https://www.playstationlifestyle.net/2019/04/11/2d-final-fantasy-vii/


FFファンの多くが1997年の運命の日をよく覚えているだろう。
蒸気を上げた機械都市のとある駅に電車が入ってくる映像を今でも鮮明に思い出せるはずだ。
そして今、当時の開発者たちがFF7の制作過程について幾つか面白い情報を提供している。


彼らによれば、FF7は当初「強化型2DRPG」として開発されていたらしく、この決断について
開発陣はファンが3D映像に拒否反応を示すのではないかとの懸念が現場にあったと説明していた。


「例えば7の最初の場面ではズームアウト、ズームバックが非常に効果的に使用されていました。
 それを見た時、みんな鳥肌が立っていたと思いますよ。私が今でも覚えているのはそれですね」


とは7でアートディレクターを務めていた直良有祐氏。
当時25歳、CG制作を仕事にして数カ月しか経っていないにもかかわらず7の開発を任された彼は
「この会社は完全に狂っていると思ってましたよ」と笑いながら当時を回想している。


また今作の象徴的な街・ミッドガルはそれまでのFFとは明らかに一線を画しているが
これは坂口博信氏の「次の概念はニューヨークのような巨大な摩天楼になっている雨の町で
事件を調査する刑事にしよう」という発想から始まっている事に起因しているらしい。