>>69
たとえば言論の自由という概念があるが、じゃあ言論の自由においてその自由そのものを脅かそうとする
言説も許されるかといえば、実際のところは許されない
言論の自由とは社会的努力と理性の上に辛うじて成り立つファンタジー的な理念であって言論のアナーキズムではないから、
それ自体を攻撃する表現をのさばらせておくことは理念の否定になるので排除しなければならくなる

人種差別についても同様で、なるべく最大多数の人間が嫌な思いをしないで済むためのルールとして人権を守ろうとすると
「特定の人達のアイデンティティを傷つけかねない表現」はまず振るいにかけなければいけなくなる
そういった努力の末にその表現による一切の被害者がいないという合意が生まれれば、
今現在は差別的なステレオタイプとされる表現も許されるようになるだろう

しかし実際にそれは難しいから最大多数の最大幸福のために排除せざるを得ない表現が生じる
多様性のある移民国家では特にこれが問題になるが、単一民族的な日本ではあまり顧みられない
その前提の違いを理解せずに平均的日本人にとっての最大幸福の尺度で他所の国を語るからおかしくなる