当時は自分の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひどい時には焦げた卵焼きを自分に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり自分の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。