この「常に任天堂は新しいものを作る会社でなければならない」というのは
教育界の「虐めは100%存在してはならない」というのと一緒
どこが一緒なのかというと虐めの場合は「虐めが存在してはならない事はすでに
決定済みだからもし虐めが発覚したら存在自体を消さなければならない」
となってる
任天堂の方針も同じで「任天堂が常に新しい事はすでに決定済みだから
もし従来のものを踏襲してしまったら名前変えて新しく見せかけないといけない」
になってる
両者に共通してるのは絶対実現出来ない目標を至上命題にしてしまったせいで
現実を無視した組織運営になっているという点