和尚のくせえ褌

岩鉄和尚の臭い尻を最も物語るものが、袴の下に日がな身に着ける褌である。
この寺の大黒柱なのだから、きれいなさらしをと、奥さんがときどき仕立てているのだが、
和尚は平気で三日も四日も同じ褌を締めている。
かわやへ行く数が一番多いことも、尻が拭けていないことも、小便の切れが悪いことも、お構いなしだ。
飯を食うとき、座禅を組むとき、畑のくわやかまを手入れするとき、
座布団の上にどっかと座る度に、岩鉄和尚の汚い尻の穴が褌の布にこすりつけられる。
経を読むときも、和尚は竹細工の椅子を尻の下にはさんでいる。
それで、せっかくのさらしも糞や小便で汚れに汚れ、くたびれてしまうので、奥さんも何も言えない。
「洗濯は私が。」と申し出たとき、奥さんがまず渋ったのが岩鉄和尚の褌だった。
風呂に入りたがらない方だからと言葉を濁したが、私は半ば取り上げるようにたらいを抱えて川へ向かったのだった。
そうして初めて嗅いだ岩鉄和尚の汚れ褌は今でも忘れられない。
鼻がもげるかと思うほど臭かった。尻に当てる布に、べっとりと糞のカスが付いていた。
そこを口いっぱいにほおばったときの、こくのある生臭い苦みは、私の一番のお気に入りとなった。
今では褌の臭さに鼻がもげるどころか、すっかり癖になってしまった。
朝もやのかかる川べりで一人、洗濯の前に木の陰に隠れて、和尚の褌を嗅ぎ回すときがたまらなく良い。