決定打は「電撃PlayStation」の存在であります。

「PlayStation Magazine」は、全員素人のアルバイトという状態で始めた雑誌でしたが、それでもなんとか頑張っていけました。
けれど、PSの情報は「ファミ通」「電撃PS」という流れになります。ここで指定席を失った雑誌は凋落傾向になります。

でも、そこにあったのは「独占」という交渉の嵐。攻略本まで含めてです。
枠に入らない良作ゲームは、どんどんと取りこぼされていきます。

それでも、他の3誌は企画など立てて、頑張っておりました。私もいろいろと企画を立てて、差別化を図っていました。
ポポロ、アークザラッド、ときメモなど、初期のPSの意欲作には力を割いたつもりです。

で、まぁ、特集企画や攻略本の企画をSCEに出すのですが、それがだんだんと通らなくなる。
けれど「ファミ通」「電撃」さらには「Vジャンプ」などには同じ企画がどんどん掲載される。
企画に対しての返信も疎かになったころ、SCEから会食の話が来ました。

会食のお相手は、現場の担当でしたKさんとHさん。上層部はバタバタしていてという話でしたので、そこは気にせず。

で、SCEの前からみんなで車で移動…というときに、横の車にいらっしゃったのは「おこちゃま」コメントで名の知れた方と、某雑誌の編集長でありました。

この瞬間に、まぁ「終わったな」と思ったのであります。
自分がでなく、ゲームの広報って、ここまでビジネスだけになるのだな…と。

以前いました「ぱふ」であったり、例えば映画の雑誌であったり、他の趣味雑誌であったり。
個人エンターテインメントの世界は、あくまで数千との戦いです。今でもほとんどのゲームはそこで戦っているのではないでしょうか。

けれどゲームが絶対として目指したのは、独占だし、100万の世界だったのか…と、ガックリ来たわけですね。

私はその分野は得意ではないので、正直、ここは自分が身を置く世界ではないと思いました。

その後、フリーになって、いろいろな出版社とゲームとのコーディネイトを目指すんですが、そこは「儲かる」+「はず」という仮定の意識を持った方々とうまくいかず、終了してしまいました。

かくして私は、いわゆる「ゲーム雑誌」を去り、「情報」について考える日々が続いているのであります。