未だ日本が自衛隊すら持たなかった1952年、韓国大統領の李承晩(リ・ショウバン)は、
公海上に「李承晩ライン」と呼ばれる漁船立入禁止線を一方的に宣言し、漁を行っていた日本人船員2791人を拉致した。
立入禁止線内には竹島も含まれ、韓国海軍によって略奪された。また、東シナ海においては銃撃によって死傷者も出た。

拉致された船員達は最長3年半拘束され8人が死亡し、漁船乗組員 石田儀一郎からの手紙には「異国刑務所においてはこの世の地獄の生活を味わった」と書かれていた。

後に韓国は抑留者の返還と引き換えに、日本で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として強制送還される予定だった在日韓国人を開放することを要求した。
日本政府はこれを飲み、在日韓国人472人を放免し、日本での在留特別許可を与えた。

文献
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000906331-00
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000981311-00