名越さんが経歴を語る長編インタビュー、の意訳(´・ω・`)

■スーパーモンキーボール
その頃SEGAは開発コスト高騰に悩んでいた。CEOからもっと安くと命じられた。
「出来ない」と言ったが結局最小限のリソース(10人)、時間、予算でなんとかやりくりした。

■F-ZeroGX
任天堂とSEGAとは似てるけど違う、"客観性"の部分で。任天堂の表現のポリシーに反する部分は
「任天堂はこの種のことを許可しない」の一点張りで説得できたことはなかった、ただの一度も。
でもだからこそ任天堂はブランドイメージを確立できたし、SEGAはハード事業を失った。

SEGAはハードを失ったとしても任天堂にはセガが大企業であった証を見てもらいたかった。その時代の最高の技術でできうる限りの最高のグラを作る努力をした。
SEGAハードのために頑張ってゲームを作っても売れなかったがF-ZEROは1.5Mも売れた。SEGAはハード売る能力ないと認めた(笑)でも開発者としては全く悲観する必要なんてなかった。

F-ZEROのあと任天堂から電話があった。「全てのソースコードを見せて欲しい。その時間と予算でどうやって作れたのか詳しく教えてほしい」
彼らは僕がどうやってやれたかわからなかった。僕らは任天堂が期待した以上のことをやれた。

■YAKUZA1
和サードは欧米の大予算で高品質なゲームと競争するのが難しくなっていた。そしてそれらはスポーツ、ミリタリーあるいはファンタジーでなければならず、世界中でリリースされた。
みんな同じことを考えてたのでみんな同じようなゲーム作ってた(笑)でも僕はその方向は間違ってると思った。
だからまず世界相手に戦うことを放棄した。女性層も捨てた。子供の選択肢は最初から無かった。ここまで決めて残ったのは日本人男性だけだった。

CEOにはプレゼンテーションを2回したけど許可されなかった。セガは破産しかけててサミーに吸収されたのでサミーに直談判しにいった。
法的にはかなり間違ってた。僕はサミーの承諾を得たけどセガのCEOは「不公平や!」ってマジ切れしてた。


これは初めて言うけど。

僕らがこのゲームをリリースしたとき実は任天堂とMSにプレゼンテーションしにいった。
当時彼らは「そんなもん要らん」て言ってたけど今では「それが欲しい」って言う(笑)
任天堂とMSは僕がYAKUZAを作った理由を理解していなかった。

https://i.imgur.com/kziLz8a.jpg
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