>>201
リップサービス?
それ任天堂が企画した旅行に参加したプログラマーで
そのベンチマークを元にスクウェアは直接何度も64は性能不足だと警告したが
任天堂が聞き入れなかったから最終的にPSを選んだって話だぞ

ソースはFF7の開発者に対する海外インタビューでNOA側にも聞いてる
ここの宮本ってのは任天堂じゃなくてスクウェア創業者の宮本な

ダレン・スミス

任天堂オブアメリカ プロジェクトマネージャー/マネージャー(1993年~2000年)


1993年、任天堂から次世代ゲーム機「Nintendo 64」の開発において、少なくとも北米でのプロジェクトマネジメントを担当してほしいと依頼され、
そのパートナーがシリコングラフィックスであることがわかりました。そこで私はカリフォルニアに移り、任天堂の人間としてフルタイムで現地に赴き、
日本とSGIの現場を調整するような仕事をしました。...

スクウェアとは間違いなく会いました。
ほとんどすべてのパブリッシャーと会いましたが、技術やその能力について背景を説明するためでした。
Squareとは2、3回会いました。彼らは、この技術で何ができるかをデモで説明し、どうすれば最適化できるかを質問してきました。
...何を見せてくれたかは、曖昧にしか覚えていません。
私の記憶では、デモでは、テクスチャがマッピングされた2Dのボールがどんどん増えていったように思います。
ゲームプレイを示すものはもちろん、自分たちの[知的財産]が付いたものも見せていなかったと思う。




河井
数日かけて、もう少しポリゴンを増やそうと、コードの最適化を行ったと記憶していますが、実際にはそれほど大きな差は出ませんでした。
そして東京に戻ると、私、成田さん、坂口さん、そしてスクウェアの主要なステークホルダーである宮本さんとのミーティングがあったんです。
そして、私はそれまで(宮本氏を)直接見たことがなかった。彼はただ入ってくるだけです。
"OK so, how was it?" と聞かれて、少し数字を出したんですが、成田さんがメインでしゃべっていたんです。
そして、彼は本質的に、「私たちはパフォーマンスを得られていない。Siggraphのデモの時とは比べ物にならない」と。
宮本さんも黙ってそれを認めていましたし、坂口さんが「もう64はやらない」と事務所に電話をかけてくるまで、彼らからは何の連絡もなかったですね。
そうそう。ある意味、「64は次世代『ファイナルファンタジー』には向かない」という客観的なデータを提供したようなものなんでしょうね。