1935年にエディットはナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレー(Louis Leplee)によって見出され、彼の店で歌を歌うようになる。
そのナイトクラブは上流、下流両階層の客達が出入りしていた。
ルプレーは、人前に出ることに対して非常に臆病な彼女に店への出演を説得した。
エディットの身長は142cmにすぎず、その小柄な体からルプレーは彼女に、後の芸名となる「小さなスズメ」(La Mome Piaf)の愛称を与えた。
彼女の最初のレコードはこの翌年に録音された。同年、ピアフの父代わりでありいわばメンターでもあったルプレーは殺害され、
ピアフはその共犯者であると告発されるが、無罪とされた。