>>918
自己責任原則論という言葉の響きは好きでは無いけど
ワクチン接種する、しない、同調圧力に打ち勝つ、負けるというのは確かにその人の価値観や生命力にも関わる人としての根本的な要素なのかなと思います。

だいたい、空襲で色々とやばい本土へちゃっかり昭和20年春の時点で異動してもらうとか、
色々と怪しい北京や上海へ異動するとか、当時は平和で物資もそこそこ豊富だった満洲の新京や瀋陽、大連から他へ移動するのは勇気がいったと思います。
でも結局は現地人を見下さずに信頼関係を結んでいた事と本人の決断力が最後命運を分けたのですから。

ちなみに満洲からほうほうの体で本土へ戻って来た人のうち
ゴールドバーや貴金属ネックレス持ってた人たちは当座の生活費は工面出来たけど
満洲銀行券ありったけ詰めて帰って来た人は紙くずを抱えて泣くしかなかった。
最も頭の良かった人たちは貴金属を売って大豆やペニシリンを買い集め、
それがすぐに大暴騰して一財産築く人も出てきており、それを元手に闇屋開いて進駐軍や第三国人と連携して更に大きな商店や小さいビルのオーナーになる人まで出てきた。
その孫とかに当たる人の中で今でも都心で偉そうにビルオーナーしている人もいるらしい。

半面、ソ連軍との戦闘に招集されて満洲の土に還ってしまった人もいたり、北京上海辺りでヤバい橋渡りすぎて戦犯にさせられたりする人もいたり。

何が人間の運命を分けたのか?
少なくとも満蒙開拓団や青年開拓義勇軍には応募せずに内地で水呑み百姓として生存出来れば戦後は農地改革という素晴らしい恩恵が待っていたのに……。

だから「国策」というのには乗せられてはいけないんだよね。