【名無し限定】暇なので話しませんか?18454
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【メンサロ】暇なので話しませんか?557【避難所】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/36758/1506091993/
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http://jbbs.shitaraba.net/sports
※前スレ
【名無し限定】暇なので話しませんか?18453
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/mental/1557305749/ >>666
なんか、筆記の問診されるんじゃなかったけ?
最近多いからあしらわれてるかも。
もうDr.ショッピングしかないんじゃ?
あなたの通ってるところ紹介したら? 3歳から7歳にかけて彼女は角膜炎で目が見えなかった。ピアフの伝説の一部として、祖母の元で働く娼婦がリジューのテレーズへ巡礼を行った後にエディットの視力が回復したというものがある。
1929年になるとエディットは大道芸をする父と行動を共にする。その後1930年には父に反発してグラン・オテル・ドゥ・クレルモン(Grand Hotel de Clermont)に一室を取り、
父と別れてパリ郊外でのストリート・シンガーとして自身の道を歩むようになる(「Elle frequentait la Rue Pigalle」を参照)。
彼女は16歳で御用聞きの少年、ルイ・デュポンと恋に落ちまもなく子供を産んでいる。
生まれた女の赤ん坊はマルセルと命名されたが、2年後に小児性髄膜炎でこの世を去った。 >>679
うちも決していいとこじゃないからな…
友達と一緒って向こうが嫌がりそうな気がする
言うだけ言ってみるか 1935年にエディットはナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレー(Louis Leplee)によって見出され、彼の店で歌を歌うようになる。
そのナイトクラブは上流、下流両階層の客達が出入りしていた。
ルプレーは、人前に出ることに対して非常に臆病な彼女に店への出演を説得した。
エディットの身長は142cmにすぎず、その小柄な体からルプレーは彼女に、後の芸名となる「小さなスズメ」(La Mome Piaf)の愛称を与えた。
彼女の最初のレコードはこの翌年に録音された。同年、ピアフの父代わりでありいわばメンターでもあったルプレーは殺害され、
ピアフはその共犯者であると告発されるが、無罪とされた。 >>684
そうなんだ
精神科って地域によっちゃあんまなさそうだけどね >>685
鬱ぽいって言う曖昧な言葉じゃなくて
鬱が酷くて自殺願望が凄いでは駄目なのかなぁ? 1940年にはジャン・コクトーが彼女のために脚本『Le Bel Indifferent』を執筆する。
ピアフはまた、俳優のモーリス・シュバリエや詩人のジャック・ボーガットのような有名人と知己となる。
彼女は自らの歌の多くの歌詞を書き、作曲家達と協力した。
ピアフの代表曲「ばら色の人生」(この曲は1998年のグラミー賞名誉賞を受賞している。)は第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれた。
この時期彼女は大変な成功を収め、大きな人気を得る。ワン・ツークラブでドイツ軍高官のために歌を歌うことでピアフはフランス兵捕虜との写真をとる権利を得る。
それは表面的には士気を高めるためのものとして行われたが、捕虜達は彼女と共に撮った写真から自らの写った部分を切り取って、脱走計画に使用する偽造文書に貼り付けた。
今日、ピアフのレジスタンス運動への貢献はよく知られており、多くの人々が彼女によって救われた。 この前、この掲示板でメンクリに行ったほうがいいと言われて、やっと予約したわ
あぁ…とりあえず導入剤だけほしい >>690
不調を訴えたらそんなの誰にでもあることですよ〜ってあしらわれてきたらしいから自殺願望のことは言ってないかもしれない
人見知りだし控えめな人だからすごく悪いことを伝えられない(伝わらない)のかも 戦後、ピアフは世界的な人気を得、ヨーロッパとアメリカ合衆国、南アメリカで公演旅行を行った。
ピアフのアメリカでの人気は『エド・サリヴァン・ショー』へ8度も出演するほどのものであった。
1947年のアメリカ初公演では大女優で歌手でもあるマレーネ・ディートリヒとも知友を結び、以後2人は生涯にわたる親友となった。
フランス語を話せたディートリヒは、ピアフの「ばら色の人生」を自らの持ち歌に加えて歌っている。
彼女はシャルル・アズナヴールのデビューを手助けし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させた。
アズナブールの他にも、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどピアフに才能を見出された歌手は多い。 >>695
私も高校の頃保健室で先生に言われるまで行く発想がなかった
今もう慣れちゃってなんでみんな行かないんだって思うようになったけど 全然勝てねえからコンピュータに投げさせたら抑えてくれた ねちねちと、いびってきた上司がここ数日イビリがなくなった
このままイビリが続くなら仕事を続ける自信がないってその上の上司に言ったからかな… ピアフの生涯の大恋愛はプロボクサーのマルセル・セルダンとのものであるが、セルダンは1949年に飛行機事故死している。
1951年にピアフは自動車事故に遭い、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだ。
ピアフは2度結婚しており、最初の夫は歌手のジャック・パル(Jacques Pills)であった。2人は1952年に結婚し、1956年に離婚した。
2人目の夫はヘアドレッサーから歌手、俳優へ転身したテオファニス・ランボウカス(Theophanis Lamboukas,「テオ・サラポ」の名で知られる)であった。
サラポはピアフよりも20歳も若かったが、ピアフの大ファンであったことが昂じて交際するようになり、2人はディートリヒの介添えのもと1962年に結婚した。
夫であるサラポは妻ピアフの死後、妻の残した多額の借金を独力ですべて返済した。 夢に親父が出てきてオレに説教臭い事言ってたな
亡くなってから説教するなw >>699
学生の頃と社会人なりたてのときは通ってたんです
で、その後改善して薬なしでも生活出来たから数年行ってなくて… 47歳になってまもなくの1963年10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により死去する。
死はその翌日に公表されたが、同日に友人のジャン・コクトーが死去した。
ピアフの死に衝撃を隠せず「何ということだ」と言いながら寝室へ入りそのまま心臓発作で息を引き取ったという。
彼女の公式の命日は死が公表された10月11日とされている。遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
彼女のそのライフスタイルゆえに、カトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、
葬儀には無数の死を悼む人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業し喪に服した。
墓地での葬儀は40,000人以上のファンで混雑した。
シャルル・アズナブールは第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。 >>710
もう大丈夫だと思ってフェードアウトって感じ?それとも医者からもういいって言われた? >>697
厳しいDr.ですね。
死んでから自殺願望がありました。
では遅いので紙に書いて見せるとか? >>700
ルネスタてやつみつけたから、それのんだ
ありがとう
眠いし寝れるのに浅い睡眠だったり、何度か起きちゃうんだ 自殺願望医者に伝えても、薬じゃどうにもならんぜ、、 >>713
最後らへんはどうしても落ち込む時が続いたり、寝れなかったら…のんでってソラナックスを貰ってた
定期的に飲むんじゃなくて頓服的な…
でも、医師に大丈夫て言われず自己中断かもなぁ >>716
自分の話になるけど昔症状が悪化した時に先生に紙に書いて見せたら即カウンセリングになった
書いてる内容っていうか、長文で箇条書きにしてしまうくらい困ることが多いって伝わったのかな
それとなく伝えてみますね 精神科と心療内科てどう違うの?
心療内科はライトなかんじ
精神科はディープなかんじ
かな?と思ってるけど たまに薬自慢する人いるけど、
あれってなんなんだろうね やべ、わすれてたこの薬アモバンの改良版でニガーな薬だった…
そして、しばらくのんでなかったせいか免疫なくてききすぎてる気が… >>729
ネット20年くらいやってるけどずっといるよ
人間の性なんじゃね 医者によって対応が全然違うよね
友人は高名な精神科医を紹介されていってみたら、
手厚い治療受けてすっかりよくなった
何よりその先生をすごく信頼してて
とても良い関係
街の精神科医とは違うなと思った >>729
ツイッターの自己紹介のとこにめちゃくちゃ書いてたりアイコンに使ってる人いるよね
こっちもたくさん飲んでるけどそんなんいちいち書く気にならない >>729
昔たくさんいたなぁ
リタリン何錠もってるとかいってアップしたり >>731
無駄に出歩いて人と会ったり
そんな元気になれるのが理想です >>735
好きなバンドマンがファンの女からリタリンもらってた噂を思い出した >>738
それこそそれ二十年くらい前じゃない?
まだリタリンがたくさん処方されてた時期 >>737
オレは近所に友達いるなあ飲み友達のオッサンだが 数億光年ぶりくらいな感じで前通ってたメンクリに電話で予約したら
だいぶ前にかかれていましたが、その後症状は同じですか?ときれたww
いや、流石に違います…熟睡出来ない感じですと答えた
最後の時も睡眠障害だったはず、あと鬱か >>736
そう?
唾液そのものが苦くなるので改良版ルネスタが出たと思ってました >>726
そういう感じでどんどん悪化したって体験談をよく見るからもういいやってなっても治ったと言われるまで通院だけはしたほうがいいと思う >>740
躁のときに外出して一日に16人の異人さんに話しかけたことありました >>739
1998年結成のバンドだからそうだね…
本当かどうかはわからんけど ずっと爆睡してて、こんな時間に目が覚めてしまった… 今日、ピアフはフランスで最も偉大な歌手の一人として記憶され、尊敬されている。フランスではいまだに彼女のレコードが売れ続けている。彼女の生涯は悲劇的な私生活と一連の名声、そしてステージ上で轟くような力を備えた声と華奢で小さな姿がコントラストとして現れたものであった。 前に診断書に双極性と書いてあったんだが自立支援の手続きでもらったやつにはうつと書いてあった。
どっちなんだ
何にもやる気が起こらないタイプのうつではないんだよな >>733
ガチでたがう
私は姉の家近医がメッチャいい人だった
だけど、私が隠して自傷行為してたのがバレて、隠すタイプは危ないならと、大きい病院紹介されてからは、最悪
大きい総合病院だから待ち時間はんぱないのに、診療時間は数分
もう、流石に嫌になっていまの近医のメンクリに変えた >>752
カメラ持ってキャンアイテイクユアプピチュア? >>754
お姉さんの通ってる病院には行けないの?良さそうじゃない まさにコントラストが効いた人生だったようだが
彼女の歌声は 言葉がわからなくても 訴えかけてくる力があったから
俺の耳にも残ってたんだろうな 元国会議員で精神科医でベストセラー作家の人とかいるけど正直住む世界が違いすぎてスッと入ってこないわ
まあ当事者じゃ書けないからそういう人が書いてるわけだが >>743
そうね、…なんなく、自分はもう平気て思いたかったのかも
その後、4年働けてから留学して、免許とって、で就職先決まっていまの職場で働いたら…人間関係クソすぎてストレスフル
前よりだいぶライトだけど、病んだ 私が通ってる心療内科の医者が明らかにメンヘラで心配
白衣は汚れて体からは異臭がする
そして患者が間違って休院日に電話してしまっても電話に必ずでる
開院前に電話しても必ず出る
体が全然休めてないと思うあの医者
でも医者としてはすごく適当。利益目的で薬を際限なく出すから自制できない人があの病院に通ったら悪化間違いなし >>763
すごく頑張ってきたんだね
留学とか自分はとても真似できない、凄いと思う
ライトだったら尚更早めに行った方いいよ >>756
いは姉も引っ越して実家にいるのと。その場所…電車で2時間かかるのよね…
あ、でも予約した近医もいい先生よ
総合病院のなかでも良かったせんせいが、立ち上げたクリニックなのよ むかしよくテレビに出てた遠藤誠って弁護士は 2年に一回しか風呂入ってなかったとか
それでも女からはモテて愛人もいたりしたようだが >>770
あ、そかそか
いまいい先生のところに通ってるなら問題なしよ >>765
異人さんに「写真一枚良いですか?」って聞いてみる 前にここできのう何食べたってドラマ勧められたんだけど主人公たちが立派に社会人やってるから合わなかった 大津や池袋で亡くなった幼子を考えると、
人は無意味に生まれて無意味に死んでいくんだなと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています