案も無い人の空気           0013−−−2
 この地図にはトルコ語とラテン語で「余、すなわち トルコ海軍総督ピリ・イブン・
ハジ・メメッドは、ギリシャのアレクサンドロス大王の時代から伝わる20枚の地図を
参考にこれを描いた。回教暦九三四年六月四日」と書かれていたのだ。地図には、ヨー
ロッパの南西に位置するイベリア半島、アフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、
および南アメリカからのびる陸地が描かれている。この地図の南アメリカからはさらに
謎の陸地が、南に向かってのびていた。この絵はさらに東にのび、大西洋の南からアフ
リカ大陸の下に回りこむように描かれている。アメリカ、ニューハンプシャー州立大学
のチャールズ・ハプグッド教授によって、地図には当時未発見だった南極大陸の海岸線
が描かれていたことが、近年になって判明した。つまり中近東の船乗りは既にこの海図
で航海していた時代だったのである。オスマン軍のこうした先進性もあって一時期に、
ヨーロッパ大陸即ちイベリア半島はイスラム教徒の土地になった。ローマ帝国の抵抗が
終わると次第に同化し溶け込んで、時代の波がイスラムの衰退期になると、俄然ローマ
と同居して肩身の狭かったカトリックは信奉する旧約聖書が同じだったせいか、次第に
信者取り戻しをはかった。そこでこれまでの多神教やマリアまで崇拝していた、ぼやっ
としたキリスト教から、俄然厳しい規定のあるバチカン支配に変化する。異端尋問やら
魔女狩り、異教徒排除の始まりである。だがここで 科学的なこうした事象に次々と異
唱えられた事で、欧州の中でそれを調査しなくてはならない羽目に陥った。その為に、
航海には、宣教師をつけて、船一隻に3〜5人位(規定による)を乗せて公開する事に
なったのだ。これが地球が丸い証を見つけるとなると地球一周を行く事になるから船団
として十隻程度の連れの船をつけて各地の港や土地を転々として回っていく。