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ハウス大佐はウィルソン大統領に助言を与える一方で、イギリスのスパイ、特にイギリスの秘密情報局(SIS)のアメリカ支局長であったウィリアム・ワイズマン卿と緊密に連携していた。

ハウス、ワイズマン、ウィルソンの3人は親しい友人となり、一緒に休暇を過ごすこともあった。



国際連盟」の構想は、イギリスの外務大臣エドワード・グレイ卿の発案によるものであった。

1915年9月22日付の手紙で、グレイは大佐にこう尋ねた。
1915年9月22日の手紙で、グレイはハウス大佐に、「大統領を説得して
国際連盟を提案する。
アメリカから来た方が受けがいい。

1919年、ウィルソンがパリ講和会議に出席したとき、ワイズマンとハウスは手近にいて、彼の一挙手一投足を指導した。他の多くのイギリスとアメリカの高官たちとともに、全員がグローバリズムの課題に取り組み、多くは円卓会議と直接結びついていた。

元SISのジョン・ブルース・ロックハートは、後にワイズマンを「英国がこれまでで最も成功した "影響力のあるエージェント"」と呼んでいる。

イギリスの歴史家A.J.P.テイラーは、「彼(ワイズマン)とハウスは『特別な関係』を現実のものにした」と書いている。

多くの歴史家は、米英の「特別な関係」は第二次世界大戦後、NATOと国連の創設によって初めて始まったとしている。

しかし、テイラーは、「特別な関係」の種は、それ以前、1919年のパリ講和会議で蒔かれたと正しく指摘している。

パリで米英の高官は、両国が一体となって行動するように、政策を調整することに密かに合意した。

これを促進するために、チャタムハウス(英国)と外交問題評議会(米国)という2つのシンクタンクが設立された。

イギリスのグローバリストを大いに苦しめたのは、アメリカ上院が国際連盟への加盟を拒否したことだ。

NATOと国連を通じて、米国をグローバル政府に引き込むために、再び世界大戦が起こり、ウィンストン・チャーチルの説得力が必要となったのである。

チャーチルは、セシル・ローズや円卓会議と奇妙なほど似た世界政府を構想していた。

チャーチルは、英語圏の国々の「特別な関係」に支えられた世界組織を求めたのである。

1944年2月16日、チャーチルは、"英米が世界組織の範囲内で...特別な関係にならない限り、再び破壊的な戦争が起こるだろう "と警告した。

こうして、1945年10月24日、国連が設立された。