ノモンハン事件の戦略と戦術

中央からの物資の輸送はシベリア鉄道が頼りであり、輸送の責任者であったA.V.ノヴォブラネッツは「日本軍がシベリア鉄道のひとつかふたつでも爆撃していれば、
モンゴルのソ連軍は燃料・武器・弾薬もなくなっていただろう」と回想している。しかし日本軍は1939年6月27日にタムスクを爆撃した後は、
大本営の命令により越境航空攻撃を禁じたので、ソ連は何の妨害を受けることなく大量の物資を前線に送り続けた。



大日本帝国軍には補給はという概念はないからね