反出生自体が未熟というか落し所が見えにくい考え方ではある。だから個人的な思想の枠を超えられない。
だが逆に考えると、社会ないし公共に対してなんらかの利益を提案するのとは次元が違う考え方だ。つまり社会的な問題解決が目的でもない。
私は単純に反出生とは個人が世の中に対して、一定の評価、認識、感想を下す一つの形だと思っている。
自殺もそうで、社会的には不利益な人間、利益を出さない人間が死ぬ事は喜ばれるが、個人が社会に対して生きるに値しないクソと烙印を押す形でもある。

そして烙印を押され続けた社会を果たして神は愛するだろうか?私は今それを考えている。