PS初期って全てのタイトルをSCEがサードから買い取って生産し流通までやってたんだよねえ(マーヤが言ってる通り任天堂は問屋に売ってた)
ワープの飯野賢治の謀反とコナミの抗議でソニーが手のひら返すまではずっとSCE流通がコントロールしてた
ゴッキーはPS1時代のソニーを知らなさすぎw


そろそろゲームのことを語ろうか。第1回『エネミー・ゼロ』
http://fyto.com/eno/archives/2007_11_post_300.html
さて……。
『エネミー・ゼロ』について。

最初に、思い出すのは、ロゴを作ったとき。
『エネミー・ゼロ』が、ある意味、始まった瞬間。
突然、あの形のイメージが沸いてきて
丸2日、ほぼ机の上から離れずに、集中して作った。
ふって沸いたものを、実際のイメージに落とす。
音楽とか企画では起こることだけど、デザインでそんなことが起こるというのは
初めての体験だったこともあって、自分でもびっくりした。


次に。
最も語るべきなのは、プラットフォームを変えたことだろうか。
ものすごく悩んだんだよね。
その理由に関しては、過去に何度も語ったし
なんだか「気持ちをわかってくれ」みたいな感じがするから
語りすぎないようにしますが、最大の理由だけ。

それは、前作『Dの食卓』のプレイステーション版のこと。
たまに、SCEがちゃんと販売しなかったことが、その理由だと勘違いされているけど
そうではなくて、オーダーした数を生産してくれなかったんだ。

いまじゃ考えられないけど
当時は、プラットフォーマーが、初回本数を決めていた。
こちら側のリスクで、こちらのお金で、こちらが受注取ってきているのに。
10万枚、せめて8万枚といくらお願いしても、4万枚しか作ってくれなかった。
思い切り、ビジネスロス。
しかも、あまりにも少ないと感じて、調べたところ
2万8千枚しか出荷していなかった。
それはないよね。

そんなことが、ほかにもいっぱいあって。
めちゃめちゃなことが、たくさんあったんだよ。
いまじゃ、いくらなんでも、ありえないことだと思うけど。
そういうことが、いっぱい積もって積もって
残念ながら、相手として、信じられなくなってしまったんだ。

自腹切って開発しているから、うまくいかなかったら潰れる状況で。
『Dの食卓』で上がった利益を、ほぼ投入したから。
開発している仲間のこともあって。
みんなかなり無理して、一生懸命作っていたんでね。

リーダーとして経営者として
大切なソフトウェアを、信頼ができない相手に、預けることはできなかった。

ひとつ言えるのは、いま同じ状況だとしても、同じ選択をするということ。
あたり前のことだけど。