渡辺 昇[注釈 1](わたなべ のぼる / のぼり、天保9年4月8日(1838年5月1日) - 大正2年(1913年)11月10日)は、
江戸時代末期の大村藩士、、明治時代の政治家、また剣術家。元は諱を武常と名乗った。
号は東民、其鳳。位階勲等は正三位勲一等。華族に列し、子爵に叙された。剣道の称号は範士。

天然理心流第4代の近藤勇とも親交を持った。近藤の道場試衛館に道場破りが現れると、助けに駆けつけることもあったという

兄の清とともに大村勤皇党を率い、京都でも坂本龍馬、桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、
大久保利通ら諸藩の志士と交流する。品川弥二郎の命令で盛んに人を斬った。
近藤勇の率いる新選組の隊員も殺したが、近藤自身は昇が佐幕派の刺客に狙われていることを知ると、
ひそかに警告に訪れたという

晩年
晩年は、幕末期に斬った敵の亡霊に苦しめられ、書生に体を揉ませなければ眠れなかった。
良い心地で寝ていた者を斬ったのが後々まで夢となって苦しめられたという。
「手向かって来た者を斬ることや、戦って斬ったのは何とも思わないが、どうも無心に居る者を斬ったのは
何としても忘れられず、心持ちが悪い」と語った