメージのCMにしてたものが多かった
で、任天堂もセガも所詮ゲーム知らない層だろ? ってバカにしてたんだけど、PSがそれで勢いづいちゃったから
結局はライト層も大事だと段々路線変更せざるを得なくなっていくと言う流れだったんだよな
そして今そのライト層はスマホが持って行ってると言う・・・ では、仮にPSが出てなかったらMSはどうなった?
MS自体は、箱以前の段階の90年代入ってからリビング進出を
検討してる。(この辺りのことは当時のアスキーなどのコラムにも
記事があった)
それだから、いずれにしろリビング進出を兼ねてゲーム機orそれに近い
ハードを出すことが90年代の時点である程度は予測できた。 仮にPSが出てなかったら、FM TOWNS マーティーとピピンアットマークによって
富士通とアップルがリビング市場を分け合っていた カモ PS1から参入したサードで今も元気なのっているの?
今やスクエニくらいで後は海外サードが殆どだと思うけど マーティって初期は10万近い価格だったな。
MSもリビング進出を検討してたころは、10万ほどの価格でハード
出すつもりだったらしいし、その他90年代入ってからの海外のIT
系メーカーのリビング進出計画ってどれも数万〜10万単位のハード
出して、市場を獲得することを検討してたのばかり。
「そんなの高くて売れないだろ?}と誰しも思ったが、欧米のIT系
メーカーはどこも「我々の出す、ハードはゲーム機じゃない、新しい
マルチマディアだ」って感じだったわけで、 >>313
無理じゃね?
前者は10万後者は7万
しかもオプションパーツがPC準拠価格
素直に普通のPC買うわ >>314
元気かどうかは知らんけど日本一とかフロム、ガスト、アークワークなんかはPSでメジャーになったんじゃね >>167
なるほどなー
テレビゲームを一般に普及させたファミコンは長らくテレビゲームの代名詞だったし
その層が初めて自らハードを選ぶタイミングだったんだな ってか、今の2〜30代のほとんどはPSで育った世代だよな
FC・SFC世代は40代以上のおっさん >>321
>2〜30代
じゃなく 20-30歳と言ったほうがいい、30代だと38とか39とか
明からにSFC/FC世代も入る
PS2が2000年登場で、この年に中高生だったやつが今30-35歳 >>304
みっともないわな。
解散消滅した会社と同じ名前の会社をつくりなおして。 PS発売前は本命視なんて全然されてなかった
PCEレベルのただのチャレンジャーって感じ
ただ実際発売してみると想像以上に売れたんだよ
一年でSSと合わせて400万台だろ
たった一年で任天堂の外に巨大な市場が出来上がった
スクウェア参入発表前でこの勢いだった ただどっちがポストSFCかって空気はあったな
PS SS発売前〜初期は 部品を内製で調達してコストダウンが容易だったSCEの値下げ競争戦略に
コストダウンもままならず血を流しながら値下げ競争に乗るしか無かったセガ PSが登場する90年代半ばってのは、まだPCゲーム市場に一般ゲームのシェアがあり、
一般PCゲームのメーカーがかなりあった。
そういう一般PCゲームのメーカーにSCEは声をかけまくり、膨大なタイトルをハード発売前に発表してた。
それも結構大きい。 サターンはあれもこれもで、赤字ハードになったし。
PSは一点豪華主義。 当時はクソゲーが多いし。
有象無象が集まってたから
ゲーム批評で、裏話を読むの面白かったし 性能なんかよく分からなかった俺にも明らかに分かったことがあった。任天堂は発売遅すぎー! >>330
SFCが1990年発売。
1994年〜1995年ってのは、一番SFCのソフトが出てた時期。
PS・SSと同時期に新ハードぶつけるのは、さすがに無理だった。 FF7はロードながいし、ムービーは場面によって
出来不出来あるし 任天堂天下の時代はクソハードでしか遊べなかった
産まれた時からプレステがあるいまの子供が羨ましいくらいだ >>331
SFCも遅かったのかなあ。FCの寿命が長かったんだなあ。 95年末にDQ6が出てそこでSFCは事実上の寿命を迎えた
そして96年初めにスクウェア参入でSFCの次はpsという流れが出来た
64は発売前に終わってる雰囲気だった
俺は95年夏にps買ったけどまさかFF来るなんて思っても見なかったな スーファミはPS1とサターンが発売されて即死したイメージがあるけどまだ息していたのか?
ゲーム店もPS1とサターンのゲームしか売ってなかった記憶があるけど 即死なんてしてない
95年はクロノ・トリガーとかDQ6とか大作出てたのに 任天堂を救ったのは良くも悪くもポケモンなんだよな
子供が据置きゲーム機でゲームやらなくなってチマチマゲーばかりやるようになったな
ここから日本の衰退がはじまった >>337
>>338
しょぼいコマンド式RPGばかりじゃないか
そんなゲームではPS1サターンの勢いは止められないわ PSSSにそのレベルの大作RPG発売してたか?
アークザラッドとかビヨビヨとかレベルだっただろ
当時もっとも人気があったRPGでこの時点ではまだSFCに負けてたんだよ スクウェアがPSにFF7を出すと発表したのが96年初頭。
その96年の前半に、スクウェアは発表済みのSFCタイトルをガンガン発売してSFCソフト開発を終わらせ、
96年夏のトバルからPSに移行する形になる。 コマンド式RPGを大作扱いしてしまうのが日本人の病気なんだよ
あんなものはビデオゲームとは呼べない
PS1サターンは純粋にビデオゲーム機としてアピールしていたからゲームファン熱狂した そもそもスーファミが負けたのはコマンドRPGしか動かない低スペックだったからだろ
スーファミの敗北はコマンド式RPGが主流だった歪んだゲーム業界を終焉を意味している
しかし残念のことに対戦要素を入れたポケモンというコマンド式RPGが台頭してしまったことがゲーム業界をおかしくした 俺が一番間違っているのはコマンド式のチマチマゲーとビデオゲームを同じゲームというジャンルで語ることだと思うわ
ゲーム機で遊ぶという共通点はあるがターン制バトルはカードゲームの延長戦みたいなものであってゲーム機でやる必要があるわけではないからな 任天堂が64でなくスーパーファミコン2で出してたらな あの時代コマンド式RPGが人気で売れてたから、FF7の発表の影響は大きかった記憶が。 当時のゲーム業界を正解く伝えることは重要だからな
全盛期のPS1サターン時代の前後を正確に分析することで日本が衰退した理由が見えてくる 物語を見せられるだけで
RolePlayさせないモノをRPGと呼ぶようになったこと
それにムービー文化が加わって
ますますRPGから遠い存在になったのがJRPG
海外は、RPは成りきりを土台に置いてるから
彼らにとってFPSもまたRPGである
そう考えるとたしかに
コマンド式はこの歪みを生む一要素ではあったと思うね だからコマンド式RPGのおかげでPSが勝利したと思ってたわ。
バーチャファイターやりたくてサターン買ったから、PSのほうが上手くやってるなあと思った。その後ときメモ用にPS買った。 日本のゲームが衰退し始めたのはps2以降だから
90年代後半は日本のゲームが世界で売れてたんだよ
当時のアメリカのランキングみても半分以上が日本のゲームだよ 今ゲオ回ってきたけどPS1の棚無いゲオ多いんだな
時代の流れか… SFCは、同世代のライバルハードに勝ち、ハード寿命を全うしてN64にバトンタッチしている。
PS・SSに負けたのは、N64というべきだろう。
N64が日本で負けたのは、日本で人気ジャンルであるRPGが出なかったから。
コマンドRPG云々を言う以前に、そもそもRPGのタイトルそのものが不足していた。 コマンドRPGはお前らみたいな頭にカビの生えたファミコン世代のライト層を取り込むためには必要かもしれないけど
ゲーム機の勝敗を決する力などない >>327
それって、昔のPC板にも書き込みがあったな。
なんでも、PCゲーサードに声をかける一方で当時、PCゲーの流通を
まかなってたソフバンにも声をかけてというか、ソフバンのPC雑誌に
広告料を多く払い、PCで出す予定のゲームをPSに流してもらったとか
まあ、どの程度本当なのか知らんけど。
ただ、その頃のPCゲーって コーエーの信長やアートディングあたりを
除けば、ほとんどブランドが死んでたような、、、
現に、開発力PCゲーメーカーはSFCメインでやってPCに残ってるのは
エロゲーと開発力のない弱小サードだけになってた記憶がある。 >>291
サガフロとかストゼロ2とか聖剣LOMとかは
単純にスーファミ2Dのアッパーバージョンみたいな出来だったからな
サターンの方が2D強かったのにな 64になって3Dゲーム一辺倒になり
SFCでRPGやってたユーザーが行き場を失ってPSに行った
多様なジャンルが出てるPSが天下取るのは必然だった 次世代機としての転換時期だったのと、参入会社とソフト数と当時のビックタイトルと言われているものが
出ると予定されていたのがPSが覇権を取った要因だと思う。 他業種からの参入で
新しい体験を期待させる宣伝ができたこと
そしてPS→PS2は
旧機体のソフトを後継機でも使えたこと
ここまでの流れは完璧だったと思う
ユーザって自分が手にした作品は
大事に残すものだから
アーカイブで過去作を購入出来ますとかやられても
新規ユーザ以外は別段ありがたくない
SFC→PSなんかの場合だと
土台が違うからリメイクにも意味はあったけど
PS→PS2→PS3→PS4という流れの中でリメイクなんてしたって
新しい体験は期待できない
続編しか出て来ないのも根底に同じ問題を抱えている
DQ、FFを過去に追いやるメジャータイトルが生まれていない
これらもリメイクや派生商品で息を繋いでいる
玩具屋がかろうじて何か新しい体験をさせようともがいているが
サードはもう完全に硬直している スクは64にFF出す気だったよな、シーグラフかなんかにデモ出展してたし
経営的にも64発売いつまでも待ってられないしスクのやりたいこととPSの台頭とスペックがハマったから仕方ない
恨むなんてお門違いもいいとこ FF7はPS1しか選択肢がなかったというのが正解だよな
カセットの64は論外だしサターンは国内のバーチャ小僧にしか売れない 64は素人目からも発売前から意味不明なことばっかりやってた
ファミコンのブランド自ら捨てたり、CD-ROM 採用しなかったり >>366
少なくとも自分はFFというかPSのおかげでセガハードがマイナーだったため
魂斗羅ザハードコア中古が当時2000円で買えたり
新品レイディアントシルバーガンが3980円で買えてむしろ感謝してる >>340
ちなみに風来のシレンが出たのもドラクエ6とほぼ同時期だよ
ファミ通などでは当然リッジレーサーレボリューションやバーチャ2の特集は組んでいたが
それ以上に注目ソフトで編集者は皆ハマってる って感じで紹介してたのがシレンだった >>351
今でこそ面影があまりないが当時のスクウェアと言えばヒット作をガンガン量産してたメーカーだったからな
SFC売上ベスト20の中で6本はスクウェア(ちなみに任天堂は7本、エニックス・カプコンがそれぞれ3本残り1はバンダイ)
その中でもFFはエース中のエース。そんなスクウェアがPSへ移籍してFFの新作を出すと言うのは衝撃的なニュースだった
それだけでほぼ形成が決まってしまったと言っても過言じゃないね
>>363
その面は否定できまい。64にはSFC路線のゲームが少なく、逆にPSにはスクウェアとFFが行った事で
皮肉な事にPSの方がSFC路線の継承者的なポジションになってしまったわけだ・・・ >>342
そう。そしてその時期は丁度N64が出る直前だったんだよね
発売直前になってのこのニュースは任天堂にとっては最悪のタイミングだったと言える
同時にその最悪のタイミングを選んだという事でスクウェアが任天堂と決別する意思がはっきり示されたとも言える しかしFF7って当時はあれで衝撃を受けた人は多かったと思うんだけど
実際そんな新しい事やってるかって言うとそうでもねえんだよな。
FF7より半年以上前にもう完全3Dゲームのマリオ64が登場してたもんな。
疑似3DのFF7よりも何年も先を行っている
ただ当時はFF7の話題性が凄くて、そっちしか知らない人が大勢いたから
「凄い衝撃だ!」ってなっただけの話の気がするね 数十時間のボリュームとシナリオのRPGと箱庭アクションじゃ比較にならん
どっちが凄いとかじゃなく 当時FF7に衝撃を受けた900万人が20年の時を経て、
FF7リメイクに再び熱狂するんだろうなぁ 家庭用のRPGなんて屋内も屋外もおなじ高さから見下ろしたのが常識だったのに
いろんな方向で描かれたプリレンダ背景と多彩な定点カメラが当時は新鮮だった
真上から見下ろしたりキャラクター目線と同じ高さだったり少し見上げて空が広く見えたり >>376
マリオ64は箱庭3Dアクションゲーの基礎を築いた1本だとは思うが、
完全3Dゲームってのは一体何を指しているんだ?それまでにも全ての
オブジェクトが3Dで描画されたゲームはいくらでも存在してるぞ。 >>381
PSの多くのゲームはポリゴンを使ってて表現的には3Dなんだが
結局やってる事は2Dと変わらんよね。実質2Dだったんだよね。
そう言うのを刺して疑似3Dと呼んでいる
本格的な3DゲームってPS2になってもまだ多くは無いんだよね
PS3ぐらいになってようやく増えてくる。そう言う意味でまさに10年先に行ってたゲーム ジャック&ダクスター
ラチェット&クランク
本格的な3Dゲームだったよ ぶっちぎりでもないだろ
最初はSSといい勝負だったぞ >>382
何を言いたいのか全くわからん。例えばジャンピングフラッシュは実質2Dだったと言いたいのか?
あれを疑似3Dで表現する事は可能ではあるが、それならマリオ64だって可能だな。
ちなみにな一般的に疑似3DとはDOOMのような表現手段の事な。 マリオ64よりジャンピングフラッシュのほうが早かっただろ
まぁそれよりさらにX68のあれのほうが早いけどさ セガは国内限定でもFFまでに互角の時点で駄目だったでしょ
ハード市場ではぽっと出のソニー相手なんだから 別に起源主張はしないけどさ。要はそう言うゲームがすでに出てた中FF7はさほど斬新な事をやってたゲームとは言えなかった訳で。
知らない人が騒いでただけっつー感じだよな。
実際野村もFF7を制作してる当時にマリオ64が出て来たのを見て
非常に衝撃を受けたらしく、いつかこういうゲームを自分でも作ってみたいと思った と言うエピソードもあるそうだよ
(それで後に作ったのがあのキングダムハーツ) >>388
それはさすがにソニーに失礼だぞw
今では想像しにくいけど
当時のソニーはとんでもないブランド力があった >>388
既出だけどナムコの影響はやっぱ大きかったと思うよ
SFCのゲームが普通だった時代にいきなりリッジが出てきたインパクトは凄かった
逆に言えばナムコが居なければ初期PSでセガタイトルに対抗できるほどのゲームはほぼ無く
PSはもっと苦戦を強いられ、その後のFF移籍も無かったかもしれない。
たらればの話はあまり意味がないが、まあそれだけナムコの功績は大きいって事だな >>390
ゲーム業界に関するノウハウはまだ無かったかもしれないけど
「あのソニーが」ゲーム機を作ると言うだけでかなりの話題性があったよなあ プレイステーションって名前が素直にカッコイイなとは思ったな
つか何でこの重要な局面でセガサターンとかニンテンドー64とか… バイオその次はアーマードコア衝撃受けたなロボアクションが出来るなんてって感じだった
とどめはMGSで演出も含めて映画をプレイしてるようなゲームが出来るようになったのかと >>393
俺「セガサターン」って名称すげえカッコいいと思うけどね
何というか厨二心をくすぐるねw
ニンテンドー64は仮称ウルトラ64って呼ばれてたからてっきりウルトラファミコンになるのかと思ってた・・・ 当時ガチガチの任天堂派だった俺や友人も結局はPS1買ったもんなあ
当然64も買って遊んで面白いんだがソフトが少ないのよ
やはりバイオとかFFやりたかったし
勝ちハードってそういうもんだよな
しょうがねえ、まあ買うかって許してしまうというか 当時はゲーム機に「SONY」のロゴがあるだけでお洒落な感じがした >>1
ソニーのゲートキーパーがネットで工作してセガを潰して覇権になったからね
ソニーのセガBBSつぶしとか酷かったなぁ サターンって名称は怖いとか不気味とかいう声もあったんだよ
あとコーンヘッズとかセガ臭さ全開だった 確かサターンってコードネームが広く知られるようになってたから、そのまま正式名称にしましたって言うセガらしいズレまくりの理由だったと思う
そらマニアの間じゃ広く知られてたかも知れないけどさ… 開発中コードネームに太陽系惑星やその衛星の名前使うなんて普通にあることで別に驚くような珍しいことじゃないだろう SEGA SATURNやNINTENDO64に比べてPlayStationが名前に小文字まじりなのは
まだ未完成であるという意識のため バイオ、鉄拳2、FF7のおかげやな
VF2、セガラリー、リグロードサーガじゃ
勝てんやろ >>404
イヤ、ゼンブオオモジダトネイティブカラスルトガイジンガシャベッテルミタイナイワカンガアル
↑この文章読みづらいと思うだろ?
だからキャメルケース表記の方がずっと自然だからな。覚えときな 表記
PS2までのロゴは「PlayStation」(または「Play Station」)と大文字と小文字による表記だったが、
PS3ではロゴが一新され「PLAYSTATION 3」と大文字のみの表記になった。これは久夛良木健社長(当時)
によると、今までのPS・PS2はPlayStationの完成形ではなく、PS3で完成したため、
今までは「Play」と「Station」という2つの単語から構成されていた名前から、
「PLAYSTATION」という1つの単語になったためという。
PS3wiki >>340
当時を知らないにわかは邪魔だから黙ってて ほんまかいな?と見てみたら
確かにPS3初期型だけ全大文字表記なんだな。やっぱりヘンだよ
で、撤回して以降の全てのロゴは元通りのPlayStationのキャメル表記にしたのはまた未完成に戻ったのかよwww
そんなものは後付けで都合良くこじつけ理由だろうよ サターンは発売年にファースト自身がワンチャイコネクションやゲイルレーサーなんてクソゲーを出していた時点で
なんか嫌な予感がしたな
PSが発売年に出したクソゲーは、サードのツインゴッデスとキングスフィールドぐらいだろ
念のため言っておくと、後者は当時間違いなくクソゲーと呼ばれていた FFやドラクエばかりが注目されるけど
幻想水滸伝やワイルドアームズ、ポポロクロイスなど
良作RPGが量産されたのもPSにとって追い風だった
あと、CDROMが安価なのを利用しての体験版配布
俺は体験版やってブシドーブレードの購入を決めた PSは初期からRPGを積極的にリリースしてたよね
日本では当時RPGが主力という当たり前の事を
理解していた
一方のサターンはひたすらアーケード移植
最初はコア層がついてきたが、それだけでは
ユーザー数は増えない
結局サードがPSでRPGを出し始めた頃
スクウェア参入で決着、RPGは全てPSで
リリースされる事になる >>412
「不思議なデータディスク」もCD-ROM安かったからだね
自分は今も一応FFTとセットで所持してる 定価固定 中古なしと引き換えで5800円だったしね。
その2つが、出来なくなったのに
5800定価だけが残ってゲームショップつぶれまくり。
ゲームだけで やってる場所はほとんどなくなった。
ほとんどの駅にゲームショップとゲーセンがあったなんて
いまでは信じられないし。つまんない時代 ベスト版2800円も忘れないで欲しい。
これが出たためにセガもベスト版を出し始めたと記憶している。
今は中古が幅を利かせているからベスト版を出すのは難しい時代だな・・・ アトラスはサターンに真・女神転生デビルサマナーを、PSに女神異聞録ペルソナを出したね
主力のメガテンシリーズをサターンに出して若干SEGA寄りに見えたな
現在アトラスはSEGAに買われ、ペルソナの続編をPS4に出してるのはなんとも奇妙な縁だ てか据え置きのPSは3以外初期価格39800円なんだよな
今は性能的にその価格設定も分からなくもないが当時からその価格でよく覇権取り続けてるよな
任天堂据え置きは今も3万円超えるだけで叩かれるのに >>418
アトラスは当時シューティング(ガンバードやストライカーズ1945など)もやってたせいか
ゲーセン移植用であるサターンに投入してくれてた
サターン末期には初出となるプリンセスクラウンも >>413
サターンは(64もだが)最後の最後までRPG不足が付きまとったね
天外魔境第三の黙示録など大作もあったが悪い事にFF7と同時期にぶつかってしまい殆ど注目されなかったし
グランディアがやっと後期になって出た位
地元のゲームショップでグランディアが出た時「SSにもついにFF、DQに匹敵するRPG登場!」って煽りがしてあって
「さすがにそれは言い過ぎだろw」と思った覚えがありますw サターン 太陽に向かって飛んだイカロス
64 食料がなく飛ぶことすら出来ず餓死 >>423
グランディアはノリがガキっぽかったからなぁ。
ドラクエ、FFが出るPSにはかなわないよな。 PSが流行りはじめたとき、色やコントローラーの形、ソフトの充実具合からSFCの後継機はPSだと本気で勘違いしてたな
まだ小学校低学年だったからメーカーという概念もよくわかってなかったし 最初はセガサターンの方が優勢じゃなかった?
FF7の発表のあたりから空気が変わった気がする バーチャ2とセガラリーまではサターンが強かったね
FF7発表で流れが変わってバイオでサターンユーザーがPSも買い追いつけない構造が出来上がってしまった
加えて劣勢になってからの18禁廃止もタイミングが悪かった サターンの時期に気合いでドリームキャストを出していたらセガの勝利だったな ドリキャスは1998年11月だしそれこそ気合で出したんでは
海外で爆死したサターンを4年でやむを得ず切ったわけで PSですら10万円で売ってもおかしくないと言われてたのにドリキャス出てたらいくらになるんだw あの時点で世代をすっ飛ばすとなると
投資額はクタ工場の比じゃないだろうな
セガには無理 プレステ登場と同時期にドリキャス並みのマシンを出す、
技術的に無理。
あの頃じゃハイエンドなSGIなんかのワークステーション
でもPowerVRと同等な描画性能なんてなかったし、高速な
メモリー技術もない、 >>415
確かに初心会が強かった時代の方が抱き合わせ販売etc...の面白い要素が多かったね
>>424
本体は赤字を出していなかったんだよなあ >>339
ゲームボーイが世界中で売れて1億台突破、ファミコンを抜いて日本で1番売れたゲーム機となり、DSに抜かれるまで日本で1番売れたゲーム機だった。
プレイステーションは1〜4まで日本で1番売れたゲーム機になれていない。
SCEも携帯ゲーム機を出せば良かったのにな。 >>435
累計販売台数がそんなに大事か?
どれだけ多くの赤の他人が買ったかどうかより自分自身が買ったハードで遊んで満喫したかのがずっと重要だと思わないか?
なんてここゲハでマジな講釈たれるのは野暮だな
中身なんて二の次!売上第一!
なゲハ脳の巣窟だものな マジな講釈をすると、ハード業界板なので、個々の嗜好についてはゲームサロンでやれ。 >>378
たぶん無理だろ
そもそもFF7に衝撃を受けた層って今風で言えば
PS2より後は据え置きを一切知らないで携帯機しか触ったことも見たこともない連中に該当する 数字で判断、ってのは極めて公正じゃん
面白いかどうかなんて個人の主観だしね >>382
キングスフィールド知らんの?
完全3Dだよ >>1
ソニーが裏で工作をしてユーザやサードを任天堂を敵に回したから
お陰で据え置きは衰退の一途だけどな
当時はそれに嫌気指してやめたやつが多い(後のwiiやDSで獲得した新規もそれで離れた)
今はスマホやPCの第3勢力が来てCS業界がピンチだけど
一番いい例がヒゲの64批判事件からのデジキューブ事件
あとは任天堂と絶縁したファミ痛が関わったティアリングサーガ裁判事件
決めては当時ソニーの犬だったスクエアがFF7だけではなくエニックスにDQ7をPSで出せと要請してたこと
小売を潰したのは中古裁判
ときメモ裁判もあったな 数字で判断するのは結構だけど一人一台の携帯機と一家に一台の据え置き比べるのは愚の骨頂だわ PS1は当時のワークステーション(100万円)並の性能と言われてたっけか PS4は日本だとセガサターンより売れていないよね… >>64
N64はハイスペを目指すコンセプトはよかったんだけどGPUがSGIの変態ハードで
ソフト開発にも高価な機材が必要だったりでソフト屋さんにも負担がでかかったんで逃げられたっつーのもある スクエアが今じゃ想像つかないレベルのブランド力持ってたからかな >>446
当時はスクウェアのソフト買っとけばハズレはねえだろ ぐらいの信頼感があったからな
今じゃあスクエニ?どうせまたクソゲーだろ? って思うぐらいの感じになってしまったがw
どうしてこうなったw そう考えるとバンナムやコナミは昔から変わらず安定してるな >>442
そうだそうだ、据置値はやっぱ正しいわー >>447
人によってタイミングはまちまちだろうけど
聖剣4とかFF13辺りでガッカリした人は多いんじゃないかね 技術進歩による集積化でコストダウンしやすい設計を最初から意図した
設計思想も大きかったんじゃないの
素人目に見ても大型で部品点数の多そうなサターンよりもPS1の方が
安く作れそうだったし、価格競争という体力勝負では元々セガの方が
キツイのも分かっていたし サターンは2Dの最強のソニックを出せば良かったのに。
それとバーチャ2でかなりいけただろう。
ペパルーチョとか消防士のやつとか、わがままで作らせたのがねえ。
安定してから作るべきだった。 >>452
メガドライブが上手く行ってなかったから、メガドライブ臭をとにかく払拭したくて
メガドライブのイメージキャラみたいになってたソニックを切って新しいイメージキャラクターを作りたかった
と当時何かで読んだ気がする。まあ、結局ペパルーチョはあまり人気が出ずに消え、DCから再びソニックを引っ張り出す事になる訳だが・・・
(サターンでもソニックRと言うレースゲーは出てた気がする) つかそもそもソニックが出せなかった最大の原因は
アメリカでのメガドラ延命のためにソニチがメガドラに残ったからだろ サターンが2Dに強いから2D格ゲーの再現度は高かったそうだけど
PSもコアじゃないプレイヤーが普通に遊ぶ分にはそう問題なかったし数は同等に出てたよね
んで当時の華だったアケゲーの移植はセガVSナムコで一進一退
勝負を決めたのは家庭用オリジナルタイトルの差かなぁ
FF7が決め手だとよく言われて実際そういう面もあるけどそれ以外でも十分充実してた
個人的にはサターンが押してた時期なんてほんのちょっとだと思う。FF7以前もPSのムードだったよ
ちなみに64は蚊帳の外。当時は新ハードと新しい表現で次々と新規で魅力的なタイトルが出てたから
マリオが古臭く感じたし、ポケモンのヒットにあやかって色々出してたから子供向けイメージが強くなった
もちろんゲーム内容はトップクラスに優れてたんだけど任天堂が逆転できるムードじゃなかった >>453
メガドライブが上手くいっていなかった…?
猿人関係者の息がかかったメディアだったのかな
少なくともスーファミより売れた北米を再度取るにはソニックが必須だったろうに 横スクロールありーのデカキャラ動き―の主観視点ありーのワイヤーアクションありーの
サターンのクロックワークナイトよりできよさそうなジェネシスのトイストーリー
https://youtu.be/oWxAWEC4nkk メガドラは北米じゃスーファミと双璧をなす普及台数だったけどせっかく
とったシェアを失いたくなくてメガドラを中途半端にパワーアップさせる
スーパー32Xとか出したんだっけ・・・セガっ子の俺ですらあんなとち
狂ったもん誰が買うんだと当時思ったもんだが・・・
セガはずっとCSの赤字をアーケードの黒字で補填して生き残ってる感じ
だったからゲーセン冬の時代が来ると厳しいね。ナムコも間違いなく
PSを勝ちに導いた立役者だけどアーケードが衰退すると技術力がガクッと
堕ちちゃったね >>442
ソニーも携帯ハード出せばいいんじゃないかな。 >>451
1996年に出たニンテンドー64に対抗するため19800円までPS1値段下げたけど
FF7が出た1997年の年末でPS1000万台達成+ハード黒字化だからね(Wiki他情報)
ソフトの囲い込み+ハードの普及あってこその成功だった希ガス ドラクエは、出るには出たけど
ハード争いとは無縁だったしね。
2000って遅すぎーー 当時の任天堂はサードにもマスコミにも
更にはユーザーにまでもケンカ売ってたからな
まあ今でもあまり変わってないような気もするがw >>463
当時はソフト価格は嫌気がさしてた
FF6がショップ割引でも1万円超えてて5と大差無いと思ってスルーした
中古が安かった伝説のオウガバトルに出会い95年のタクティクスオウガは即買いした思い出 ソニーはやっぱブランドが違うからなあ
おもちゃ屋さんとは信用が違う ソフト価格を下げてくれたのがホントにありがたかった>プレステとサターン >>464
広報の今西氏あたりは誌面で堂々と「RPGを遊ぶやつはバカ」「CD-ROMは全て糞ゲー」とか言い放ってたからなぁ
ありゃすげーわ 最初はサターンとどっちが覇権になるか分からなかったな
ソニーは初のゲーム機で、もしかしたら同じく家電メーカーの3DOみたいな事になるかもしれないし
その頃のバーチャの勢いもあってサターンを買った友人がサターンはバーチャと大戦略しか面白いのが無いとバイオ見て後悔してた んだんだ
全方位に喧嘩を売ってたのは今西なのに
チカニシはなぜかおこちゃまの佐伯しか目に入らない >>455
>PSのムードだったよ
この一言に集約される
このイメージを作り出したSME軍団の大勝利
実売なんて後からついてくる >>470
ナムコがリッジ 鉄拳出したからナムコファンからしたらPSが勢力の一角って明白だった
1994年だとプレステ サターン 3DO PC-FXだけど
3DOは初期価格54800円でそもそも話にならなかった >>470
家電屋ハードは3DOの前にもPC猿人みたいな失敗がありましたね
>>468
メガドライブはスーファミのロムが高騰し続けるのを尻目にリーズナブルな定価だったんだけどな
ちなみに初心会が解散前後の任天堂界隈、問屋界隈はどんな状況だったんだろうか >>459
結局バンダイと合併しちゃったね
ただ近年のアーケードではバンナムは強過ぎるがw >>22
俺は64買った
3Dマリオがやりたくてやりたくて
マリカもウェーブレースも綺麗で面白かった
その後、64売ってPS買ったけどなw PC-FXはPCエンジンほどのオーラはなかったし3DOもとてもじゃないが普及する雰囲気もなかったな
ちょっと面白そうだったのはDの食卓くらいで何でこんな負け確実ハードにスパIIXが独占なんだろうと不思議だった >>478
ホントにスパIIXだけあってもなぁ…って感じだったね
3DOは近所のゲーム屋に展示あったけどPC-FXは自分未だに実機見たことない(笑) >>478
昔からカプコンは八方美人でアホだからなw
3DOはコントローラがクソ過ぎた。
スパ2だけのためにアレは買えないわな。 >>450
ff12あたりからおかしくなってきた感じ。
12はゲームシステムで救われたがな。
聖剣4、ダージュあたりでゴミみたいなゲーム出してブランド力が落ちていった。
まぁPS2初期に出たバウンサーも酷かったし、
ドライビングエモーションとか言う謎挙動のレースゲーも出してたっけな。 12は制作時間かかり過ぎたが傑作だろ
13〜が問題だ、あれでFFブランドが地に落ちた
と国内でもGTA3から洋ゲーが復権してきてTES、FOのヒットが合わさって
残ってた層からの支持も(ジャンルは全く違うものもあるとはいえ)落ちた感じだ 個人的な実感だが
「ドラゴンボールが発売していない、発売予定の無いゲームハードは勝ちにいけない」と思う
スーファミPCエンジンメガドライブまでどんなハードにもでてたけど
PlayStation、サターンにあってNIN64にないもの
PlayStation2、ゲームキューブにあってドリームキャストにないもの
PlayStation3、XBOX360にあってWiiUにないもの
それがドラゴンボール PS2の初期はスクウェアも結構冒険してたよな
バウンサー
ドライビングエモーション
劇空間プロ野球
プロレスリング
エニックスも øSTORY とかいう謎の実写ADV出してたな スクウェアはレーシングラグーンの時から冒険してた
ただ惜しくらむは、だんだん現場に中2病患者が発生してしまった事
王道を作れないのに王道をバカにするコイツらに潰された 初代PSでも冒険してたな
トバル
ブシドーブレード
麻雀 牌神 パラサイト・イヴ とかいうバイオの二番煎じは失敗作に入るのかな? >>478
当時3DO買ったヤツがぼやいてたなぁ
「3DOにはエロゲー、クソゲー、スパIIXの3種類しかゲームがない」ってww >>343
コマンド式RPGを作ったのも大作ゲームだと持ち上げたのも日本人でなく欧米人が最初なんだけどね
ニワカすぎてウルティマもウィザードリィもご存知ない? >>429
サターンの時期にドリキャス相当のゲーム機を出したら1000万円でも無理 初代PSは100万円のワークステーション並の性能と言われていた >>483
プレイディアのイチオシ目玉ソフトがドラゴンボールだったような 初期のPSソフトがやすかったのは、SFCのロムカートリッジが高騰してたって理由の他に
小売の取り分を大幅に切り詰めたからなんだよな
デジキューブといい、ソニーはゲームの小売を目の敵にして潰そうとしてきた
結局街のゲーム屋の大半が潰れてソニーの思い通りになったけど
日本のゲーム市場も1/3まで死滅しちまったな >>492
>>493
ぶっちゃけPC98が20万ぐらいで買えたからそんなに高いわけないけどな 中古撲滅
ザ・ベストで再販
サードにとってはソニー様様じゃねーの? CDROM搭載のFMタウンズとか当時5〜60万しなかった?
それでもPS並のポリゴン性能はなかったような >>496
CanBeeとか出だした頃だっけ
その1世代前の98ってと40万くらいしたもんなあ プレステはファミリー向けもしっかり充実していたよな。
クラッシュバンディクー3にレーシング、ポイポイ、スマッシュコートとか、ケロケロキングとか、桃鉄、タワードリーム、王様のレストランとボードゲームもいろいろあった。 >>501
PCエンジンはドラゴンボールZのオープニングをそのまんまドットアニメで再現
メガドライブの超武闘伝はギニュー特戦隊から一部使えるのとベジータがちっちゃい気弾を連続で飛ばすアレを採用
ってのが一部で有名 >>496
当時のPC業界って今ほど、競争がなかったし、ましてやワークステーション
なんて、PC以上に競争がなかったから高くて当たり前な状態だった。 >>498
プレステ登場に、あれと同等のポリゴン処理できるハードって
SGIとかワークステーションじゃないと無理。
CPUこそ、486DX2とかpentiumで速かったけど、それでもリアルタイムで
ポリゴン処理なんて無理 日本の任天堂はとにかく全方位から嫌われていたからな
小売サードユーザーメディアすべてから
逆にアメリカではそんなでもなかったから普通にサードのソフト出てたし普通に売れた 冗談抜きで任天堂帝国と言いたくなるぐらい誰も逆らえない感じだったな
だから、ソニーが勝った時は革命を成功させた英雄、勇者ぐらいのイメージだったよな!
まさに暗雲立ち込めていた空が一瞬で青空になったぐらいの解放感があったんだよなぁ >>502
サターンだとバトルバ サターンボンバーマン カルドセプト 桃太郎道中記 辺りだけど
バトルバ以外はプレステ版あったしサターンにサード少なかったからね… >>470
PS初期だとバイオの貢献が大きかったからねぇ
PS1年目はリッジ鉄拳あったりサターンのバーチャもいたけど
やはり当時新作のバイオはインパクトも強かった ・2Dから3Dへの変わり目だったこと
・大手RPGメーカーがCD-ROMを切望していたのに任天堂が次世代機をROMで決定したこと
・中小メーカーへ配慮したこと
・任天堂独裁にサードが不満を持っていたこと
ほか、色々なタイミングが奇跡的に重なってたと思う
そしてどちらに未来を与えるかの決定権をソフトメーカーが持っている事を多くの人が認識した歴史的な出来事だった
性能は最初のリッジレーサーがPCでは不可能な映像とCDサウンドを出してた
PCでは約2年後に3dfx voodooとTombRaiderが出るまでこれには敵わなかったし、音は相変わらずショボかった ニンテンドー64のカートリッジにCD容量のゲームが移植できないのは明白だったし
当時は下位互換とかも無いので普通にユーザーはSFC→PSに移ってしまった
SFCで作った巨大市場をそのままPSへ献上してしまったというお話 >>512
スパロボ64のようなSRPGや時オカみたいなアクションRPGも普通に出せてたから
本当はカートリッジで容量が足りんと言う事は無かったと思うんだよな(この二つボリュームはかなりあるゲーム)
ただそこは当時のPSの戦略が上手かった所で、時代はムービーである。ムービーが多いほど凄いゲーム、音声が入ってないゲームなんて時代遅れだよね
って方向性に持って行ったんだよな。実際はそんなもの無くてもゲームは成り立つのに・・・
しかしそれが功を奏して、CD−ROMじゃないと出来ない演出が流行って行った CD2枚組だったバイオ2やリッジレーサー64(海外)もROMで出せてたワケだから、
「CD-ROMなんて売れまっか?」
ていう思考にハマって抜け出せないのも一理ある…?のか そんなことはありません
PSでもムービーの入ってないゲームはたくさんあります >>516
そう言うゲームは普通にカートリッジでも移植できたと思うよ >>510
初代PSの時はムービーはあって良かったと思う
それまでRPGはどちらかというと記号的表現だったけどムービーで初めて等身大に近い視点でストーリーを垣間見る事が出来た
2Dの頃と比較してポリゴンとかで等身大の視点でゲームが出来る様になった初めての世代だったからな 初代鉄拳のムービーはまさに新時代が来たと思わせた
移植度だけでも素晴らしいゲームなのに
家庭用ゲームでこんな映像が見れるなんて
いや、アーケードでもこんなの無いぞと ソウルエッジ一作目のOPムービーはかっこよかったな >>522
あのOPはなんかの賞取ったくらいだからね >>296
当時FFは芸術っぽい?イメージがあったからいきなりこの漫画絵が出てきてショックを受けた ジャンピンフラッシュだったかな
あれには未来を感じた FF7のイラストとクラウドのデザインがとても覚えやすい、わかりやすい
それぞれのイメージイラストでみんな武器とか拳かまえてて
誰がどんな武器で闘うのかゲームする前からひと目でわかったし
クラウドのトンガリヘアーに大型剣っていうファミコンのドット絵でも表現できそうなシンプルさ
たとえばポケモン4作目か5作目の主人公の絵思い出して描いてって言われても描けないけど
クラウドだったら描ける。みたいな テレビの表示範囲いっぱいに使ったFF8やFF9の戦闘画面もいいが
FF7のように画面下部に常時ウインドウが開いて
そのぶん戦闘アニメーション表示部分が横長に狭まってるのも
なんというかSFCみたいな戦闘画面からの違いが感じられて面白い ヘイト稼ぎしか能がないネットの広告代理業がいなかったからな PSは「プレプレ」の貢献もそれなりにあったんじゃないかな?
セガはDCになってようやくDCエクスプレスを出してキャッチアップしたが 当時のソフトが今はたった数十MBでDLできて長いローディングもなく快適に遊べるんだよなぁ
すごい進化だわ >>524
とは言え、当時のポリゴンで天野絵を再現するのは不可能
シンプルな鳥山絵のドラクエもPS2まで待たなきゃいけなかったんだし プレイステーションの広告で
バニーガールが出てたの良かった。 >>532
長いローディングはPS2で改善はされたけど一部ソフトは不具合出るし
CD媒体だとゲーム変えるたびにディスク交換しないとだし
中古でキズあると進行不可までありえたからね(自分は遭遇したことないけど) PSは店頭で体験版を多数集めた8センチCDが無料で手に入ったよな
あれは楽しかったなぁ
任天堂もそれを真似しようとした記憶がある
たしか体験版ROMカートリッジのレンタルだったかな
当然コケた
バカかと思った 実際FF7はそんな大した事ねえよな
8と9はPS1ながらPS2並と言って良いぐらいのクオリティだが
少ない期間で進化位が半端なかったね >>537
自分はPS2+FF7インターでやったけど倍速読み込み快適だったし
マテリアシステムはゲーム進めてて楽しかったしサントラ買ったほど曲も気に入った
8と9はムービーや曲は綺麗だったがRPGとして自分には微妙だった >>296
すごいねこれ
任天堂が古臭いゲームを1万で売る中
FF7 5800円 バーン!
そらぶっちぎりますわ どうすればPS4ソフトの価格高騰を解決できるのか [無断転載禁止]©2ch.net
http://krsw.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1490628326/
46 名前:名無しさん必死だな@無断転載は禁止 :2017/03/28(火) 00:52:32.52 ID:MyVWtVDE0
SCE&スクウェア「さあゲーム屋潰すぞ〜^^」
http://www.gamegyokai.com/history/digicube.htm
デジキューブが取り扱った最初の商品がファイナルファンタジー7です。
ファイナルファンタジー7は、初回出荷のほとんどがデジキューブを通して出荷されました。
(初回出荷本数220万本の8割がコンビニ流通分)
これにより、コンビニでなければファイナルファンタジー7が買えないという状況を作り出し、
デジキューブを軌道に乗せたのです。
ファイナルファンタジー7の成功によって、デジキューブも好調な立ち上げを見せましたが、
ファイナルファンタジー7というビッグタイトルがコンビニ主体の販売となったことで、
一般の小売からの反発も大きかったと言われています。 だがデジキューブのおかげで、動くゲーム映像が身近で簡単に見れるようになったのも事実よ
一般人とゲームの接触機会が大幅に増えた
任天堂もそれを真似しようとした記憶がある
たしかローソンでニンテンドウパワーだったかな
当然コケた
バカかと思った >>537
あの当時はポリゴン技術がどんどん進化してたからね、
だからFF7があのタイミングで出て来たのは衝撃だった。
3Dでグリグリ動くし、間のムービーも迫力有ったし。
今も人気なのは当時の記憶が残ってるからなんだろうなぁ。 野村 鳥山の絵はポリゴンで再現しやすいように
あらかじめデザインしてる。
天野は、それをしたら絵の良さが死ぬし >>542
メインが3Dであの規模のボリュームがあるゲームってのがそもそも無かったと思うな >>539
いや、FF7はFF価格の7800円だったよ。 アトラスのレブスは天野絵だったなー
デフォルメキャラは流石に別もんだけど 3枚組になって6800になった。
いいのけんじが、ディスクが増えたら
値段を上げていいのかってネタにしてた。 2Dから3Dへ
ロムカセットから光学ディスクへ
ネット人口がまだまだ少なかった
売れない訳がない あの当時でもFF7の戦闘のキャラとか、ポリゴン剥き出して嫌だったし。
FF6の映像は2Dの頂点まで来てたし。 >>547
300万RPGとかどこにいったんだろうね >>522
ムービーと言えばフィロソマ
ムービーシーンからSTGステージにスムーズに切り替わったときは感動した >>548
ロムカセットよりは新しいけど、CD-ROMだって1980年代後半には既に市販されていて、
最新でも革新でもない技術だけどね。 だれもがそんな物で起こせるわけがないと思っていたもので起こしてしまった
ソニー得意の枯れた技術の水平思考ってやつだね とっくにPCエンジンのCDロムとか出てたからね
FF7のムービーみたいな事も、技術的なやり方は違えどすでに天外魔境とかで手法としてはやってた事
ただ、周辺機器とかを買わないで、最初からCDロムが標準装備にしてその形式をデフォルトにしたのが功を奏したかもね >>511
だいたいこの通り、さらに、ソ連崩壊、東西ドイツ統合以降の旧共産圏東欧諸国が
ヨーロッパ経済圏に復帰しつつあったところにソニーがちゃんと販路築いてたことから、
今まで全く売れてなかった地域でゲームハードがじわじわ売れ出したのが大きい。 >性能は最初のリッジレーサーがPCでは不可能な映像とCDサウンドを出してた
というよりリッジレーサー並のクオリティのゲームって同じPSでも中々他メーカーは出せて無かったよね
当時のナムコが凄かったんや コンシューマーでもps4とかすごいことになってる時代に
金に糸目をつけないでゲーセンのゲーム作ったらどんだけすごくなるんだろ。 画面に関しては普通にPCゲーみたいになる
今残っているアーケードのハード的優位性は特殊筐体 >>558
アフターバーナーとかスペースハリアーみたいな奴
最近では少ないけど、ああいうのもっと作って欲しいよなあ。
家庭用で何でも出来るようになった今だからこそ、ああいうゲーセンでしか出来ない筐体は
意義があると思うのに・・・。あんまり儲からないのかな・・・ 任天堂のディスク書き換えサービスはよかったな
ソフト1本500円くらいだったっけか スイッチでも3年後あたりに500円で新作・旧作書き換えサービスやるといいね
ファミコン83年、ディスクシステム86年発売から計算して3年後 >>557
ジョイポリスのゲームライドなんかがそうじゃないのか?
ライド以外でもZERO LATENCY VRとか >>562
3年後ハードが生き残っているかどうか・・・ PSVRと鉄騎コンみたいなデバイスでもっと没入間出す方向とかいくのかな >>559
スペースハリアーは、ファミコンでスーパーマリオが発売された翌月に、
MC68000を2個とZ80を搭載して、ゲーセンに登場した。
CSが8ビット1個でやってた時に、な。
アーケードゲームメーカーというのは先進技術でやってたんだけど、いつの間にか行き詰まってしまったな。 PS本体を発売日の2日前、12月1日に買った俺
ソフトは3日まで売ってなかったので、2日間本体を眺めてた思い出
で阪神大震災の時には何よりも先にPSの安全を確保した思い出 セガ信者だった自分がキングスフィールド目当てにサターンそっちのけでPS買った懐かしい思い出 ソニーは電気屋らしく本体のコマーシャルを何年も続けるのも初代PSの躍進に関係あるだろうね
PlayStation2発売した後にさえ、廉価小型化したPSoneとはいえ初代PS関連ハードの本体CMしてたし
電気屋といえば店頭カタログ/パンフレットを充実させるのも電気屋的発想か あのパンフレットって効果あったと思うよ
ずっと発売予定ソフト眺めてたし クリスマスとか夏休みはもちろん
ボーナスでプレイステーション買いませんか?とか
新生活に向けてプレイステーションも買いませんか?とか
単身赴任のお父さんにもプレイステーション勧めたり
「本体」のCMは他社ハードに比べて多い >>566
PS1・SS互換基板といったCSベースの基板がメインになって、今はPCをそのまんまアーケードに転用しているのが主流だし
アーケードタイトルを可能な限りCSに素早く移植して採算取る流れになると、下手な独自性は足かせにしかならないし
昔みたいにただそのゲームだけのために基板を開発するみたいな無茶は出来んよ >>552
PCEロムロムとかFMタウンズとかマニア向けでしかなかった
技術は最新でなくてもカジュアル層には最新だった CD-ROM には憧れのような感情があった
すごい未来的というか
だから64が採用しないとしってすごいがっかりしたな
それでps買ったし >>568
自分は95年バーチャファイターリミックス同梱版サターン買ったな…
学生だと2機同時はさすがにきつくてプレステは翌年に回したのもあるけど
ナムコがリッジ出してたとはいえ様子見せざるをえなかった >>574
PCEロムロムは中古屋行くとCD-ROM2の棚や中古ハードがあったので
ハード持ってなくてもCDのゲームソフトがあるって知ることが出来たから
プレステがCD媒体でも消費者がすんなり入れたって気がしなくもない CDになった初期はロード時間最悪だったよ。
RPGで戦闘まで10秒とか普通だったし。 初期のCDは苦労してデータの円盤上の物理位置を最適化配置していたけど、もはや廃れた技術になってしまったな >>578
PCEロムロムのロードは黎明期とはいえひどかった、オレンジブック準拠ではなくランダムリードのできない欠陥品だったのも拍車をかけたな
ぶっちゃけディスクシステムと変わらんw デザインが最高に良かった
PS2とか旧型は歪だし、PS3も初期型は歪
PS4はデザインが良い >>296
これが山内を激怒させた後ろ足で砂ってやつ?
まあこの広告のインパクトははんぱないね
ドラクエ6 11400円
FF7 5800
ひゃあw >>296
当時のあのグラフィック5800円って良心的だよなほんと
今じゃPCに劣るグラフィック、フレームレートで8000円とか狂ってる 確かPS、SSは二倍速CDってのを使ってたんだっけ?
そう考えると、これらは、CD−ROM最大の欠点だった読み込みを
最低限ストレスが少ない程度まで引き下げられた最初の機種だ と言う点が大きかったのかも知れないなあ >>582-583
3枚組6800円に変更されてる >>584
倍速ではあったけどCDにデータが詰められるもんだから
カプの格ゲとかNOW LOADINGが長かったからなぁ
FFTみたくストレス無いのもあるけど ネジコンは偉大な発明だったがなんであれ以後使われないんだろう >>586
ナムコのゲームはロード時間がほとんど存在しなかったなあ
まあネオジオCDを体験したら、どんなもんでも許せるようになるけど スクウェアがクソゲーばかり出してたな
いまじゃ恥ずかしくて続編を出せないようなゲームばかり >>582
違う
任天堂が怒ったのはスクウェアが64は駄目だと公言し回ってて、エニックスにDQをpsに出すように誘ったこと
これで山内が激怒
ソースは元スクウェア社長の鈴木の発言
GBAに参入希望したい時に反省の弁として新聞で述べてた 山内はスクウェアがpsに参入すること自体は怒ってない
ハード選択は経営判断だということで仕方がないという考えだった
スクウェアはその後の対応がまずかった
エニックスはきちんと義理をとおしたのでその後も良好な関係を維持できた スクウェアがクソゲーばっかり出してたのはPS2じゃないの
あのときは守りに入った上にクソばかりだから褒められるところなかった
PS1時代は野心も攻め姿勢もあった PS時代はFFTやらベイグラやらフロントミッションやら武蔵伝やら面白いのいっぱいあったな
謎なのにはレーシングラグーンくらいw
PS2はバウンサーからもうやばかった 自分は目押し苦手でパズルもだるいんでベイグラ未だに面白さ理解できんわ… フロントミッション2は鬼のように読み込み長い、戦闘シーンスキップできない、CSでまさかのホモ展開と
子供ながら、なんだこのゲームは?と思ったな
その前後に遊んだアインハンダーは読み込みが最初にある以外は全然ノンストップでポリゴン活かしたSTGで
ジャンルが違うとこうも同じメーカーでも差が出るのかと思った。 >>586
サターンに限って言えば拡張RAMで一気に読み込んで読み込み一瞬なのも有ったな。
ただカセットの接触が悪くて紙とか挟んでたw ディスク媒体もそろそろ終わるんだろうなぁ
DVDでもBDでもローディングの長さはCDロム時代と変わらないし ゲームパッケージはCD-ROMケースが好きだった
PlayStationゲームのたまにディスク1枚組なのにぶ厚いやつとか
いまのディスクパッケージの、指で押すとぐにゃぐにゃしたのより
触るとカチーンって固いし開けたときの感触もいい
表紙―背表紙ー裏表紙を1枚で済ませてる今のより、
表面と背中&裏面で2枚使ってる昔のほうがある意味豪華 >>589
SFC時代で作り上げてきた名作の殆どをPSで潰してしまったと思う
新規で新しいゲームも作ろうとしたが(野球ゲームとかもあったな)それも悉く失敗
残ったのはFFのみ。そのFFもSFC時代に比べると賛否両論が大きかったし
PSにとってスクウェアの参入は救世主と行っても良いぐらいだったが
スクウェアにとってのPS参入は必ずしも成功とは言い難い感じだったね アクエスとかあったな
コンビニ専用ブランド
速攻消えたけど >>599
スクエアこそ任天堂と初心会に育てて貰ったようなモンだろうにな このスレに真実がある
どうすればPS4ソフトの価格高騰を解決できるのか [無断転載禁止]©2ch.net
http://krsw.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1490628326/ >>598
Pケースってやつだったかな?
そういえばPSソフトで1枚組なのに普通のCDケースとPケースと混在した意味って何かあるのかな
詳しい人教えて >>590-591
けどこれ理不尽じゃね?
ダメだと思ったら批判してほかのところを勧誘してくるのはそこまで変なことでもないと思うけどなあ
んでさらに任天堂の場合は自社で他社をガーガー非難というか否定しまくってたしさ >>599
ロマサガがあったって書きたいのなら分かるけど、FFに関しちゃあんたの思い出補正だよ
実際やってみたら、4〜6は7〜9と比べてあまり良いとは思えない
1〜3なら確かに名作だったけどね FF4〜6はSFCのスペックを使いまくった当時の演出過剰ゲーRPGだったよ
その流れは7以降も変わらない
PS時代でタイトル駄目したのは多いのは勿論だけど、SFC時代だって似たようなものだよ PlayStationのFFシリーズ1作目のFF7で、初めてスクウェアのRPGに触れた人も
その2か月後に発売のPS版FF4で他機種1作目のFFを追体験できたな >>608
リッジは既にテクスチャ付いてたのがデカい
アーケード版リッジが1993年だけど丁度翌年にPS1が出てタイミングもばっちりだった >>606-607
俺は逆の意見だな
是非6と7を連続やってみてくれと言いたい
如何に6のプレイが快適で7で快適性が失われてたかがよく解るから
如何に同じ演出過剰と言えども6と7ではその程度が全く違うのがよく解るから
7のグラフィックが実は(6と比べても)そんな大したことが無いのがよく解るから
7こそ思い出補正の最たるものだと断言できる
8はシステム自体に問題を抱え
9は3作目故に完成度自体は高いものの、テンポの面では更に悪化してしまった >>611
リッジは当時のPSゲーの中でも一歩抜けてた
既出だが当時のナムコが凄かった >>590
それ言ったのは髭な
それで任天堂と怒らせたせいでデジキューブも失敗に終わったという >>613
ナムコワンダーエッグとかな…
スーファミ出た頃もうウイニングランやソルバルウあったし
ゲーム開発への取り組み方が良い意味でおかしかった >>612
>7のグラフィックが実は(6と比べても)そんな大したことが無いのがよく解るから
思い出補正、ここに極まるだなw 定価
FF6 11400円
FF7 6800円
こりゃ移籍しますわー >>616
実際ドット最高レベルのグラフィックを実現してる6と
初期のローポリレベルの7では(技術的にはともかく)パッと見の印象は6の方が綺麗な位だと思うな
驚くほど綺麗になったのはやっぱ8ぐらいからかな
8とか9は当時のスクウェアの技術力もあってPS2ソフトに匹敵するぐらい綺麗と言っても
過言じゃないが、7は言うてもそんな大した事ねえと思うな >>610
このメガドライブのバーチャレーシングはサターンが出た後でも遊んでたな
スーファミのワイルドトラックスはコマ送りみたいな動きのにバーチャレーシングはスピード感があった
スーファミはcpuが貧弱ってところで差があったのかな >>612
いやあ、私も今やるとSFCの方がキツいわ
まず話の進行がピント来ないし、システムも4と6はしっくりこない
8はよくシステムに問題があって〜とかいうのはSFCで思春期到来っ子てイメージが強い
なんたって当時の小学生レベルでさえ、普通に理解できて全クリまでやってたのにさw >>618
PS1の戦闘シーンがポリゴン+フィールドがドット絵のRPGの例
ワイルドアームズ
https://www.youtube.com/watch?v=qzbGDnQOKhQ
FF7
https://youtu.be/Vf301d6K5Tc?t=71
FF7は補足すると、ダンジョンや街などは2D上のドット絵だがワールドマップは3Dポリゴンで構成され当時でもここまでこなすRPGはなかったんではないかな
俺の知る限り和ゲーRPGでは知らない >>619
メガドラもSFCもポリゴンこなすにはカートリッジ内に専用チップを搭載して対処してた
ただSFCで使われたスーパーFXチップの場合は純粋なポリゴンではなく疑似3Dで
今のポリゴンを使ったゲームに比べて制約が多かった
メガドラのバーチャレーシングが高速に動くのは、専用チップの恩恵もあるけど殆どテクスチャーを使用してないので
その分リソースを動作の方に振れたのもあるんだろう
もともとアーケードのバーチャレーシングもテクスチャー殆ど使わない生ポリゴンだったし FFのSFC3作礼賛者はとにかく最高峰のドット絵がとか言うが、PS1の3作も
当時としては極限まで書き込まれた2D絵のフィールドマップ上でポリゴンのキャラを動かしてたわけで
そこはガン無視したがるんだよね
その2D絵も立体的に見えるように書き込まれた訳で、SFC時代の本当に平面的なドット絵と次元が違う
2D絵にキャラを動かす手法は、和ゲーならバイオ、洋ゲーではアローン・イン・ザ・ダーク等があり
FF7が最初というわけではない
ある意味FF7は既存技術で当時の最高レベルのものを集めて作り上げたゲームだったんだよ FFは1か3を褒めるべき
2はパンデモニウムがちょっとね……ただ難しい言うてたのは攻略本頼りの人だったんじゃない? 昔のRPG全般に言えるけどとにかくダンジョンが長くて途中セーブも出来ない、出来てもボス戦直前とか
更に演出が貧弱だから展開が同じかつ似たような背景を延々を見せられて終わりのない苦痛な作業を強いられている感じだからな >>621
ワイルドアームズは戦闘時の3等身に衝撃を受けた(笑)
後BGMがマジかっこよかったからな〜 >>625
初期FFを持ち上げるのもちょっとなあ
FF1や2ははっきり言って未完成なんだよな。3でようやくFFは完成形を見た感じ
同じくFF7も3Dポリゴン路線初期だけあってまだまだ未完成感が強いんだよな
9はかなり完成はされてるものの、9もまた7や8と路線が違うのでこの路線の完成形と言えるのは10かな
もっともその10で坂口が抜けてしまったので、10で完成したと同時に最後の作品とも言える訳だが 今度は坂口信仰かよw
ここまで懐古こじらせると重症だなw 自分はFF1PS版のアレンジ好きで関戸さんを知った俺得 CDとカセットの圧倒的な容量差だろうな
64がCDで出してれば戻ってくるサードもいたろうけど CDもだけど強権的なライセンスビジネスや任天堂初心会による流通面での不満が溜まって
PS1やSSに流れた面が大きいんだろうな
あと、良くも悪くもSCEが新参で自社タイトル不足だったのでサードに対して低姿勢かつ異業種の企業の参入も積極的だったのもあったんだろう
フロムも最初はゲーム事業に係わりのない企業だったけどPS参入からゲーム事業の比率を高めていったし こういうのって、懐ゲー32bit板でやるべきなんじゃないの? フロムや日本一みたくPS1年目で躍進したメーカーもあれば
テクノソフト ズーム エグザクトみたく消えてったとこもあって時代の変わり目だった >>633
Zガンダムやしょこたんの話ししてる場所で今さら何言ってんだ ジャンピングフラッシュ系は もっとやれそうなのに
廃れたなあ。
p コーエーはもともと派手さはないが安定した売上を出すメーカーだったのが、
PS2ロンチで決戦を出したのと、無双シリーズを出して跳躍した感じ
コーエーはFC時代から全機種マルチもやる手広さがあるのに、PS3以降やたらアンチがついた感じだな >>638
初出の三国無双 1対1の格ゲだったなぁ
諸葛亮ビーム「なんでビームやねん」とちょっと笑えた 無双シリーズが当たって以来、あいつは変わっちまった やっぱりPSならではのゲームと言ったら鉄拳3とグランツーリスモだな
明らかにサターンじゃ無理だなって思わされたゲームだわ ttp://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/koei/2
によるとファミコン版信長を88年に出せるまでPC中心にならざるを得なかったぽいな
スーファミ時代からアンジェリークとかウイニングポストとかも作り出してて
いろいろ試行錯誤してたんじゃないかと思う >>638
PS版三国志6が15万本 アンジェリークデュエットが1万本いかず
社名を光栄からコーエーに変えてしまって少なくとも躍進とは言えない >>619
メガドライブのバーチャレーシングは二番手のハードにしてはかなり売れたらしいね
ファミ通のランキングもスーファミかメガドライブかといっ時代でした >>4
そりゃ逆だ
大差付いたからFFが参入決定しただけ
それがトドメになったのは事実だが
>>7
それも逆
PSが3Dを流行らせた
当時は殆どの人間は懐疑的だったよ パラッパ IQ クラッシュあたりのおしゃれな感じが大きいよね。
これで今までと違うそうがついた。
任天堂が自滅したのも大きい。 PS・SS時代はTVでも特集を上げて次世代ゲーム機戦争と報道してたな
時代は3Dポリゴンでマルチメディアとしてゲーム以外の端末としても将来性があると
この流れがゲーム機がPCの立場を脅かしかねないとMSが危惧して旧箱でCSゲーに参入する流れになった
PS・SSは中期あたりまでは一進一退で、アーケード移植が豊富なSSがやや優勢かに見えたが
SCEが積極的にサード参入を呼びかけたのと値下げ作戦でジリジリとPSが伸びていき、
鉄拳2やバイオ1がミリオン出した辺りで情勢が決まりかけていた感じかな
トドメはFF7だったのは間違いないけど >>648
>>7の3Dが流行したの言うのは、当時の映画特撮なんかで3DCGが使われたり
してたのを指してるんじゃないの?(ターミーネータ2とかジュラシックパーク)
>>650
それもあるけど、MS自体、90年代入ってからリビングへの進出を検討
してたから(ゲーム関係云々とは別に)いずれにしろ箱というか、セット
トップボックス的なハードは出すつもりだった。 MSがCSに参入の流れ
http://mugendai2.hatenablog.com/entry/20080225/1203908760
彼は1999年にプレイステーション2(PS2)が発表されるよりずっと前に、ソニーのCEO出井伸之に、マイクロソフトのプログラミングツールを使ってほしいと持ちかけている。
次に出るPS2用のゲームを作るのがこれで楽になると主張したが、出井は断った。
出井によれば、ほかの分野でもマイクロソフトの提案を退けたので、ゲイツはかんかんになったそうだ。
自分の返事をゲイツがあまりにも個人的に受け止めたことに、出井は驚いた。
世界的企業のCEOであれば、同業者が市場によってはライバルにも盟友にもなりうることを、普通は理解しているはずだからだ。
「マイクロソフトと組めば、「オープンアーキテクチャ、イコール、マイクロソフトアーキテクチャですからね」と出井は、『ニューヨーカー』のケン・オーレッタとのインタビューで述べている。 バイオハザードとかの新規シリーズがあたったのも大きい。
PSはよくあれだけ、何本も当てたよなあ。
マリーのアトリエもPSか。 バブル期(89年〜91年)で時代が良かったのもあるね
馬鹿でもそこそこお金持ってる人が多い >>651
その意味ならおかしくないか
ゲ−ム限定でしか考えて無かったよ >>650
そもそもプレステとサターンじゃソフトに絶対的な差があったじゃん
例えばサターンのRPGの代表作ってグランディアだと思うけど当時はゼノギアスの方が評価が高く人気もあった
特にプレステ後期は鉄拳3やGT、MGSやベイグラ、エースコンバット3などゲームの質で圧倒してたよ オリジナルタイトルのラインナップに関しては95年の時点で既に差が出始めてたと思う
ロンチの闘神伝やクラクラやモータートゥーングランプリを始め、スペースグリフォンやキリークザブラッドや
キングスフィールドやジャンピングフラッシュやボクサーズロードと性能を活かしたタイトルが目白押しだった >>657
ゼノにしろグランディアにしろそれらはPS中期辺りのゲームだからまた別の話
その辺だと既にPSが覇権取ってたような状態だった
初期はまだそこまで差がなかったし、アーケードで絶大な人気があったセガタイトル(特にバーチャ)が人気で
サードも既に手持ちのアーケードの人気タイトル(対戦格闘やSTG)をCSに出して行くのが中心でポリゴンを活かしたタイトルはまだまだな状態だった
2DゲーはSSの方が得意だからマニア層はどちらかと言えばSSが多かった
そういう意味ではPSに新規参入した企業の方がポリゴンを使ったゲームが多かったな
あとナムコがリッジや鉄拳1を早い段階でPSに出し続けたのも大きかった 結局そのアケ移植に頼りっぱなしだったのが96年以降のサターン凋落の原因なんだよ
PSはその辺りのバランスが良かった
まあビヨビヨなんて失敗作も紛れてたけども グランディアはなぁ…RPGにまったく興味ないやつらが「PSに勝つため」だけに必死に持ち上げてた感がある 一番の誤算は当時最もポリゴンを知り尽くしていたはずのセガがポリゴン形成するのが独特なSSを出したことなんだよね
そしてCSにポリゴンが中心に展開する流れが予想以上に早かった >>652
それがプロジェクトミッドウェーに繋がったのだから結果的にありゴキだなww 日本国内で言えばターニングポイントはFF7だよな
ポリゴンとムービー再生機能に優れてたからか >>663
CSゲーでPS潰しに躍起になってたら林檎や泥にスマフォタ・ブレット分野で遅れを取ってるんだから
株主らにしたらリソース半分考えてスマフォ事業なんとかせいと言いたいだろうさ サードパーティを優遇して任天堂に勝った。
本体の設計も上手かったな。
シュリンクしやすくコストダウンが容易でセガに勝った。 同発なのにサターンより3D性能が格段に高い、開発環境も優れていてコストダウンをし易い設計
当分2Dメイン時代が続くだろうというSEGAの予想が外れた時点で勝ち目は無かった 95年の時点では最終的には64が勝つと思われてたが、64はCD-ROM採用しないからCD-ROMしか作れないゲームをプレイするためにps買ったわ
ときメモとか
SS買わなかった理由はSSってちょっとマニアすぎるんだよね
ゲームが
PSの方がカジュアルぽさがあったよ
種類も豊富だったしね SSのコントローラー見れば分かるが
明らかに2D格闘を意識してる
開発当時はスト2とかがブームになってたから
PSはそういったゲーム業界の潮流に左右されずに我が道を行ったから3D特化できたんだろう
実際バーチャ無かったら2D時代が続いただろうね ソースは無いので信憑性は低いがSS開発にカプコンの意見が取り入れられたという話を聞いたことがある
当分2D時代が続くとカプコンがアドバイスしてSSは2D寄りになったと
でも実際は違っててそれでカプコンも責任を感じててDCでは積極的にソフト出してサポートしたらしい サターンは当時SH2を1個しか載せない予定だったが、PSの性能に危機感を覚え急遽2個載せた。
元々SH2はデュアルコアでも動かせる設計だったので何とかなった。
これが無かったら圧倒的にPSの方が上だったろうな。 >>670
当時はヴァンパイアやX-MEN、ネオジオ格闘が全盛期だったね PSは実験的ゲームを大量に出せた事も大きいな
お陰でゲームの幅が広がったと思うし新規のライトなユーザーを多く引き込めた
それが無かったらリズムゲーなんか流行らなかったかも知れんし SH2が1個だけだったら、どの程度のポリゴン性能だったのかなあ PS初期はファーストも、パラッパ クラッシュとかで頑張ったし
フロムソフトウェア ナムコの助力も大きかったし。
そこらへんの手数の多さがFF7誘致につながったし。
ソニーが更地から、よくそこまで持って行ったもんだし。 >>675
片方のCPUをまるごと座標変換に使ってやっとあのポリゴンレベルだったからなぁ
1つしかなかったら、たぶんPC-FXや3DOレベルだったかと… 今と同じで当時もSONYが相当汚いことしてたんだろうなぁ >>678
んなわけあるか
もっとアコギな商売しとったわ >>676
あと流通面ね
ロット数緩和、リピート迅速で木曜販売して売り切れてもリピート速いから週末には再入荷可能と
他のハードよりもスピード感があった
まあ、定価強制とかも弊害もあったけど >>672
PSじゃなくてN64
当初セガはpsなど全く意識してなかったし、cpu2個追加決定したときはpsはまだ発表されてなかった気がする
64の構想が発表されただけ >>672
もしSH2が1個だったらサンダーフォースVが誕生しなかったり
ガレッガの移植とかシルバーガンも実現しなかったかもしれんよ
そして何気にST-Vをググってみたらちょうど今日ST-V保守終息なのか…アーメン
ttps://www2.sls-net.co.jp/cms/sls/pdf/news/201611_p_maintenance.pdf >>648
FF7発表の96年初頭の時点ではまだ台数的にはそんなにサターンとの差はなかったような記憶があるけど、既にその時点で大差がついてたんですね。 >>671
それお前の妄想
当時開発社にいたけどそんな話は聞いたこともない >682
当時サターンは「64ビット級」って宣伝文句を謳ってたね
任天堂次世代機がSGIと組んで64ビットCPU機を開発中
ってのを知って慌てて32ビットCPUを追加したってことか
ところでSGIってまだあるんか?ワークステーションって言葉
自体死語になってる気がするが >>662
誤算といえばそうかもだが、仕方ないかも、
あの当時じゃ、ポリゴン処理するのにSGIみたいなワークステーションでさえも
複数のDPS並べて、今より手間かかるやり方してた時代。
ある意味じゃそれらをワンチップのGPUって形式にできた、プレステの方が
オーパーツ的な感じなわけだった。 >>687
SGIは今でも業務サーバの会社として存在してるしワークステーションという
言葉も業務向けハイエンドPCを指す用語として使われてる。 ポリスノーツ メタルギア パワプロ ときめもも
コナミもPS寄りだったもんなあ。
どうやってポット出のハードに
参入させたんだろうね。 セガサターンにボコられてたんだよなあ
次世代競争でドリームキャストに先行されて
ほぼ詰みだった
ドリキャスが自滅したおかげで勝てた サターンが詰んだからドリキャスに早めに移行したんだぞ セガってアーケードもやってたからアーケードのライバル社はサターンに参入しづらかったというのもある
セガのサードが弱かった理由
PSはなんのしがらみも無かった 当時のセガとコナミも絶賛大喧嘩中だったしなあ
そりゃそこまで肩入れなんかする訳ない >>690
スーパーファミコン用CDROMドライブ向けに、企画書を書いてたところを訪問して拾っていったという話が、ソニーを題材にした書籍に書いてあった。 サターンドリキャスっていうとサクラ大戦とアトラスゲーっていうイメージだな
PSに乗り遅れたアトラスがPS(ペルソナ)のヒットで今やPS陣営を代表するサードなんだから
分からんもんだよなあ >>690
MGS以外は他のハードでも出てるけどね メタルギアソリッドはPS凄いなと思ったわ。これは64では無理と思ってた。ハード詳しくなかったけど。 >>697
どうもSS版はPS版より発売が遅れるって感じだったな。ただその分完成度は上がってたりした
例えばポリスノーツはゲーム内で用語が出て来た時に調べられる辞書が付いてたり、
バーチャガンやマウスにも対応PSで出たプライベートコレクションってのも最初からオマケで付いていた
パロディウスデラックスパックもPS版は2D処理が弱いせいもあり極上パロディウスでは処理落ちが発生したりしたが
SS版はほぼそれは起こらず完全移植。ただSS版では、PSであったオリジナルステージが入ってなかったりするが・・・(BGMだけは何故かあるw) >>698
パワプロは64メインだったね。まず64で出した後
そのアレンジ版みたいなのをPSやSSで出してた感じだった。
これは当時64が一番スペックが高かったから ってのもあるんだろうな >>699
メタルギアソリッドはCD2枚組だったしね
64のカートリッジでは、どう圧縮しても容量が足りなかったと思う
まあ音声を全カットしムービーを減らしたりすれば可能だったかも知れないが・・・
別物になっちまうな
その辺はさすがに光ディスクの強みか 同じセガでもバーチャ作ってたところとハード作ってたところは連携とれてなかったの?
バーチャのゲームの未来を変えるレベルの進化を次のハードで生かそうと思わなかったのかな サターン版バーチャ2もよくこれをサターンで移植できたな って驚かれるぐらいの代物だったけどね
細かい部分はやはり違ったらしく当時のクロスレビューでもそこを指摘したうえで、木を見て森を見ない態度は良く無い
と全体的な完成度を褒めていた
まあでもぶっちゃけ言えば、サターンを開発してる当時本格的なバーチャブームがまだ来てなかったのではないかw
だからその時点では、バーチャがそこまでのキラータイトルになると想定してなかったのかもしれない >>702
ハードの特性活かしたソフトが出てたってことですね。 声優がペラペラ話してムービーガンガンが当たり前の時代に、ホウッとかウホッーイとかで対抗できた任天堂は神ってたな。 >>557
ゲーセンがアツかった時代は業務用とcsの性能差が大きかったからアーケードゲームをcs移植できただけでスゲーってことだったんだけど
今ほとんど性能差無いから普通のユーザーインターフェースのアーケードゲームゲーム出しても「これ家でもできなくね?」になっちゃう
その中で面白いなーと思ってるのがmaimai
あれは家じゃ絶対できないからねw
ソフトはcs移植できたとしてもあれの専コンとか中途半端なものしか想像つかんし
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そういや64だったかw
昔の事だからすっかり忘れてた。
そういや当時はPSなんて家電のソニーが参入してきたくらいの印象だったっけ。
適当書いてすまんね。 初期は悲惨だったよ
SSユーザーがドラゴンフォースを楽しんでる横で
アーク・ザ・ラッドをカミゲーカミゲー言い聞かせながらやるしかなかった アーケード基板がCS互換メインに切り替わる切っ掛けがPSとSSだったからな
ナムコのシステム11にセガのSTV
勿論Model2基板とか上位基板もあったけどアーケード基板の独自開発にそこまで予算も技術力もないメーカーは
CS互換機版に次々と手を出して、いち早くCSに移植するようになった
良くも悪くもCSとアーケードの垣根がなくなっちゃったけどね >>711
?
初期なんてそれこそセガとナムコが全力で戦って
バーチャ鉄拳リッジデイトナと名作がお互いに続々と発売されてたろ バーチャ鉄拳リッジデイトナはゲーセンでプレイできたし
PS初期の頃は大半の子供学生がスーファミだったと思う
PSを買い与えてもらった一部の子だけがPS世界を堪能できた 初期はリッジレーサーとジャンピングフラッシュで未来を感じた。
アークは8時間で終わるクソゲーで絶望した。
幻想水滸伝は、絵がファミコンレベルだったけどやると面白い >>714
少なくとも64が出るくらいまではSFCまだまだ現役だったからね
クロノトリガー・ドラクエ6・風来のシレンなど目玉ソフトもまだあった やっぱ次世代機は未来を感じれなきゃだめやねえ
リマスターやレトロゲームまみれじゃ覇権はとれません >>703
セガのアーケード部門とコンシューマー部門が仲が悪かったのは有名
コンシューマーが赤字垂れ流しだったことも一因か アーケードの雄だったからねえ。
必死に稼いだ金をわけのわからん家庭用で蕩尽されては切れるわ。 アーケードはCSに食われた
性能差がなくなったし、家にいながらにして対戦できるようになったからね ナムコがサターンについてたらFXと同じ運命だったのにな ナムコがサターンに行ってたらまさに一大アーケード王国になってたな
そうなるとPSは目玉が無くなり大して普及せず、そうなるとスクウェアとエニックスは順当に64だっただろう
アーケード移植とマニアックなゲームはSS、メジャーなゲームは64と言う構図になり、面白い対決になってただろうな >>724
結局ナムコは参入表明してたのにSSにはソフト出さなかったんだよな
DCもキャリバーだけだし あの頃のソニーはプレステ以外にもMDウォークマン、スタミナハンディカム、VAIO、VEGAといった商品を連発していた
当時のソニーは間違いなく輝いていたよ >>727
今でこそソニーなんかイメージ悪くなった感もあるが、あの頃のソニーはイメージ良かったからね
「あのソニーがゲーム機作るのか?すげえ」ってなだけで話題性は抜群だった セガ=VF
ナムコ=鉄拳
当時はCSもゲーセンも相乗効果で盛り上がった PSはサードの協力が大きい。
任天堂の64からのソフト不足問題は
中堅が本腰をいれないからだし。 VEGAのテレビは凄かったわ
本当に真っ平らだったし
その後出した東芝の平面テレビとか平面と言っときながらまだ湾曲してたし
あの頃がソニーのピークだったな 今はマルチでDLCもないとペイできないし。
この頃の熱い争いは なくなって寂しいし。 >>726
海外だとDC版ナムコミュージアムも出てたんだけどな >>724
サターンに付くぐらいなら、自社製のハード出してたはず。
実際に検討していたところにPSを見せて貰い、
その性能の高さに驚いてPSに協力する事になったんだっけ? それにしてもPS初期を支えたのもナムコなら
FC初期を支えたのもナムコ。何気にナムコのゲーム業界で果たした役割は大きい
その割には過小評価され過ぎな気がするが・・・
まあ、今のバンナムは大したゲーム出してないからそのせいだろうな・・・ ナムコといえば、ゼビウスやファミリースタジアムなどで、初期のファミコン市場を盛り上げた立役者です。
ファミコンは、メーカーの年間ソフト発売タイトル数が制限されていたのですが、
ナムコやハドソンといった一部の有力メーカーは、この制限が甘かったり、
ロイヤリティが抑えられていたりと、非常に好待遇で迎えられていたのです。
しかし、ナムコがファミコンに参入して5年、
初の契約更新を行うナムコに対し、任天堂はその優遇措置の撤廃を告げたのです。 ロイヤリティで優遇されてたのか
それで39シリーズ(定価3900円のシリーズ)とかを出せてたのね >>702
あの頃ディスク2枚組と言ったら途方もない容量に思えたものだったな
今じゃ苦いカードが64GBもあるが、当時の64はROMもディスクも最大64MBだったからねぇ… 5800円の無茶苦茶な値段を維持しつつ
値下げもありになったしねえ。
小売りかわいそう サターンと同時期?かちょっと前くらいにナムコがハードを出すという噂があった
信憑性は知らんがそれなりの物になったかもしれんね
ただPSほどの大成功はなかったとは思うけど ナムコは実際にハード作ってたよ
でもpsの試作機見せられて辞めたんだよ ナムコのハードってどれくらいのスペックだったのか気になる アーケード基板が基板むき出しのゲーム機みたいなもんだからね…
ググったらシューティングゲームサイド Vol.7にNC-1の話とか
68000にCD-ROMのハード作っててクタに「なんでこんなもの作ってるんですが」とか言われた模様 任天堂からPSが出てたら今ごろ任天堂の天下だっただろうな PS1&DCの頃までは個人ショップもあったけど
PS2の一人勝ち時代に個人店→小規模グループから消えてったな
うちの近所だともうゲオ ツタヤ 量販店しかない ナムコもPSに救われたんやな
試作機見せてもらってよかったのう
そのまま発売してたらUちゃんみたくなってた FFよりファンタシースター派の俺から言わせれば
サターンでファンタシースターの続編出さなかったのが悪い 遅かれ早かれ小売りは縮小される運命だったんだよ
今じゃわざわざ買いに行くほうが面倒だし
通販なりDL版なりが主流の時代
店で中古を漁るのも楽しいんだけどな 今はもうゲオPS1棚無い店舗が多いしな
一応PS3に1互換あるとはいえさすがに役目を終えたかって気はした ファンタシースターはメガドライブで完結したって
言って出さないし。
ソニックもださないし。
頑固と言うかなんというか サターン時代のセガってあくまで挑戦者側なのに何故か最初から勝ってた気分になってたよな
中さんも任天堂をぶち抜いちゃってもいいんですけどね、とか言ってたし
メガドラが海外で中途半端に売れたのがマズかったか サターンって国内ではセガハードで一番売れたからな
実際64より売れたし >>758
北米でスーファミを下して勢い付いていたのでしょうね >>701
なによりコントローラがパワプロのために作られたみたいなコントローラだったからねww >>762
アリサもユーシスもネイもいないのかよ! >>514
「CGムービーがご褒美」っていう感覚、今の10代の子たちには信じられないだろうなww CGムービーはあれはあれで良かったよ
SFC時代では絶対に出来ない演出なんだし
問題なのはそこで進歩が止まってしまったこと たいしてムービー使ってないPS1ロンチのタイトルですら100M近く使ってるんだし
64のカートリッジでは容量=価格に跳ね返るし容量大きいならそれにこしたことはないさ
今でなら圧縮音源の品質が良いけど、当時じゃ良いBGM流すにはCD-DAが有効だったし
それは容量食うし、けしてムービーだけの問題じゃない
そういやPS1のムービーてMotionJPEGだったけ?
当時じゃそこそこの圧縮率だけどどれだけ容量食ったんだろう ムービーからプレイ画面にシームレスで戻るの好き。
逆もいい。FF7でそこは感心したし。 >>756
サターンのソニックジャムに、サターンで3D(後方視点)のソニックを試しに作ったものが、ムービーで収録されてる。
スーファミより速いメガドライブを前提に設計されたソニックを3Dにしてみたら、とてもモッサリするという結果になってる。 >>768
FFTもそうだけど内蔵音源だから実現できるものだしな>シームレスムービー
容量もかからない 再生時ディスク読み込みも無い うむうむ
ドット絵もFFTのほうがスーファミより美しい
2D絵もPSのほうが上回った だからこそFFもあんなわけのわからん路線を目指さず
SFC路線の正当進化を目指してほしかったね >>744
ナムコが試作してたハード、その話聞くとネオジオの延長にあるような
ゲーム機を目指してたのかな? >>761
最終的に抜かれていたとしても任天堂が他のハードに僅差まで追いつかれたのはメガドライブが初なワケで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています