罪悪感を抱かない=罪を食わないとはまた違うのでは?むしろ世界は穢れていると認識してたし
教皇も聖女も幼少期のような善悪の判断が出来ない存在に近いんじゃないだろうか
教皇は一般的に悪がなにかを理解した上での行いだから少し違うんだろうけど
子どもの頃に誰もがしたようなトンボの羽をむしったり、蟻の巣に水を流し込むような感覚で世界を滅ぼそうとしたんじゃないだろうか

聖女の場合はまた違って、正義の反対は悪ではなく、また別の正義だということを理解していた
だから、なにが悪でなにが罪なのか判別出来なかった
ただ争い憎しみ合う姿を見るのが悲しくて、それを自分が受け入れることで救済したかったんじゃないかと考察した

普段、白猫のストーリーとか読まないけど
今回はルウシェの立ち絵がえちえちだから読んだら面白かった