■宮崎駿「俺が殺した」
宮崎が企画を持ってきた『耳をすませば』の監督を任される。
『耳をすませば』の制作中に近藤と宮崎の間では何度も衝突があり、
ときには宮崎が演出の変更を求めたり脅すようなこともあったという。
このことについて宮崎は「自分が終わりを渡してしまったようなもの」と語っている。

■高畑勲「僕が殺した」
とくに高畑さんの場合、いい作品を作ることがすべてであって、その他のことにはまったく配慮しない人でした。
よくいえば作品至上主義。でも、そのことによって、あまりにも多くの人を壊してきたことも事実です。

『火垂るの墓』の作画監督を務めた近藤喜文もそのひとりでした。
最初で最後の監督作となった『耳をすませば』のキャンペーンで仙台を訪れた日の夜、
高畑さんのことを話しだしたら、止まらなくなりました。

「高畑さんは僕のことを殺そうとした。高畑さんのことを考えると、いまだに体が震える」。

そう言って2時間以上、涙を流していました。彼はその後、病気になり、47歳で亡くなってしまいます。
火葬場でお骨が焼き上がるのを待つ間、東映動画以来、
高畑・宮崎といっしょに仕事をしてきたアニメーターのSさんがこう言ったんですよ。

「近ちゃんを殺したのは、パクさんよね」

瞬間、場の空気が凍りつきました。ある間をおいて、高畑さんは静かに首を縦に振りました。

作品のためなら何でもする。その結果、未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった。
宮さんはよく「高畑さんのスタッフで生き残ったのは、おれひとりだ」と言います。
誇張じゃなく、本当にその通りなんですよ。
高畑さんの下で仕事をすれば勉強になるとか、そんな生やさしいことじゃないんです。
酷使され、消耗し、自分が壊れるのを覚悟しなきゃいけない。

「パクさんは雷神だよ」。宮さんは最近そう言っていました。高畑さんが怒るときはいつも本気なんです。
その人を鍛えるため、仕事への姿勢を変えるために言うんじゃない。
本気で怒っているから、何の配慮もしません。
逃げ道も作らないし、あとで救いの手を出すこともない。だから、怖いですよ。

『火垂るの墓』の製作に携わった新潮社の新田敞さんがいみじくも言っていました。
「松本清張や柴田錬三郎、安部公房、いろんな作家と付き合ってきたけど、あんな人はいなかった。
高畑さんと比べたら、みんなまともに見える」

僕もいろんな人を見てきましたけど、高畑さんみたいな人は他にいません。
高畑さんはスタッフに何かをしてもらっても、感謝したことがありません。
いっしょに作品を作っているのだから、監督として感謝するのはおかしいという考え方なんです。
論理的なのかもしれないけれど、人間的な感情に欠ける、破綻した考え方ですよね。

http://bunshun.jp/articles/-/8408