(´・ω・`)

2001年1月
「ゲームボーイアドバンス向けにぜひ供給したい。必要な努力はしている」(スクウェア鈴木尚社長(当時))

2001年1月
「(GBAでFFを出したいというスクウェアに対して)何を言っても自由だが、契約する意思ない。将来的にも可能性は低い」(任天堂山内溥社長(当時))

2001年7月
デジキューブ株主総会で「(任天堂商品を扱えないことについて)これは、大人の会話でございます。土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」(デジキューブ染野社長(当時))

2001年8月
「スクウェアとの契約は日本の親会社が決めること。現時点では契約は無い。」(任天堂オブアメリカ)

2001年10月
「スクウェアさんに関しては、ゲームの認識が違いますので、よほどのことがない限り一緒にやっていくことはないでしょう。他のサードパーティーと同じというわけにはいかないですね。」(任天堂今西博広報室長(当時))

2001年11月
「FFをPSに移した際、山内社長は『機種の選択という意味では仕方がない』と語ってくれた。しかしその後が悪かった。我々は任天堂のゲーム機『NINTENDO64』はダメだと公言してしまった。」(スクウェア鈴木尚社長(当時))

2002年1月
「ゲームキューブはプレイステーションよりもソフトウェア開発者に優しいハードです。スクウェアは任天堂との合意を模索しています」(スクウェア和田社長(当時))


それは晴天の霹靂でした。
2002年3月9日、日本経済新聞朝刊は5年ぶりに任天堂ハードにスクウェアが復帰する事を伝えたのです。
引退を間近に控えた山内溥社長が設立したファンドQからスクウェアの河津秋敏氏が設立するゲームデザイナーズスタジオに融資するという形で、
年内にゲームキューブとGBAの連動で遊べる『FF』が登場するというのです。

そして手元には完成した『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』があります。実に8年ぶりにスクウェアは任天堂機に帰ってきたのです。

https://www.inside-games.jp/article/2003/08/08/11317.html