コロナワクチンへの疑問は、子供への接種に反対する人たちの報道を観て。保護者が同意してることを赤の他人がとやかく言うものじゃない、と
最初は思い調べ始めてワクチンのネガティブな情報にたどり着いた。どれを信じ、どれをデマとすべきかは発信者等を見ての自己判断。陰謀論系
はデマと判断したが、筋の悪くない人方の慎重論まであからさまに無視したり、警告者の社会的立場を抹殺しにいく体制側の反応を見て、ワクチ
ンは打つべきじゃないと判断した。イベルメクチンを無視し、治験ワクチンをごり押しし、自分宛のワクチンの案内文の内容(リスクを全く知ら
せず、それでいて最終的に「あなたの意志で打った」との同意書)を観て「こんなモノ打てるか」となった。
ワクチンの動物実験結果もネットで知っていたし、安全なものなら実験結果を開示できただろう。自分で調べ吟味すれば「最低限様子見すべき」
との結論に至るのは容易だった。
では何故多くの人が打ったか?その理由はコロナ過の制約がキツく、皆それからの解放を切に願ったから。素人でも疑うレベルの胡散臭いシロモ
ノでも皆が打つ現実(集団免疫確立の為に打て。打たない者は集団への裏切り者、とのプロパガンダ)に個人の疑問はかき消され、社会的立場を
人質に取られた多くの大人が渋々打った。打たない側が少数派にされ、白眼視される。自分ひとりがそれに耐えれば済む事ではなく、配偶者や子
供たちまで人質に取られたも同然だった。打った人を誰が責められようか。