>>294
任天堂と初心会の所業より酷いの(´・ω・`)?

「初心会」──。

一般的にはあまり知られていないが、かつてゲーム業界にその名がとどろいていた組織名だ。任天堂は決まった卸売り業者を束ねて初心会を結成し、彼らに絞って商品を供給することで共存共栄の関係を築いてきた。
ピーク時は50社以上が所属していたとされ、ジェスネットとアジオカは大手メンバーとして存在感を放っていた。

初心会では在庫を全量買い取ることが定められており、任天堂は在庫リスクをなくして健全なキャッシュフロー経営を築くことができた。これこそ故・山内溥元社長が編み出した儲けの方程式である。
ある業界関係者は、「人気タイトルを不人気タイトルと抱き合わせ販売するなど負の側面もあった。在庫リスクを価格に反映させるのでソフト1本1万円と高止まりしていた」と振り返る。



卸売り業者のみならず、サードパーティと呼ばれる外部のゲーム開発会社にも初心会は影響力を持った。
「任天堂タイトルの発売時期が優先されるので、自社タイトルの発売日をコントロールできなかった」(ゲーム会社幹部)。
売れそうなソフトならば担いでくれる場合もあるが、すべては任天堂のさじ加減。ソフトの委託製造から販売まですべてを牛耳ることで、任天堂は娯楽の王国の頂点に君臨してきた。

しかし初心会は1997年に解散している。当時、任天堂は複雑な構造のロムカセットを採用しており、追加生産に2カ月程度かかっていた。
人気タイトルが品切れすると、追加生産を待たずに中古ソフトとして取引されるようになる。初心会の枠外で流通が広がったことは、流通にもサードパーティにとっても不満のタネだった。こうして任天堂の求心力は弱まっていく。

ここにダメ押ししたのが、1994年に発売されたソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の「プレイステーション」だった。
音楽で使われていたCDを採用し、ソニーミュージックの工場と倉庫を活用した。ソニーは自社で卸売り機能を持ち、小売りと直接取引を行うことで、店頭でソフトが品切れしても3日で生産・流通できる体制を敷いたのだ。

当時スクウェア(現スクウェア・エニックス)が有力ソフトを任天堂からソニーへ切り替えるなど、業界では異変が起こり始めていた。やがて大手ソフトメーカーは自社生産・流通へと乗り出すことになる。

https://toyokeizai.net/articles/amp/133414