世界の匠になった義理人情の人(その1) 岡野工業代表社員・岡野雅行 ―― ソニーとの決別
ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070306/120438/
http://d.hatena.ne.jp/watchman/20070309/p1

その後、北海製罐に、リチウムイオン電池のケースプレスの技術まで教えたのは、宝物を放り出すようなものではないのか、と私は訊いた。
すると、岡野さんは、少しつらそうな顔で呟いた。

 「ソニーと仕事したくなくなったから。それで北海製罐を紹介したんだ。
昔は、ソニーは俺の神様みたいな会社だった。値段はちゃんとくれるし、いい仕事もやらせくれた。
どこでもできないものの注文を持ってきたしね。カラオケのマイクの網、あれを絞ったのも、日本で私が一番最初だった。
あとはラジカセのスピーカーの出るところあるでしょ、値段の高いのは、あそこは網なんですよ。
あれもソニーさんで35年前にやった。作るのが間に合わなくて、経理をやっていた女房を工場に呼んで、
お前、やれといって手伝わせたものだった」
 
―― でも、そのソニーの仕事をしたくないと思ったわけは?

 「安いから。それに、向こうが嘘をつくようになったから。それで大賀さんが社長のとき、ソニーの本社、五反田にいって、
俺はおたくの仕事はやりたくない、もう縁を切りたいといったんだ。
でも、そのままでは義理が果たせないから、北海製罐の営業を連れて行って、今度はこの会社に注文をだしてやって下さい、
おれは降りるからといったんだ。北海製罐は1部上場の会社だし、うちなんかと、較べものにならないくらいでかい会社なんだ。
そしたら、なんで降りるんだと訊かれた。だから、おたくとは、俺、気が合わないから嫌だとね、そういった。
それきりソニーの仕事はしていない。昔は喜んでやっていたんだけどね」