勝海舟は妾5人! 秀吉は側室20人!! 伊藤博文には13歳の愛人!? 時代で変わる"性の規範"

英雄色を好む!? 正常と異常は時代で変わる
住み込みのお手伝いさんに次々と手をつけては妊娠させ、同じ家に妻がいながら、お手伝いさんと、彼女に生ませた子どもとも一緒に暮らす生活──。
現代ならば、まれに見るゴシップニュースとして世間を騒がせ、一種のセックス依存症として、診断の対象となるだろうか。
だが、これが幕末期に活躍した日本史に残る偉人のことだとなると、また話が違ってくる。

その人の名は、勝海舟。
30代の頃、長崎海軍伝習所で学んでいたときに愛人ができたのを皮切りに、
お糸、おかね、お久、お米、おふさ、おなか......と妾を持ち続け、
少なくとも5人の妾に計9人の子を生ませ、妻と妾と同居する生活を送っていた。

本人曰く「それでも家庭はうまくいっていた」らしく、
妻・お民を「おれの手をつけた女どもが一緒にいて、おれの家に波風一つ起きないのはあれの偉いところだ」と評した。
もっとも、海舟より長生きしたその妻は、死に際して「海舟のそばには埋めてくれるな」といったそうだが。

明治新政府では、初代総理大臣・伊藤博文の好色ぶりも有名だ。
女が掃いて捨てるほどいたため「帚(ほうき)」というあだ名がついたほど。
行く先々で芸者に手をつけては、自宅に連れ帰って泊めてしまう。
そのなかには13歳の幼い芸者もいた。
その芸者たちの面倒を見たのは、これも元芸者の妻・梅子。
伊藤博文は、40度の高熱を出したときでも両側に芸者二人をはべらせたというエピソードもある。並の好色家ではない。

戦国時代に目を転じれば、天下人・豊臣秀吉の女好きも有名だ。

「英雄色を好む」という言葉がある。時代によって漁色家や艶福家は、むしろプラスのイメージで使われてきた。
時代と社会の状況によっては、複数の女性と関係を持つことが評価された場合すらある。
性に関する規範は、時代とともに変わる。異常と正常のラインは、その時々の道徳観念や常識に左右される、相対的なものなのかもしれない。