実は今回僕がもう一度コンシューマに戻ろうと思ったのは、
この言葉狩りが緩和しているという話をメーカーさんに聞いたからだ。
それが本当かどうか確かめたくて、僕はあえて『送り犬』を選んだということもある。
十年前のコンシューマゲーム業界では絶対に規制を通らないシナリオだからだ。
それは、シナリオの根底や裏に隠された真実を辿っていけばわかるはずだ。

ところが、このシナリオがほぼ僕が満足する状態で発売されそうなのだ。
ここまで言葉狩りの規制が緩くなったということは、
逆を言えばもう家庭用ゲーム機に一時期のような勢いがなくなったという背景がある。
アプリは、ほとんど何でもありだ。
それに対して厳しい規制を設けていては、もう市場にペンペン草も生えない。

だから、今回の『送り犬』に関して金銭的なメリットはほとんどない。
しかし実質的な利益は度外視しても、僕にはやる価値があった。


なぜか?


僕が本来描きたい世界観をコンシューマーで実現するには、
言葉狩りという厚かった壁が崩れなければならなかったからだ。
それが今であれば、僕はもう一度シナリオを書く意義が出てくる。
そう。
その世界観の一つに『学校であった怖い話』でお蔵入りになった
本当に描きたかったエンディングがあるからだ。
kindleで発売しようと思った『学校であった怖い話 月下美人の章』も
姿形を変えて家庭用ゲームで実現することも可能になるかもしれない。

だから、僕にとってこの『送り犬』は様々な試金石であり、期待なのである。
勘の鋭い方はお分かりだと思うが、僕が今回書き下ろした新作の二本も
規制に引っ掛かるであろう部分が無数に練り込まれている。
これがクリアされるのであれば、未来は明るい。
思う存分シナリオが書ける。