全然関係ない話で書きたいから書いてるだけです(大概はそうですが)

日本人の祖先の祖先が中東ペルシア湾岸〜インダス河渓谷沿いと狙いを定め研究する日々ですが(海上交通の至便さをわざわざ歴史捏造して無視している証拠は有り有り)
まあ聞いて
シュメール人らが何処から現れたかは不明ですが海岸近くの人たちであったことの証拠はあります(遺跡 遺物)でかれらが大きな文明飛躍を遂げたのがチグリスユーフラテス河口より上流扱いやすいユーフラテス側を好んだ

現在イランとイラクの国境付近イラン側がこの河口付近であり この位置は数キロの範囲でしか変わっていないと想定(河口)
で重要なことは学びと習字の神ナブが両国共通
ナブの形容詞系 よく学んだ人等々の形は
学ぶ マナブ(バビロニア語 日本語共通)

これだけでも驚異的な上
シュメール王らの被る帽子は魚の口を大きく開け上に魚体が伸びるもの→バチカン法王の帽子と同じデザイン