なるほど
でもゲーム好きが任天堂を憎むというのがまったく理解できない
可能性のひとつはゲームが嫌いなのかも

あるいは
本当は任天堂が好きで好きでしょうがないか
憎悪は愛情の一種だし

愛情の歪んだ発露なら
思春期少年の母親への愛に近いとか
または逆に
ストーカー気質のように対象に自己を投影させているだけか

興味がある