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本当にいつもすみません
では少しだけ書かせていただきます(内容が内容なので親が来たら途中でも送信します、戻れば書きます)

私が生まれたころの話です
私は生まれたとき父がスペイン人母は日本人に6個上の姉が居ました
父は記念日にはメッセージカードを描いたりポエムを作ったりお花が好きな人でありましたが非常に怒り易くすぐに手を出す人でもありました
お母さんを殴るけるの所謂DVです
勿論そんなお父さんに激怒していましたが2001年の9月11日爆破テロがありましたね
お父さんはその近くへ住んでいて自分のお母さんがと急いで帰りました
「自分は死んだと思ってくれ」
母にそう言って6歳と母と二か月の私を残していなくなりました
そこからお父さんは何回も結婚し何回も子供を作り
去年、いきなり関わり合いがなかったのに電話がかかってきました
「久しぶり」
どこの高校だとかいろいろ聞かれたのちに言いました
「通信??ふざけるな、そんなところ行くならアメリカの学校(全日制)に行きなさい!!」
「ふざけないで私もやりたいことがあって入ってるのいかない」
「こっちへ来たら日本には返さない」
「ふざけるなよ、そんなことをするんじゃない!」
お父さんは私の名前と年齢位しか知らず、いや年齢も怪しいのに今の今まで一切の関りが無かったのに。


母は姉の時と、私の時、妹弟の時で三回結婚しています、皆父親が違います、今のは三人目です
一人目は酒飲み女好き
二人目はDVの酒飲み
三人目は放任の自己中です

お母さんはおそらくですがACだと思います
お母さんのお母さん、要はおばあちゃんととても仲が悪いのです。
母には弟が居て二人兄弟
おじいちゃんは女癖が悪くすぐ離婚(今ではいいおじいちゃんです)
おばあちゃんも男好きで仕事を休んでまで遊びに行ったり深夜でも母に酒を買わせたり
また弟の学費などは出し母のは一切学費も出さなかったので母は幼いながらにも働きました
母の欲しいものも買ってもらえず裁判の真剣争いでは父母共に「弟は長男だからほしい、母はいらないから」
とそのまま言って争っていたようです
また怒るときも何故このような事になったのかなどを聞くことはしませんでした
すぐに手が出て友達や男には料理を作ったり優しくしたりしたそうです

今でもおばあちゃんはお母さんをこき使います
一回縁も切りましたが今も半分そうですがどうにかこうにか優しくしています

最近の話
おばあちゃんの再婚相手が死にました
でもその人は自分の身内だけを可愛がり私たちおばあちゃんの孫は手を出したり暴言を吐いたり馬鹿にしたり
遺産もおばあちゃんに一銭も残していませんでした

そんな彼を毎回庇っていた馬鹿なおばあちゃんも、泣いていました
私は人はこんなことをしてきても泣いてくれる人が居るのかと葬儀の際一切泣けませんでした
鼻歌が歌えるくらい興味もありませんでした
そんな自分に泣きました


ここまでが身内の話です