0001名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:30:49.99ID:gvajUm/K0
https://www.playstationlifestyle.net/2019/04/11/2d-final-fantasy-vii/
FFファンの多くが1997年の運命の日をよく覚えているだろう。
蒸気を上げた機械都市のとある駅に電車が入ってくる映像を今でも鮮明に思い出せるはずだ。
そして今、当時の開発者たちがFF7の制作過程について幾つか面白い情報を提供している。
彼らによれば、FF7は当初「強化型2DRPG」として開発されていたらしく、この決断について
開発陣はファンが3D映像に拒否反応を示すのではないかとの懸念が現場にあったと説明していた。
「例えば7の最初の場面ではズームアウト、ズームバックが非常に効果的に使用されていました。
それを見た時、みんな鳥肌が立っていたと思いますよ。私が今でも覚えているのはそれですね」
とは7でアートディレクターを務めていた直良有祐氏。
当時25歳、CG制作を仕事にして数カ月しか経っていないにもかかわらず7の開発を任された彼は
「この会社は完全に狂っていると思ってましたよ」と笑いながら当時を回想している。
また今作の象徴的な街・ミッドガルはそれまでのFFとは明らかに一線を画しているが
これは坂口博信氏の「次の概念はニューヨークのような巨大な摩天楼になっている雨の町で
事件を調査する刑事にしよう」という発想から始まっている事に起因しているらしい。 0002名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:32:05.85ID:gvajUm/K0
同作でディレクターを務めた北瀬佳範氏は初めてそれを聞いたとき
「ファンタジーとしてはかなり変わった作風だな」と思っていたと振り返り
坂口氏のイメージが開発中、常に頭から離れなかったと述べている。
さらに多くの開発陣は7のOP場面を見た時、これは特別な何かになるなと予感したという。
彼らはこれが映画とゲームの融合体になると確信していたし、ミッドガルの街並みを含めて
誇らしさを感じていたようだ。
前述の直良によれば、この街は東京をモチーフに制作したもので神羅ビルは
仕事場の近くにあった「軍艦ビル」と呼ばれていた建物から引用したらしい。
「城の奥に悪者が住んでいるというファンタジーから脱却したかったんですね。
普通のオフィスビルに悪人を登場させたかったのです。
よくブレードランナーから影響を受けたのですかという質問を受けるのですが、それはないです」
と語っていた。
0003名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:33:22.89ID:gvajUm/K0
『2Dファイナルファンタジー』
映像技術の面でも7は草分け的存在であるが、北瀬ディレクターによると
3Dへの移行に当たっては現場で大きな衝突が発生していたらしい。
開発中は度々、ファンからの拒否反応を警戒し「アップグレードされた2D映像」にして
より親しみやすい物に変えようという計画が浮上していたようだ。
「FF6までの印象が強いファンは2Dを求めているのではないかという心配がありました」
と、彼は当時の現場を思い出していた。
FF7は発売から既に22年が経過している。が、今作の影響力は未だに強いままだ。
クラウドはキングダムハーツから大乱闘スマッシュブラザーズまで頻繁に登場するし、その魅力は色褪せていない。
「今でも私のところにやってきて、7が如何に楽しいゲームだったか語る人が後を絶ちません。
ですから、これは私の人生で達成できたことでも、もっとも偉大なものの1つですね」
と、直良氏は話している。
FF7は97年1月31日に発売された時からビデオゲーム全体に多大な影響を与えてきた。
PS1で2番目に大きな人気を獲得したソフトであり、現在まで1100万本を売り上げている。
愛らしいキャラクターと優れたグラフィック、驚くべきアート表現はRPGの地位自体を高め
JRPGが一つのジャンルとしての存在感を確立した瞬間にもなった。
さらに言えば、完成にはまだ多くの時間が必要な可能性が高いように見受けられるが
スクウェア・エニックスは現在7リメイクの開発を日夜進めている最中なのである。
0005名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:37:51.94ID:m0kwX2GO0
いいからさっさとR作れアホ共
0006名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:43:56.58ID:YcrYvDPmd
Rよりそれ出した方がいいな
0008名無しさん必死だな2019/04/14(日) 23:58:44.54ID:4F0/OROq0
FF7って2Dみたいなもんじゃないか?
ムービーとか有るけど
0012名無しさん必死だな2019/04/15(月) 00:09:08.20ID:yReVa2A00
フィールドはまあ3Dだけど
マップはCG絵の上をポリゴンキャラが歩いてるだけだから2Dだよなあれ
しかも視点も固定だからただ見づらいだけっていう
0013名無しさん必死だな2019/04/15(月) 00:15:12.84ID:fzxw/ybr0
RPG以外にも多くのフォロワーが生まれた表現でしょ
スクエニのスクのほうの、原作ファンを無視してリメイクを魔改造したがる悪癖はなんとかしたほうがいい
0015名無しさん必死だな2019/04/15(月) 00:29:23.34ID:5KMfIO2p0
http://brownie-games.co.jp/201402051731.php
あの頃のあんなお話2 聖剣3編 その1
おいらは聖剣2から引き続きキャラクターデザインが決まっていて
大体やる作業量や作業工程も聖剣2で身についてたんで、
やや余裕をぶちかましとったんやけど、
”津田”、”成島”とゆう2人の天才グラフィッカーの
ハイクオリティーな試作グラフィックを見て
「こりゃ、のんびりしておれん!
キャラクターも負けてられんぞっ!」
と、刺激されまくったんは今でも鮮明に覚えておる。
まさに切磋琢磨ってやつやね。
更にこの頃、ゲーム業界にいるグラフィッカー全員に影響を与えたであろう
あのゲーム「伝説のオウガバトル」の発売後だったから、さぁー大変!
この時代はスーパーファミコンの基本パレットスペック16色とゆう表現の限界を
勝手に決めつけていたけれど、
この天才2人と「伝説のオウガバトル」(グラフィック吉田明彦、皆川裕史)とゆう
怪物ソフトとの出逢いのおかげで
”ドット絵を超えたドット絵”を極める手法に、猫も杓子も奔走しておった。
特に当時のスクウェアはグラフィックの美麗さが会社のウリでもあったから
社内でも水面下では結構はライバル争いが起こっておったよ。
正に”スーパーファミコングラフィック黎明期”ってやつやったね。
熱き良き時代やった。 0016名無しさん必死だな2019/04/15(月) 00:29:44.37ID:5KMfIO2p0
http://brownie-games.co.jp/201512031645.php
あの頃のあんなお話 サガフロンティア編 その2
で、今作「サガフロンティア」はハードも2Dドットマシンのスーパーファミコンから、
ポリゴンマシンのプレイステーションへ移行。
この頃既に「ファイナルファンタジー7」チームは、ポリゴンで構築された
キャラクターやらモンスターがモニターの中でウネウネと動いておった。
でもね、この頃の3D表示はまだまだポリポリしたダンボール工作のようで、
グラフィックとしては全く美しくなかったねん・・・
で、「サガフロンティア」チームは、どのような表現で攻めるか・・・
どのチームもそうだったけど、FFチームの真似だけはしたくない。
今のプレイステーションのポリゴン表示能力なら
ポリゴンの板にドット絵を貼る2D表示の方が美しいのではないか?
と、グラフィック側からの意見が多かったんや。
まぁみんなあのカクカクのポリゴンを作りたくなかっただけなんやけどね。
絵描きのドッター出身者が多かったんで、正直拒絶反応が大きかった。
モデリング作業は、絵を描く感覚ではないからね。
かと言って、何も変わらずひと昔前の16色のドット絵で制作するなんて
新ハードの性能を活かさないわけにもいかないんで、
そんな中、とられたのがスーパーファミコン終盤発売された
「スーパーマリオRPG」で使われた手法”プリレンダ”とゆう
表現方法に落ち着いたんやで。
”プリレンダ”とは、一度ポリゴンで3Dモデルを興し、それを必要なカット(ポーズ)だけ
画像に落とし込み(レンダリング)、スーパーファミコンのドット絵表示のように
差し替えてアニメーションさせるとゆう
2Dに落とす為だけに、3Dモデルを作るの???少々二度手間じゃね?と、
思ってしまうようなちょいと作業工程に非合理性を感じるけども、
当時は新たな2D表現の手法のひとつやったんやで。
この作業手順に納得いってない人も多かったんやけど・・・ずぶんもふくめてw