すでに、毒親という言葉が社会的に十分広まり定着したように、親ガチャという言葉も、
一過性の流行語ではなく、今後は間違いなく、誰もが知る言葉として社会に定着していくだろう。

すでに多くの人々は、薄々気付いている。親ガチャだけじゃない、この世に産まれ生きるとは、あらゆる面で
「ガチャだらけ」であり、現実的に自力でコントロールし得ることは、実は一見予想していたよりもはるかに少ないのだ、と。

ガチャの当たりハズレとか、ハズレた場合のリカバリーとかは、実は「確率論」的な枝葉末節の話しでしかない。
死ぬまで逃れられない理不尽なガチャだらけの世界に、何の必要もないのに強制的に勝手に引きずり込まれ、終生ずっと格闘を強いられる構造自体が、そもそも真の根本的問題なのだ。

ここに、やがて思い至る賢い人が増えるのも、今や時間の問題だろう。ま、そんなことは、前々から分かっていたこと。
だって反出生は、そもそも初めっから、究極の先見である「根本・核心」を見つめてきたのだから。