当時『ファイナルファンタジーVII』については、
任天堂はもちろん、プレイステーション陣営、セガサターン陣営(ドリームキャスト)が熱いエールを送っていた。黒川氏が坂口氏に尋ねた質問は、
「最後にプレイステーションを選んだ決め手は?」というもの。
 「ソニー・コンピューターエンターテイメント(当時)の久多良木さんがずっと作っていた、プレイステーションの前身的な、
リアルタイムにビデオを編集できる試作マシンがあったんですよ。その技術は一朝一夕にできるものじゃなくて、
その魅力がズバ抜けていたということがあります。こんなものが! という衝撃はやっぱりありましたね。黒川さんのセガとか、
他社さんには本当に申し訳ありませんでしたが……。1枚でも多くポリゴンを表現できるマシンが欲しかったんです」(坂口氏)。
 なおここでは余話として、このころにスクウェアの組織が巨大化したことでの弊害も坂口氏より語られた。それはずばり、精神を病んでしまうスタッフが出てきたこと。
 「200人〜300人規模の開発になると、自分の作業が最終的にどう関わるか、わからなくなってくるじゃないですか。
あとはどうしても流れ作業になるので、やりがいをなくして精神を病んでしまう。これはショックでしたね。
それまでは小規模でみんな顔見知りで、全員でエンディングを見てみんなで乾杯! ゲーム開発は楽しい! という世界でしたから。
それが一定数を超えるとそうも言っていられないという、現実を叩きつけられました」(坂口氏)。

http://www.famitsu.com/news/201610/01117283.html