2017/10/11
実は凄いこと
https://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201710110000/
switch版『送り犬』だが、実は個人的にものすごく感動していることがある。

それは、あの『送り犬』がほぼ原文どうりに家庭用ゲーム機に移植されるからだ。
本来『送り犬』は『ヨンパチ』という家庭用ゲームソフトの一本として書く予定だったが、
あまりの規制の厳しさに辟易した覚えがある。


今でも覚えている。
某シナリオで「二人は獣のように愛し合った」という表現を用いたところ、
それは激しい性的描写を匂わせ未成年に悪影響を与えるということで
おとなしい表現に書き換えさせられた。

「殺人クラブ」の延長線上にある「復讐クラブ」という名称は
発売元に勝手に別物に変えられていた。
僕が反対するのをわかって、メーカーが勝手に変更したのだ。
何て名前になったかもう忘れてしまったけれど、あとから知って大変ショックを受けた。
当時のプロデューサーも、実に歯がゆく悔しい思いをしただろうと思う。
結局、僕の書いたシナリオはズタズタに切り裂かれ、
デバッグをさせてもらうこともなく、いつの間にか発売されていた。

作家には、どうしても使わなければならない表現の意味合いというものがある。
気づかない読み手も多いだろうが、その表現方法があるからこそ、
あとあと深い意味を持つのが言葉のマジックであり、作家の持ち味だと思う。
そしてそれに気づいた読み手は、より深いところまでその世界を探索してくれるはずだ。
だから、言葉狩りという暴力で作家の文章を無残に改ざんする組織が僕は大嫌いだ。


僕は家庭用ゲーム機の終焉を感じ、コンシューマに未練はなくなった。
シナリオ規制という言葉狩りを受け、僕はそのまま同人ゲーム制作に打ち込んだ。
そんな背景があるから、僕の黒い部分が当時のシナリオには多分に含まれているし、
あえてスプラッタ的な表現を多用したり、当時の時代背景を揶揄したものに仕上がった。
決して、褒められたものではないと自分でも感じている。
ところが同人ゲームを作っているほうが評判も良く、
実際に売り上げもコンシューマより上だった。
不思議なものだ。