昔、日本テレネットという企業の中に
『ウルフチーム』という開発セクションがあった。
ウルフチームは独立意識の高い開発者達が集まっていたセクションで
ウルフチームから様々な会社が誕生していった。

1994年、SFC版『緋王伝』をリリースして手応えを感じたウルフチームは
その外伝を続けてSFCに出そうと考えた。
ウルフチームのボス、浅沼は当時高校生だったとはいえ前作のSFC緋王伝を含め様々な作品に携わり、頭角を表してきていた
五反田を中心メンバーに抜擢する事を決定した。
こうして、五反田が企画し、シナリオを描き、メインプログラムを担当する『緋王伝外伝 テイルファンタジア』の開発が始まった。

テイルファンタジアの開発は順調に進んでいくが、やがて最初のトラブルが発生する。
それがどの企業にパブリッシャーをして貰うか?であった。
日本テレネットは自社で企画開発(デベロッパー)をして
他の企業そのソフトを持ち込んで開発費を一部負担してもらう代わりに、その企業(パブリッシャー)からソフトを発売するというスタイルを取っていた。
ウルフチームはRPGの販売が得意なエニックスにパブリッシャーをして貰おうと考えていたが
日本テレネットはナムコに依頼しようとした為、対立が生じた。結局、日本テレネットが押し切る形でナムコに決定したが、このことが原因でウルフチームは日本テレネットに対して不満を募らせるようになったのだった。

ナムコから発売することが決定してしばらくは
緋王伝シリーズから外れるなどの変更があったが概ね平穏であった。
しかし、開発が佳境を迎えた頃になると、第二のトラブルが発生した。
ナムコがテイルファンタジアの開発に干渉をするようになったのだった。
ナムコとしては自社から発売し、開発費を一部とはいえ負担する以上
当然のことであったが
もともとエニックスの元で作りたかったウルフチームには面白くなかった。しぶしぶ受け入れていたものの
『テイルズオブファンタジア』への強引な改題などナムコの様々な干渉に対して
「またバカナムコが…」といった不平不満の声が平気でオフィス内で飛び交うようになっていった。