震災よりも怖いもの
まだ米国にいた高校時代、黒人の友達数人でドライブをしていた時のこと。
偶然通りかかったエリアは白人居住区だった。
スピードを出していたわけでもなかったが、なぜか警官に止められる。
初めての経験だったため、逆に恐れることなく、警官が車を止めた理由やバッジ番号を問い詰めた。
すると車から降ろされ、武器の所有を確認するため体を触られながら「銃を持っているか」、「犯罪歴はあるか」などと聞かれた。
「ない」という返答に対し警官は、「記録メモは自分の一存でなんとでも書けるんだ」と言い、マンスさんを脅した。
結局大事に至らず解放されたものの、自分の行動がいかに危険だったかということを学んだ。

その後、大学生になったマンスさんは、ある日、車を止めて友人と話していた。
すると、通り過ぎたパトカーが突然Uターンをして背後についた。
サイドミラーには、銃を持つ警官の姿が。
そしてその矛先は自分に向いていた。
車内にいた友人に「警官が撃つかもしれないから冷静にしていてくれ」と頼む。
駐車禁止区域ではなかったにも関わらず「ここには停めるな」と言われて済んだものの、「自分が撃たれるかもしれない」という恐怖は凄まじいものだった。

深呼吸をしようとしても、思いっきり肺の奥まで息を吸って吐くことができない。
これが黒人であるということだ。
呼吸ができないわけでは決してない。
でも息を吸う時に、何かが引っかかり、何かが奥にあるために大きな深呼吸ができない感覚。
完全にリラックスしたり、自信を持ったりできないような感覚にも似ている。
自分が生まれた国でこのように感じるということは残酷だ。

少なくとも日本では大きな深呼吸ができる。
それは、肌の色が原因で命を落とすまでの危険がないからだ。
東日本大震災を東京で経験した。
今までの人生で体験したことがないほどの大地震だった。でもその時思った。
「米国で警官に止められる時ほどは怖くない」と。
それは、大災害とはいえ、みんなと同じ体験をし、みんなで乗り越えたから。
白人警官とのやり取りは、自分がまさに「ターゲット」になり、下手をすれば命を落とす可能性がある。

https://globe.asahi.com/article/13492009