○中川淳一郎氏の記事(一部抜粋)

この数年で、すっかり嫌いになった言葉がある。「ルール」と「ガイドライン」「ご協力のお願い」の3つだ。

文科省は学校給食において「黙食」なんて命令していない。せいぜい「大声で喋らないように」程度である。だが、現場はそれを、そのまま受け止めることはない。

「給食の時は食べるまではマスクを着用し、食べる時は黙り込み、15分以上マスクナシで過ごすと『濃厚接触者』認定をくらうから14分59秒以内に給食を終わらせろ」という拡大解釈をした。そして、マスクを外す時間を短くするため「簡易給食」なる粗末な給食を出した。子供の成長よりも「15分」を重視したのだ。

日本がなぜ「失われた30年」に陥ったのかをこのコロナ騒動は示しているのではないか。

事実として、「マスクをいくらしようが、ワクチンをいくら打とうが陽性者数は激増した」というものがある。この事実をもとに「どちらもいらないだろ?」といった言い方をすると、「商業施設が定めたルールはルール」や「マスクはドレスコード」という学級委員長的反論が寄せられ、マスクをしない人間は糾弾される。

日本では「意味がないルールに従う必要はない」ということを誰も考えず、とにかく「誰かが定めたルールに従う」ことが大事なのである。

ここから分かるのは、「多数派がルールを破るのはOKだが、少数派がルールを破るのは許さない」という暗黙の「空気」の存在だ。

私がツイッターで施設内のマスク着用に異議を呈したら、こんなリプライが来た。

「注意されない方法を教えてあげましょう『ルールに従う』です それぐらいなぜできないの……」

以下はツイッターユーザー「さゆ」さんのツイートだ。

〈 音楽ホール、素顔で入場しようとしたら 係員「マの着用お願いします」 私「なぜですか?」 係「感染対策で…」私「しません」係「不安になる方もいらっしゃるので…」私「なぜ他人の不安のために私がつけなければいけないんですか?」係「不安に思う方からクレームが…御協力いただけませんか」 〉

こうした施設が「エスカレーターの方側空けと歩きスマホはおやめ下さい」とアナウンスしたとしよう。その効果はない。「歩きスマホする人と片側開けする人がいるじゃないか」とクレームを付けたら「言っても直らないんです…」となるだけだ。

一方、マスクをしない人間についても同様の対応でいいだろうが、超少数派だから直接注意するだけである。日本人の特徴としては「皆が破っていれば自分も破っていい」と考えているのだ。

こうしたことから考えると、日本はクレーマーに合わせるのが最適解だということになる。理由は、クレームを付ける極少数の人間は煩わしいし恐ろしいからだ。長野県の公園で、近くに住む国立大学名誉教授の高齢者が、「子供の声がうるさい、迎えに来る親のエンジン音がうるさい」とクレームをつけた結果、公園は閉鎖となった。

一方クレームを付けない多数派は煩わしくもなく恐ろしくもない。だったらクレーマーがクレームの対象とする大人しい人にクレーマー様の要求を伝えることが大事なのである。

https://gendai.media/articles/-/103067?page=7