俺はPCでもゲームでも据え置き(デスクトップ)派だが、別に携帯機とかノートPCやスマホとかを否定する気もないけどな。
据え置き需要が減ってるのが事実なのもわかってるが、少数派だから完全に廃れていいってことにもならないだろう。
それぞれに需要があって存在理由があるんだから、共存しつつユーザーそれぞれが自分に合ったものを選んで使えばそれでいいのに、
なんで互いに自分が選んでないものを迫害して全否定しなきゃ気がすまないのか理解できん。
任天堂製品(Switch)が多数派の一般層向けとして多く売れてるのは事実でも、
どこにでも持ち運べることよりも性能や画面の大きさを優先したいヘビーユーザー層がいることも認めてやったっていいんじゃないの?
性能が高くてグラフィックがすごければいいっていうスペック至上主義も間違ってるとはいえ、個人の好みとしてなら自由なんだし。
どちらかだけがあればそれでいいってもんじゃないのがなぜわからない? なぜ争う?いがみ合う?

ちなみに俺個人はゲームに関しては、性能はほどほどでいいが、携帯性はいらない、テレビやモニタの前に縛られることをデメリットとは思わない、
そこそこの大画面(24インチ程度)としっかりしたオーディオ環境で楽しみたいという派。
ヘビーなマニアでもないが、お手軽さ最優先のライト層でもない。
それが迫害され廃れなきゃならない理由って何? 今や少数派だから、時代遅れだから何が悪い?