しかし、マコーレーの非常識な要求などで、1994年後半にはオファーが減少してしまう。

さらに1995年に両親が別れ(元々結婚していなかったので離婚ではない)、マコーレーが稼いだ1,700万ドル(当時のレートで約17億円)を巡って裁判を起こした。裁判は泥沼化し、1996年にマコーレーは「父と母が裁判に決着をつけるまで自分はどの作品にも出演しない」と俳優活動の休業を発表した。

ホーム・アローンの監督であるクリス・コロンバスはこの騒動について、「どちらがこの子を育てたいかで争うならわかる。でも、このふたりはどちらがこの子の稼ぎを取り続けるのかで争っている。自分が子供の立場だったら、とても悲しいだろう」とコメントした[2]。

一連のトラブルの影響で10代半ばにして重度のアルコール依存症となり、日中、酒瓶を片手に街路を徘徊する様子が報道された。

1997年2月、裁判所が「マコーレーの稼いだお金は、家族ではなくマコーレーの会計士が管理するように」と命じ、同年の4月にマネージャーを務めていた父親がすべてを放棄する形で裁判は終了した。

マコーレーは18歳まで、この裁判で争われた自身の稼いだ金額を知らず、その莫大な額に「辛いことばかりだったけどこれまでの成果を見たような気持ちになり、すごく嬉しくなった」とコメントしている。

かわいそう🥺