加害者と被害者は明確に分けられないところがあり、
加害者側であっても被害者の側面があり、
被害者も加害者の側面がある。

「悪の組織」が解体されたとき、責任を追及する段になって
「責任を背負い得る主体」がほとんどそこにないことに人類は気付く。

ナチスドイツやスターリンのソ連、毛沢東の中国、ポルポトのカンボジアなどは
まだ悪意ある個人によって起こっているのでその点マシだが、
独裁者無しで「やってしまった」場合、その責任は誰も負えないとなりがち。

大日本帝国の場合はどうか?「植民地侵略をしたこと」「作戦で失敗を重ねたこと」
と2つに分けるなら、前者は相当難しい議題なの並みの教養人レベルでは踏破困難だろう。
後者なら… まだ攻略を試みやすいところではある。

作戦の失敗について軍人を捕まえて問いただしてみても、
責任を負える主体は存在しないかのようだった。
これは日本人の精神年齢が低いということなのか?
一面でそれも言えるが、そうではない面もある。
その核心は「ラグ」という言葉で簡潔に言い現すことができる。

個人が意志をもってから組織で実現するまでの「個人の手間と時間と手続きのラグ」。
個人が自らの責任をぼかすために組織を隠れ蓑にして意図を通した場合の「主体のラグ」。
方針を考えた者と、実地で実行に移す所の距離の「組織の手間のラグ」。

伝言ゲームで最初の言葉と似ても似つかぬ言葉が一人歩きを始めるように、
組織の意思は個人の意思とは関係なく一人歩きを始める。

イケゲームの場合、金持ち連中を捕まえて制裁を加えれば済む問題なのか。
そうかも知れないしそうではないかも知れない。
やりすぎてもいけないしやらなすぎてもいけない。「正解」はあるのか?