スーパーマリオって「不朽の名作」とされてるけど当時そこまで常識を覆すようなゲームだったの?
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>>45
アーケード由来のパックランドは数分で殺すためのゲーム
家庭用ゲームのあるべき姿を示したスーパーマリオとは別ジャンルといってもいいな >>47
スーパーマリオブラザーズスペシャルのことかーー!!! >>47
スムーズスクロールって一言で言うが
ステージを最初から最後までBダッシュ全速でカっ飛んでも一切処理落ちしないからな
スムーズすぎやろって感じだからな
当時としては破格のファミコンのハード性能を最大まで利用してるゲームでもあるんだよな ぱっと見はガワは似たような2Dゲームは色々あるけど、アクションの楽しさはやっぱスーマリが抜き出てる
FCの他のはどうも粗があるけど、マリオはよく出来てる
今でもたまに遊んでも楽しめるって凄い
NEW以降はあまり気持ちよく感じないけども TVゲームってこんなに創造性の高いものだったんだって
当時のクリエイターなら誰もが思っただろう ソニックがダッシュの爽快感を感じられるようになるには1面すらコース丸暗記してからというのに比べたら、マリオのレベルデザインはやはり凄い 慣性というか入力装置はデジタルなのにやってることはアナログ操作なんだよな
十字キーとボタンの押す長さでスピードとジャンプの長さと高さが変わって
それら二つの状態によっても掛け合わされてまたジャンプの長さと高さが変わるという
しかも空中でさらに姿勢制御をある程度出来るという >>53
ソニックは画面の真ん中に立ってるせいで進行方向の地形が急に出てくるからな
まあ大魔界村をパクってスピードを上げたらああなるのか >>54
多分ベースに岩田聡版バルーンファイトがあったんだろうな
宮本茂はマリオブラザーズの腹立たしいカクカク挙動がいかにそびえ立つクソだったかを思い知らされたことだろう 中裕司は動きのゆっくりなマーク3の北斗の拳だけは面白かったが
弾がすり抜け移動し続けていても敵弾に追いつかれるスペハリといい
技に溺れてゲームの楽しさを二の次にしていた 1982 ジャウスト
1983 マリオブラザーズ
1984 パックランド
1984 バルーンファイト
関連作並べると こんな感じか ドンキーコングも入れておこう
そこからJr.と
お姫様を救出するアスレチックアクションの流れだし 1981 ドンキーコング
1982 ジャウスト
1982 ドンキーコングJR.
1983 マリオブラザーズ
1984 パックランド
1984 バルーンファイト
こうか 並べてみてもあんま関係無いんだよな
Bダッシュとか亀蹴っ飛ばして敵をなぎ倒したり土管に当たって跳ね返ってきたり
地下ステージの天井を歩けたりその裏技チックな盲点をさらに読んでましたとばかりに進んだ先にワープゾーンあったり
ワープゾーンでクリアまでのステージ構成をほとんどすっ飛ばせたり
スーパーマリオまでは存在もしなかった要素があまりにも多すぎるからな
だからこそ革新的、革命的と言われてるんだけどさ 一番スゲーって言われたのはコントローラーのレスポンスの良さだよ
それまでのゲームと違い遅延0でサクサク動くし絶妙な横スク難易度
これが口コミで広がったんよ >>63
スターフォースやゼビウスもレスポンスは優れていたが? >>67
アクションとシューティングの違いも分からないとかさ >>68
コントローラーのレスポンスと書かれているが? >>69
だから?
スーパーマリオブラザーズの話で何でいきなりシューティングを比較対象にしてんの? 不朽の名作、意味わかってるのかな?
時代が変わっても愛され続ける、ってことだぞ
当時の先進性というより、いまでも通用するクオリティを評価する言葉
必ずしも画期的な作品がロングセラーになるとは限らない
もうちょっと日本語を勉強した方がいい 流石にパックランドの方がすごいは無いな
と当時のナムコファンおじが申し上げる 文字通りにしか受け取れない残念な人に合わせられなかったんなら謝るわ >>74
コントローラーのレスポンスの表記は不適切だったんだね
正確に受け止めてしまい気分を害してしまったなら謝罪させてもらう >>74
うん、バカに説明してあげるのも大変だからそう思ってていいよ
会話できそうにないしね君 >>77
自分がバカだと理解できてるとは立派なものだ
誇っていい コントローラーのレスポンスにジャンルは関係ない
当たり前のことを書いて残念な人の逆鱗に触れてしまい申し訳なかった
俺は身を引くので存分に文面に書かれていないことについて語り合ってくれたまえ そもそもレスポンスが良くてスゲーなんて言われてねーだろ
レスポンスが悪いゲームがクソと言われる事はあっても >>81
はい?
操作性(馬鹿にも分かるようにレスポンス含むって書いとくわ)がかなり評価されてた作品だぞ? それまでのアクションと違い細かい操作が出来るってんで受けたゲームだぞ
そもそもそこ目指して開発されたゲームなんだが ゴキブリが大好きな最先端のグラ(笑)だったのも忘れちゃいけない
当時はとんでもなくカラフルに見えた 宮本さんのアイデアも凄いけど
そのアイデアを具現化したプログラマーはもっと凄いと思うのだが
何でフォーカスされないんだろう? ナムコがもっとパックランドを大切にしていれば
パックワールド()とかあったろ >>85
雲と草が使いまわしなのを初めて聞いた時は感心した 裏技の宝庫だったからなぁ
レスポンスがいいだけですげーってなるわけない うちの父の話でスーパーマリオが出た頃はとにかく友達が自然と出来たって言ってた
持ってない人は持ってる人の家へ行ったり学校では攻略とかの話でみんな楽しかったって
わたしが姉と二人でSwitchのマリオオデッセイやってて晩酌しながら話してたことですw これはその当時を生きてるか、同時期の他のタイトルと比較しないと分からんだろうな >>91
情報共有が友達になるからな
ファミコン持ってない子も居たりして
持ってる子の家に集まってやるんだ
モンハンみたいなもんだな 36年前、お茶の間にこのCMが流れた瞬間
人類の文化史が変わった
https://www.youtube.com/watch?v=BXhpah6AKRU
中世ルネサンス級の衝撃 >>23
バンダイとかほかのサードはアニメ漫画版権のアクションゲームや横スクロール作っても最初から最後まできっちり仕上げて楽しませることそしてミヤホンのように老若男女にやってもらってクリアしてもらうってこと考えてないよね 当時はあんなに滑らかに横スクロールするゲーム無かったらしいな >>83
ジャンプボタンを強く押すと高く飛びちょっと押すと低く飛んだり
無論当時はボタンにアナログ機能なんて無いから実際は押す時間の長さで判定してるんだけど
プレイヤー側の感覚としてはそんな感じだったな。操作が直感的だったよな
あとジャンプした後の空中制御。あんな感じで制御できたアクションゲームは当時ほかに無かったと思う デフォで隠し要素がいっぱい入ってたからな
ブロックから何が飛び出すか分からんしクリアしたときに花火が上がったり上がらなかったり
ワンナップの方法も色々あったり
終いにはワープなんかもあるし
クッパの倒し方も二通りあるってのもなかなか ファミコンで横スクロールするアクションったらスパルタンXが85年6月。 >>86
次に出たのがパックランドの続編じゃなくドットイートに回帰したパックマニアだったのがな。 ファミコンは二人同時で遊ぶのが主流だったのが
スーパーマリオから一人プレイが主流になっていったな
初期は一緒に遊んでたうちの姉がファミコン触らなくなっていった時期とリンクする スーパーマリオ以降の任天堂アクションゲーは2人同時プレイには弱くなっていったな
その辺はコナミが上だった 完全に同時プレイではなかったけどマリオ3とか2人プレイが楽しかった FCパックランドは難しすぎたから・・魔界村も難しいと話題に上がるがパックランドも鬼移植 加えてファミコン版パックランドは、まずコントローラーのキー配置からして今だと有り得ない仕様だったからな…
一応IIコン使えばいい話ではあるんだけど、当時のほとんどの子供は面食らっただろう 右手指で左右ボタン、左手指でジャンプボタンというのはアーケード版と同じ配置だから別に有り得なくはない
むしろ家庭用のコントローラで再現しようと思ったら必然的にそういう仕様になる >>107
その理屈は前提としてわかるんだけど、移植というのを抜きに単品のファミコンゲームとして見たなら、あの配置はやはり奇異以外のなにものでもないのでは とは言え十字キーを連打するというのもかなり無理があるぞ
左手で連打する習慣なんてプレイヤーには無いんだから 買えなかったから
代わりにマイティボンジャックを買った思い出
激しく後悔した 人によるだろうが、俺なんかは初代スーマリは今でも結構楽しめる
同じ昔は流行したゲームでもインベーターゲームなんかは今やると全然面白くない それ以前のアクションに比べて直感的操作が実現できたってのも大きいよな
「手足のように動く」って感覚を始めて感じたアクションゲームかも知れない >54
たぶんあまり関係ないと思う。
マリオのやっかいな挙動は、あれはあれでゲーム性の一部だし。
スーパーマリオは、当時のできる範囲のことで
どこまで色々出来るか試した結果じゃないのかね?
今の任天堂と、そんな変わらない姿勢の産物と思う。
限定された環境で楽しめるものを作り出す。 >>118
スーマリはファミコンの限界に挑戦するつもりで作ったんだと
ミヤホンが企画を持ち込んだのは84年12月
すでにディスクシステムの開発が始まってたから
最後にファミコンでどこまでのソフトが作れるか、やってみたかった >>111
マイティボンジャックはガキの頃の俺には難し過ぎて面白さが感じられなかったが
後の時代になってからやると面白さが分かったな。まあ、再プレイしたのはゲームセンターCXで
見たのがキッカケなんだがw スーパーマリオブラザーズは『ファンタスティックアドベンチャーゲーム』だぞ
https://i.imgur.com/bz3E3q8.gif >>121
それ以前のゲームだと背景に拘ってるゲームって少なかったからね
そんな中スーマリは地上・地下・海・空中・島・城など様々な場所を越えて進んでいく
まさに冒険ゲームでもあった訳だ。宮本氏が幼少期に野山を走り回って遊んだのが
その発想に繋がってるという ジャンプを覚えさせるためのクリボー
ジャンプ覚えたら叩きたくなるはてなブロック
はてなブロックから出てくるアイテムは取るとお得だよと教えてくれるパワーアップキノコ
実はステージ内でコースが分岐するんだ、近道にもなるよと教えてくれる土管
Bダッシュジャンプを理解させる奈落の前にしれっと存在する隠しブロックからの1upキノコ
奈落を超えると、能動的に攻撃が出来るようになるファイアフラワーが取れて
その後には、無敵になれるスーパースター
無敵状態でいい気になると引っかかって落ちる階段からの奈落
最後に、頂点に飛びつきたくなる旗
スーパーマリオの1-1は今遊んでも素晴らしいチュートリアルステージだと思うわ
色々な要素が完全に噛み合ってる
だからこそマリオ2の毒キノコが経験者に刺さるw 今日こそは最初の土管を飛ばそうと思っても
何故か入ってしまう 遊びやすさが劇的に向上したからな
細かいシステムの問題じゃない >>94
これこれ、当時ドリフやひょうきん族のCMで流れたんだよなあ
当時このCM見て遊びたいと思わなかった子供は少数派だと思う
TVゲーム自体がまだ珍しい玩具だった時代に
この映像は凄まじいインパクトを与えた
極端な事を言うと、ゲーム産業はここから始まった
単なるブームじゃなく、文字通りのカルチャーショック
世界のどこに持って行っても大ヒットしたのは当たり前 >>94
正直、このCMを(初めて)見た限りではキノコを取って巨大化パワーアップ、というシステムをよく理解できなかった記憶がある
全く前例がなかった訳でもないと思うが、あの当時でゲームの自キャラがあのように大きさから姿を変えるようなギミックは、かなり画期的だったんじゃなかろうか パックランドの方がハマってたわ
スーパーマリオはみんなやってたけどものすごく面白いってほどでもなかったような
自分の中では64から任天堂は神だってなった 名作ではあるけど不朽ではないわ
今更ガッツリやるようなものではないし金出してまでやりたいとも思わない というか今やっても面白いしやはり神ゲーですわ
多くの人々の記憶にも残ってる超名作 マリオは売れてたけど、ブランド的にはドラクエのほうが上だった気がする。小学生だったけど、学校でドラクエの話はしてもマリオの話はしなかったなー。 小4だったな
衝撃的な面白さだった
その時点でファミコンはもう流行っていて沢山ゲーム出てたが
次元を超えた楽しさだった
友達が買ってきて友達何人かとやってたが盛り上がったね >>15
なぜか買う前から最短ルートは知ってたw
取りあえずクリアしてから全ステージを試した記憶 同時期にファミコンで出てたゲームを見たらスーマリがオーパーツなのはすぐにわかるよなあ 100年後も遊ばれてるであろうゲームを3つ挙げるなら
テトリス、マイクラ、スーマリ >>132
ドラクエはジャンプを広告塔にしていたのでな >>132
年齢がわかんないけど多分、ちょっとピークの時期がずれてたんじゃないかな
初代それぞれのスーマリとドラクエって三年くらい発売日に開きがあるから、マリオ人気の最盛期とドラクエブームって重なってなかった
ドラクエの頃はもうマリオ2だったけど、難易度の高さとディスクシステムで初代ほどブレイクはしなかったしな >>138
適当なこと言うなスーパーマリオが85年、ドラクエが86年で1年ずれ位だぞ
小学生の体感的にもそれくらいの感じだった
初代マリオブラザーズとだと3年位ずれてる気がするけど ドラクエ人気が絶好調に達したのはドラクエ3の時(1988)だからな
だからマリオブームとドラクエブームは確かに3年ぐらいズレてると思う
じゃあドラクエが出てから一切マリオの話題が無くなったかと言えばそういう訳でもなかったと思う
マリオ3はやはり人気があったし(売上的にもDQ3とほぼ互角)結構話題になっていた スーパーマリオがファミコンブームの火付け役なのは間違いないな
本体欲しさに抱き合わせで買わされてた時代
ドラクエ3ともなるとファミコンは持ってて当然状態だからあんなに行列出来たわけだし
ただファミコンの寿命を長くしたのもそこからのドラクエブームだろうな >>139
ああそうかごめん、すごい大間違いでマリオブラザーズの発売年と混同してた
三年くらいブランクあったなと体感で感じてたのは、>>140の概ね言ってる通りで、ドラクエのブームが少し遅れてきたからかもしれない
マリオの後に、ちょうどドラクエが来た感じだったなあとは思っていたので DQのブームは3からってのは間違ってないと思うわ
DQ1は知る人ぞ知るタイトルで
DQ2は近所の兄ちゃんとかがのめり込んでいて「これ面白えぞ」と口コミでじわじわ人気が上がってきたタイトル
DQ3になったら学校のそこかしこで「ドラクエどこまで進んだよ?」って会話が行われてる感じだった >>143
いや1の時点でそこまで隠れてなかったよ ドラクエが口コミで広がったのは1だった
2の時点で十分話題になってたし
3はさらに盛り上がって発売時は社会現象になった
ちなみに、2が230万本、3が380万本「しか」売れなかったのは
当時の任天堂の生産能力の限界
DQ3発売時のニュースで見たんだけど
任天堂の本社工場はソフト日産1万本だったってw
だから自社工場を持つバンダイ、コナミ、ナムコ、ジャレコなんかは
自主生産の許可与えてたし
任天堂自身も設備拡大する一方で、あちこちに発注かけまくってた
DQ3は発売日に100万本、その後1ヶ月で100万本を追加出荷したけど
当初の予約本数は350万本で、これでもかなり機会損失が出た ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています