資本主義で、「意思を持って作った方」がどれほど責任を負えるか、
という問題が難題。
何から何まで個人が企図したのではない、意思主体と行動主体にラグがある。

というのと同じように、

いじめの問題でも「意思をもってやった者」がどれほど責任を負えるか、」
という問題がある。首謀者のいるいじめといないいじめがある中、
首謀者のあるいじめであっても、「子供だから」という理由で、
大人と同じ責任を負わせることはまずいという考えがある。
法的に考えれば「意思主体」ではあるのだが「100%責任主体」とはなりえないと考えるべきだろう。

しかし、そう考えるからこそいじめが起こってしまうという考え方もある。
あえて見せしめとして加害者の人生を潰すことで世界は良くなるという考えもまた合理性がある。

ではイカゲームはどうか。金持ち6名も、200年も1000年も生きていたわけではない。
誰かのレールに乗せられてここまでやってしまったという側面もある。
100%の意思主体とは言い切れない。
制裁はやりすぎてもいけないしやらなすぎてもいけない。