中国本土の使臣によって私的に連れて行ったケースを含めると、朝鮮半島から献上された貢女は数えきれないほどの数にのぼると言われている。中国から貢女を選抜する使臣が訪れると、朝鮮では選抜機関を設置して、巡察使が各地を物色したが、民衆は激しく抵抗し、貢女候補になるや、娘の顔に薬を塗り傷を付けケースや出家させるケースもあり、幼児を嫁がせることまであったという。そのため、李氏朝鮮時代には「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令を下した。李氏朝鮮王の太宗8年には、処女30人が選抜されたが、中国の使臣は「美しい女がいない」として罰しようとし、娘たちも指名を避けるため、障害があるかのように装い、太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」を罰する号令を下した。韓国で英雄視される世宗も「国内の利害のみならず、外国にも関係することなので、ただ(中国皇帝の)令に従うのみ」と述べ、世宗の時代に最も貢いだ女性の数が多かった。朝鮮日報によるとその史実は韓国国内では全く知られていない[4][5]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/貢女