天井裏から見つかった天正遣欧少年使節のフレスコ画の一部=ニコロ・ボンコンパーニ・ルドビージ氏提供
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ニコロ・ボンコンパーニ・ルドビージ氏(左)とリタ夫人。背後の肖像画はローマ法王グレゴリオ13世=2016年8月11日、福島良典撮影
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20世紀初頭に撮影されたフレスコ画の全体写真=ニコロ・ボンコンパーニ・ルドビージ氏提供
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 【ローマ福島良典】安土桃山時代、九州のキリシタン大名に派遣された天正遣欧少年使節が、
1585年に当時のローマ法王グレゴリオ13世(在位1572〜85年)に謁見した場面を描いた19世紀のフレスコ画が、
ローマにある同法王の子孫宅で見つかった。この邸宅で暮らすニコロ・ボンコンパーニ・ルドビージ氏(75)は
「謁見は一家にとって重要な出来事。この発見で日本人とさらに親密になれるよう望んでいる」と話している。

 フレスコ画は、19世紀半ばの邸宅増築の際、一家の依頼で画家のピエトロ・ガリアルディ(1809〜90年)が食堂の天井画として制作。2
0世紀前半に食堂が寝室と衣装部屋に改築された際、元の天井を覆い隠す形で新しい天井が造られ、フレスコ画は見えなくなっていた。

 一家の古文書を研究するコーリー・ブレナン米ラトガース大准教授が2012年、
フレスコ画の全体像を収めた20世紀初頭の白黒写真を発見。6月、小型カメラで天井の向こう側の絵を確認した。

 使節代表の伊東マンショとみられる青年の額にグレゴリオ13世が口づけし、
千々石ミゲルと原マルティノとみられる2人が脇に控える構図。使節は4人だが、
中浦ジュリアンは高熱のため公式謁見式に出席できなかった。天井は今秋にも撤去され、フレスコ画は修復の上、一般公開される予定という。

 イタリア欧州大学院客員研究員、藤川真由さん(43)の話 日本の開国(1854年)直後に描かれたとみられ「
日欧関係の端緒を開いたのはグレゴリオ13世だった」との記録を子孫が残したかったのではないか。弁髪が描かれているのは当時、
日本文化がどう理解されていたかを示している。

http://mainichi.jp/articles/20160813/k00/00m/030/078000c